第298話 旅路

「今日は、これをお返しするために来ました」


視線が交錯し、彼が冗談を言っている訳ではないことを理解した水樹は、

懐中時計を一瞥すると小さく息を吐く。


「そっかぁ……。この展開は正直予想していなかったかな」


「短い期間でしたが、あまりお力になれず申し訳ないです」


「そんなことないよ。

 さっきも言ったけど

 中道君と志穂ちゃんを救ってくれたのは間違いなく山内君だよ。

 だから、今度自分を否定したら絶対に許さないからね」


語気を強めて彼女が主張してきたので、

山内は首を縦に振らざるを得なかった。



「ちなみに、お二人はもう大丈夫なんですか?」


「うん、数日前に退院したみたいだよ。

 全快とはいかないまでも普通に生活できるレベルには体力も戻ってきたみたい。

 まぁ、何回もお見舞いには行ってたから、その時に色々と話は聞いてたんだけど

 でもやっぱり二人とも山内君に感謝してたよ」


「……そうですか。最後にお力になれたのなら何よりです」


想定していた結末とは異なってしまったが、

修復者として誰かの役に立てたことは素直に嬉しかった。


「一応なんだけどさ、修復者を辞める理由を聞いても平気かな?

 言いたくなかったら全然大丈夫なんだけど」


気を遣ってくれているようで、

おずおずとした様子の彼女を見るのは新鮮だった。


「話しにくい内容でもないので、お気遣いなく。

 単純に私は修復者を続ける目的や理由がなくなった……

 いや、なかったことに気づいただけなんです。

 私は、今の自分から逃げるために修復者になっただけでした。

 でも水樹さんを含め、多くの修復者の方と接して、

 あぁ……自分はこのままじゃ駄目なんだと思うようになりました。

 そして今回の傷有り紅三の扉の件で、

 私はようやく人生の再出発点に立つことが出来たんだと思います」


「だから、もう懐中時計は必要ないと?」


水樹の問いに対し、山内がこくりと頷く。


「あと話は変わってしまうのですが、

 実はここ一週間、勤めている会社の退職手続きを進めていまして、

 今日が最終出社日だったんです」


「……随分急な話だね。

 確か山内君が退院したのも、ちょうど一週間前じゃなかった?」


「そうですね。色々とバタバタはしていましたが、

 以前長期休暇をとっていた期間もあったので

 自分の持っているタスクはそこまで無かったんです。

 だから、案外すんなり手続きは進んだ方なのかもしれません」


二人の間に沈黙が流れる。

流石に退職理由まで聞くのは失礼かと思ったのか、

彼女から口を開くことはなかったのでそのまま話を続ける。


「別に大層な理由ではないんですが、

 一度街を出て、外の景色を見てこようと思ったんです。

 カッコイイいい方をするなら、見聞を広める……自分探しの旅でしょうか。

 まぁ、私の年齢でやるようなことじゃないかもしれませんけど……。

 でも、この街には良い思い出もそれ以外の思い出もたくさんありますので、

 ふとした瞬間に過去の自分に負けそうになるリスクは避けておきたいんです」


同じ人物のはずなのに、

最初に出会った時とは随分と違う顔つきになった彼を見て、

その決意の固さを知る。


「なるほどね……ちなみに街を出る日は決まってるの?」


「特に決めてはいませんが、善は急げと言いますし明日には出ようかと。

 住んでいる場所も今月いっぱいで退去することになってるので」


「山内君が決めた事なら、それでいいと思う。

 会えなくなっちゃうのは正直寂しいけどね。

 でも、最後に一つだけ私の我儘わがままを聞いてもらってもいい?」


「えぇ、もちろんです」


「ありがとう。

 山内君が修復者を辞めたい理由はよくわかったし、それを止めるつもりもない。

 だけど、懐中時計を返すのは山内君が次にこの街に戻ってきた時でもいいかな?

 別に時計を持っているからといって、修復者として活動する必要はないよ。

 そもそも我々の活動に参加するかどうかは修復者に任せているしね。

 私はただ、君の旅路にその懐中時計も連れて行ってあげて欲しいだけなんだ。

 さっき山内君は、私を含めて色んな修復者のおかげで

 今の自分があるって言ってたけど、

 その修復者の架け橋となってくれていたのは、

 紛れもなく君自身の懐中時計のおかげなんじゃないかな。

 だから、初めて会った時に話したことをもう一度言うね」


彼女が咳ばらいをすると、静かに口を開く。


「誰でもその懐中時計を持っているわけではありません。

 時計に選ばれた理由が、きっと貴方にもあるはずです」


そういえば、全く同じことを夜の公園で言われたなぁと当時の記憶が蘇ってくる。


「そう……ですね。

 危うく、一番感謝しなければならないものを見失うところでした」


それから数十分の間、他愛もない雑談をしていた二人だったが、

時間も遅くなってきたので山内がゆっくりと席を立つ。


「それじゃあ、これは預からせてもらいます」


カウンターテーブルに置かれた懐中時計を手に取り、

再度スーツの内ポケットにしまう。


そのまま出口の扉へ向かった山内を見送るため、

水樹も足早に彼の後ろ姿を追ったのだった。

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