第304話 不審者

「今日の扉は結構簡単な方だったな」


閉館時間をとっくに過ぎた市民体育館の裏口から実界に戻ってきた火月は、

先ほどまで入っていた傷あり紅一の扉を眺める。


ここ数ヶ月の修復者としての活動を振り返ると、

正直ファーストペンギン以外のことをやっていた気がする。


ねぎしおを狙う正体不明の人物との出会い、

ネームドと呼ばれる扉の存在、

そして傷あり紅三の修復……

どれも火月が経験したことのないものだった。


きっとファーストペンギンの仕事だけをやっていたら、

知らずに済んだ世界なのかもしれないが、

自分の選んだ道に後悔はなかった。


それは単なる気まぐれか、それとも未知の事象への好奇心か、

はっきりとした動機は自分でもよく分かっていない。


何にせよ、現時点において確実に言えることは、

己のことを含め分からないことが沢山あるということだ。


そして、そんな時にやるべき事と言えばただ一つ

『情報収集』である。


一度初心に戻る……という意味でも

ファーストペンギンの仕事を中心に行っていた火月は、

今日も傷あり紅一の扉の情報を持ち帰り現在に至る。


「うむ。以前にも増して、お主も手際が良くなって――

 いや、これでは上から目線になってしまうな……」

とねぎしおがぶつぶつと独り言を言い始めたと思ったら、

「火月さん、素晴らしい活躍ですね!」

と爽やかな笑顔?を浮かべサムズアップしてきた。


「……は?」


ねぎしおの発言があまりにも気色悪かったので、

思わず聞き返す。


「聞こえていないのなら、何度でも言いましょう。

 その情報屋としての手際、本当に凄いなって思いました!」


「……」


やはり、自分の聞き間違いではなさそうだ。


訳の分からない口調とテンションのねぎしおを目の前にして、

全身を悪寒が襲う。


とりあえず、この鶏が豹変した原因を探るため、

必死に頭の中の記憶を呼び覚ましていると、

ある一つの違和感について心当たりがあった。


『そういえばこいつ、

 今日に限って異界でもやけに大人しかったような……』


普段なら、もっと余計なことをして

ファーストペンギンの仕事を邪魔する行動をとっているはずなのに、

今回に限ってそれが全くなかったのだ。


もしかしたら、

今日入った扉が簡単だと感じたのはこれのせいかもしれない……

妙に一人で納得した火月は、

事の真相を確かめるため、ねぎしおに問いかける。


「もしかして、頭でも打ったのか?」


「決してそんなことはないですよ。

 火月さんのおかげで私は五体満足の状態で戻ってこれましたから」


ねぎしおは口調だけでなく、

心なしか声質も爽やかな感じになっていた。


「なら、異界で変なものでも食ったか?」


「ははっ、ご冗談を。

 私がいつも口にしているのは

 火月さんが出してくれるヘルシーなお豆腐だけです。

 それ以外のものを食べるなんて有り得ません」


若干嫌みのように聞こえなくもないが、

ねぎしおの言葉を信じるなら食い物系でもないらしい。


『じゃあ、何が原因でこいつは更に気持ち悪くなったんだ……?』


謎がどんどん深まっていき、

これからどう接したものか……と頭を悩ませていると、

市民体育館の正面口の方から誰かの足音が聞こえてきた。


状況から察するに

どうやら、自分たちのいる裏口へ向かって来ているらしい。


こんな夜更けに一般人が出歩いているとは思えなかったが、

警備員の可能性もゼロとは言い切れない。

なので、その時は夜の散歩を楽しむ社会人のフリをすることにしていた。


だが、このままじっと裏口の前でとどまっていたら、

不審者扱いされかねないので、

敢えて足音のする方へ向かって行った火月は、

うつむきがちにその人物とすれ違う。


とくに話しかけられなかったので、一安心していたのも束の間、

相手の足音が急に聞こえなくなったと思ったら

「そこの怪しいお二人さん。

 ちょっと聞きたいことがあるんですが、いいですかい?」

と中性的な声の持ち主に呼び止められる。


『最悪、職質くらいは覚悟しておくか……』


自分の運の悪さを呪いつつ、

半ば諦めモードで後ろを振り返った火月は、

その視線の先に立っていた人物の姿を目にして思わず息を止める。


それは一言で言うなら、

ゆるキャラ?着ぐるみを全身にまとった人物だった。


より細かく説明すると、頭は完全に被り物っぽいのだが、

手は素肌が見えおり、足も普通の運動靴を履いていた。


トップスもボトムスも所々モコモコしているものの、

普通の着ぐるみよりかは動きやすい格好のようで、

言うなれば着ぐるみと私服を足して二で割ったようなファッションにも見える。


ちなみに、ゆるキャラのモチーフは白いオオカミと思われるが、

街頭に照らされたその不審者とこんな時間に遭遇すること事態、

ホラー以外の何物でもなかったのは言うまでも無い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る