第299話 ビターチョコ

中道火月はアタルデセルに向かうため、

夜の街を一人歩いていた。


その後ろをちょこちょこと付いてくるのは一羽の鶏、

ねぎしおである。


「おい、火月!もう少しゆっくり歩けぬのか!」


後ろから聞こえる声を無視し、火月が歩みを止めることはなかった。



さかのぼること数十分前、

いつもより会社を出るのが遅くなった火月は、

退院したらお店に顔を出すようにと水樹さんに言われていたことを思い出し、

急遽アタルデセルへ立ち寄ることを決めた。


普段通りならもっと早く退勤しているのだが、

約二週間入院していたせいで確認すべきメールが溜まっており、

その処理に昨日から追われていたのだ。


結果、会社を出ることできたのは午後十時三十分過ぎとなってしまい、

急いで駅に向かったところ、

何故か駅のホームでウロウロしているこいつねぎしおを偶然見つけた。


バレないようにと思って、息を潜めて移動していたものの

何故かねぎしは一目散に自分のところへやってきて、

現在に至るまでずっと話しかけてきている……といった状況である。


こいつが何の目的で会社の最寄り駅まで来たのかはわからないが、

修復者以外にねぎしおが見えない以上

人前で安易に会話をすることはできない。


電車の中なんてもってのほかだ。


そんな当たり前のルールすら、この鶏は忘れてしまったのだろうか?

と沸々と怒りがこみ上げてきていたのは言うまでもない。


電車を下りてからも店に向かって黙々と歩いていた火月だったが、

ようやく周囲に誰もいなくなったことを確認すると、

その場で立ち止まり、後ろを振り返る。


「何しにきたんだ?」


「おお、ようやく反応しおったか。

 何、まだ病み上がりなんじゃから心配になってな。

 道端で倒れてないか見に来てやっただけじゃ」


子供の心配をする親みたいな台詞セリフを口にするねぎしおに

違和感しかなかったが、

こいつはこいつなりに気を遣ってくれていた……?

ということなんだろう。


まぁ、世話係の自分がいなくなったら困るくらいの感覚だとは思うが。


「てっきり、おやつ用のおつまみセットでも買わされるのかと思ったぞ」


「なるほどのぅ、それは名案じゃな」


しまった……気づいた時にはもう遅かった。


こいつと話をしていると余計な出費が増えるだけなので、

早々に会話を切り上げようと思った火月はそのまま正面を向いて歩き始める。


「おい!まだ話は終わってないじゃろう。一体どこに向かっておるのじゃ!」


ねぎしおの叫ぶ声が聞こえてきたが

そのまま無視して歩くスピードを上げようとしたところ、

脇道からコートを羽織ったスーツ姿の男性が出てくる。


「すみません」


ぶつかりそうになったので会釈をして小さく呟くと、

その相手も同じように謝っていたのでちらりと顔を見る。


「あれ、中道さん?」


それは火月が最近知り合った修復者、山内匠真に他ならなかった。

どうやら自分の顔を覚えてくれていたようで、彼の方から話しかけてくれた。


「こんな時間にお会いするなんて奇遇ですね。

 もしかして、アタルデセルに寄った帰りですか?」


「えぇ、つい先ほど水樹さんと話をしてきたところなんです。

 それよりもお身体の方は大丈夫なんですか?」


「お陰様でかなり良くなりました。

 あの時山内さんが助けてくれなかったら……と思うとぞっとします」


傷あり紅三の扉を生きて帰って来れたのは、

間違いなく山内さんのおかげだろう。


入院をしていた時に何度か顔を合わせていたので、

その時に簡単な自己紹介は済ませていたが、

彼が元田さんの知り合いだったと判明した時の衝撃はまだ記憶に新しい。


「そやつは何者じゃ?」


ねぎしおが不思議そうに山内さんを見上げていたので、

命の恩人であることを簡潔に伝える。


「そうか、火月が世話になったようじゃな。あるじである我からも礼を言うぞ」


ねぎしおに対しても接する態度を一切変えず、

自身を謙遜するその姿勢は彼の人間性がうかがえた。


それから少しの間、立ち話をしていたが、

この寒空の下、あまり引き留めるわけにもいかないと思った火月は、

ねぎしおの質問攻めにあっている山内さんに声をかける。


「こいつの話に付き合ってもらってありがとうございます。

 山内さん、帰りの電車の時間は大丈夫ですか?」


「そうですね、名残惜しいところではありますが、そろそろ駅に向かおうかと」


「時間なら仕方あるまい。

 また今度、色々と話を聞かせてもらうからな」


「えぇ、楽しみにしています。それではまた」

と言って歩き始めようとした山内は、直ぐに足を止める。


「そういえば、これをお渡しするのを忘れていました」


手に持っていた鞄の中から包装紙に包まれた薄っぺらい固形物を取り出し、

火月の前に差し出してくる。


「これは……板チョコですか?」


その物体には有名なお菓子メーカーのロゴが大きく印字されており、

誰が見てもチョコだと直ぐにわかる代物だった。


「ちょっと時期は過ぎてしまいましたが、

 今月はバレンタインがあったじゃないですか。

 なので日頃の感謝を込めてのものです」


「……なるほど?」


予想外のイベントに火月の脳が停止する。


まさか年上の男性からバレンタインチョコをもらうとは思っていなかった。

自慢じゃないが今まで生きてきて、こんな経験は一度もない。


こういった場合、どんな反応をするのが正解なのかわからなかったので

そのままフリーズしていると、

山内さんが追い打ちをかけるように

と付け加えてきたので、「……ありがとうございます」

と返事をするので精一杯だった。


自分があまりにも挙動不審になっていたのか、

山内さんが頬を緩めて

「すみません、少しからかい過ぎました」

と謝ってくる。


「実はこれ、送り主は水樹さんからなんです。

 中道さんに会うことがあれば渡しておいてほしいと、

 店を出るときに頼まれましてね」


申し訳なさそうに白状する彼を横目に

「あぁ……そういうことでしたか」

とほっと胸をなで下ろす。


「それでは、今度こそ本当にお別れです。またいつか」


小さく手を挙げて、駅の方へ歩いて行く彼の後ろ姿を火月が見送っていると

ねぎしおが話しかけてきた。


「火月よ、ばれんたいんチョコとは何じゃ?」


こいつに説明をすると、色々と話がややこしくなりそうだと思った火月は、

今回も沈黙を貫くことにした。


駅とは反対方向へ歩き始めた火月の後をねぎしおが急いで付いてくる。

アタルデセルに到着するまで、ねぎしおの質問攻めが止まることはなかった。

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