第305話 風説

自分の見ているものが信じられなくなった火月は、

一度眼鏡を外して胸ポケットにしまってあった目薬をつけると、

再度眼鏡をかける……が、

やはり目の前に立っているのは、

どこからどう見ても白いオオカミの着ぐるみファッションをした不審者だった。


「ねぎしお、お前にはこの変人が見えているのか?」


小声で火月が話しかける。


「もちろんです、ずいぶんと可愛らしいオオカミさんですね」


ついに自分の頭までおかしくなってしまったのかと本気で心配になったが、

ねぎしおにも見えているなら幻覚というわけではなさそうだ。


『そんなことより、さっきの発言……』


相手の見た目のインパクトが強すぎて、

危うくスルーしかけそうになったが、

あの不審者は自分たちの方を見て確かに「」と言ったのだ。


つまり、ねぎしおの存在を認識しているわけで、

そうなって来ると自ずと相手の正体に予想がつく。


「お前も修復者なのか?」


「えぇ、といっても私の担当地域はここではないですがね」


修復者にはある程度自分の担当地域というものが決まっている。

しかし、それは修復者自体の行動範囲を制限するものではない。


それこそ、各地を回って活動したいのであれば好きにすればいい。


ただ、本来の仕事や交通費の問題もあって

多くの修復者は自分の住んでいる地域を主な活動場所としている傾向にある。


「実は、ちょっと風の噂を耳にしましてね。

 何でもこの地域に腕の立つ情報屋がいるとか」


「情報屋……」


とりあえず、この不審者の話に耳を傾ける。


「こう見えて、私も情報屋をやっているんですが、

 是非その方に一度お会いしてみたいと思いまして」


本気で言っているのか冗談で言っているのか、

真意が分かりかねるような口調で話すその人物は、

火月が今まで会ったことのないタイプの人間だった。


「腕の立つ情報屋なんていくらでもいるだろう。

 わざわざ遠方から会いに来るほどの価値があるとは思えないな」


「えぇ、確かにあなたの言う通りかもしれません。

 ですが、その情報屋の方、

 つい最近傷あり紅三の扉を修復されたらしいんですよ」


ゆるキャラチックなオオカミの被りものが前後に動いており、

相手の興奮している様子が窺えた。


「これは私の偏見ですが、

 情報屋を生業なりわいとしている人間は性格が臆病なタイプが多い。

 言ってしまえば何よりもリスクを恐れる人種なんです。

 そんな日陰者の中から

 傷あり紅三の扉を修復して帰ってきたやからが出ようものなら、

 一体どんな人物なのか直接自分の目で確かめたくなるのは、

 情報屋として自然な衝動だと思いませんか?」


特段、相手の理屈におかしな点は見当たらなかった。


自分以外の情報屋と交流する機会が無かった火月は、

そんなに他人のことが気になるものなのか?とも疑問に思ったが、

商売敵しょうばいがたきとなり得る存在が突然現れたら

敵情視察の一環として事の真偽を確かめたくなるものなのかもしれないな

と一人納得していた。


「つまり、その人物に心当たりが無いか、

 俺たちに聞きたいってことでいいのか?」


「如何にも。

 もし、情報を頂けるのならそれなりのお礼はしましょう」


『お礼……ねぇ』


正直、この不審者の話を全て鵜呑みにするほど、

火月はお人好しではなかった。


そもそもこいつが本当に情報屋である保証は何処にもない。

修復者であるのは間違いないだろうが、

素性の知れない相手に自分の情報を売るのはリスクが高すぎる。


「ここまで話してもらって申し訳ないが、

 生憎その人物の情報はもっていない。

 他を当たってくれ」


踵を返し、さっさとここから離れようとした火月に不審者が声をかける。


「それは残念です……。

 そういえば、その人物のお名前について伝え忘れていました」


火月がその場で足を止める。


「中道火月……このお名前に聞き覚えはありませんか?

 あと、彼には怪物のパートナーがいるらしいんですよね。

 修復者と怪物が一緒に行動しているなんて可笑しな話ですが、

 そうそう、ちょうど貴方の後ろにいる鶏のような風貌をしているみたいです」


不審者を一瞥する。

被り物のせいで相変わらず表情は分からなかったが、

その口調はどこか楽しげに見えた。


「こいつ……」


警戒度を一気に高めた火月は、鋭い眼光でその相手を睨み付けた。


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