第8章 another side

第356話 分岐点

「やぁやぁ、水樹君。こうやって顔を合わせるのは久しぶりだね」


アタルデセルの端末から通信相手の声が店内に響き渡る。


現在の時刻は午後十一時過ぎ。


通常ならまだ店を閉める時間ではないのだが、

急遽早見から話したいことがあるとの連絡を受けた水樹は、

閉店時間を早め、端末の前に座っていた。


「そうですね。メッセージのやり取りは普段からしてるので、

 何だか不思議な感覚です」


微笑を浮かべ水樹が返事をすると、

カメラに写る早見もウンウンと頷いていた。


すると、突然早見のマイクからピピピとタイマーの鳴る音が聞こえる。


「そうだそうだ、ラーメンを作ってる最中だったんだ。

 ちょっとだけ待っててくれるかい?」


そう言い終えるや否や、早見がカメラから姿を消す。


ドタドタと何やら騒がしい音が聞こえるが、

このくだりは過去に何度も見てきた。


「もうこれしか牛乳が残ってないのか。

 次からはもうちょっとストック数を増やさないと駄目だね」


早見の独り言をマイクが拾う。

その相変わらずのマイペースさに水樹は思わず頬を緩ませる。


「ごめんごめん、ちょうど夕飯を作っていてね」


湯気の立った器と紙パックの牛乳をお盆に載せ、

早見がカメラに戻ってくる。


「今晩も牛乳ラーメンですか?」


「もちろんさ、僕の献立に牛乳ラーメンを食べない日は存在しないからね。

 ちなみに、今回作った牛乳ラーメンはカップ麺じゃなくて袋麺だから

 牛乳の量を自由に調整できるんだ」


自慢げに答えた早見は紙パックの牛乳を手に持ち、

ドバドバと器の中に注いでいく。


「僕はね、つくづく思うんだよ。

 毎日三食献立を考えるって本当に面倒だなって。

 だから時々車が羨ましくなるときがあるんだ」


「車……ですか?」


「うん、ガソリンにしろ軽油にしろハイオクにしろ、

 車のエネルギー源はそのどれか一つを摂取することだろう?

 人間のエネルギー摂取もそのくらいシンプルで良いと思うんだ。

 しかも大抵の自家用車は毎日給油する必要はない点も魅力的だ。

 乗車頻度にもよるが一回給油すれば、

 少なくとも数日、一週間……いや、1ヶ月近く持つことだってある。

 そのくらい人間も燃費が良くなって欲しいと本気で思ってるよ」


早見の話は決まってリアクションに困る内容が多いので、

いつも通り水樹が苦笑する。


「今でも十分食生活が偏って……シンプルに見えますけど」


「まぁ、それはそうなんだけどね」


カメラ越しに早見がズルズルと麺を啜り始める。


「それで、話したいことって一体どういうご要件なんでしょうか?」


「あー、ごめんごめん」


口をもごもご動かし、麺を呑み込んだ早見が本題についてようやく思い出す。


「実は一つ頼みたいことがあってね、

 内容が内容なだけに顔を合わせて話をしたかったんだ。

 大事な話は相手の表情が見える場で通す……が君のモットーだろう?」


「そう、ですね」


水樹にとって、早見は組織の中で懇意にしている数少ない研究者の内の一人だ。

だから、彼女からの依頼は基本的に断らないようにしていたが、

今回の依頼内容を聞いた水樹は直ぐに返事をすることができなかった。


「―――って感じの仕事なんだけど、どうかな?

 まぁ、今までとちょっと毛色が異なる仕事になりそうだからさ、

 直ぐに返事をする必要は無いよ。

 数日考えてみて、もしそれでも受けても良いと思ったら

 メッセージを送ってくれればいいからさ」


「わかりました。ありがとうございます」


「一応言っておくけど、

 今回の依頼を受けようが受けまいが僕らの関係性は何も変わらない、

 そこだけは覚えておいて欲しい」


早見なりに多少気を遣ってくれたのだろう。


「それじゃあ、僕はまだ仕事が残ってるから、これで失礼するよ。

 水樹君も早く休むといい」


「はい、お疲れ様でした」


画面後押しに早見が小さく頷くと同時に通信が途絶える。


ゆっくりと息を吐いた水樹は、そのまま天井を仰ぐ。


自分の進むべき道に分岐点というものが存在するなら、

今がその選択の時なんだろう。


回答までに数日の猶予をもらっているので

今一度自分自身のことについて考える時間を作っても良いのかも知れない

と思った水樹は、

早速今晩から寝付きが悪くなりそうな予感がしていた。


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