第286話 石蟹の穴へ海蟹は入らず

怪物との交戦を始めた火月の後ろ姿を

ただ眺めることしかできなかった山内は、

右手で握っていた鞭を強く握りしめる。


彼の言う事は何一つ間違っていなかった。


今までの修復者がそうだったように、

彼には彼の目的があってここに来たのだろう。


だから、何の見返りも無しに、

ほぼ初対面の人間からの依頼を受ける義理になんて何処にも存在しない……

普通に考えれば誰にでも直ぐ分かることだった。


全く……自分の思考力はここまで低下していたのか?

と呆れてしまう。


ただ、やるべきことはもう決まっていた。


彼が怪物の相手をしているのなら、この状況を逆に利用させてもらおう。


山内は先ほど火月が教えてくれた場所を目掛け、

重くなった足を引きずりながら、前に進み始めたのだった。



――――――


――――――――――――



怪物の注意を惹きつつ攻撃を回避していた火月は、

ちらりと男性を一瞥する。


すると、ここからゆっくりと遠ざかっていく姿を目にした。

おそらく藤堂が身を隠している場所へ向かったのだろう。


『あっちは大丈夫そうだな』


とりあえず、男性がこちらの思惑通りに動いてくれたことに安堵する。


先ほどの彼は自分の死を受け入れたかのような目をしていた。

あるがまま、なすがままに身をゆだねる……といった表情を見るのは、

もうりだった。


故に、彼の依頼を断った。


誰にも頼ることができないのなら、

彼は死に物狂いで自分の責任を果たすだろう。


覚悟の決まった人間が窮地に陥った際に発揮するパワー……

生存本能は、計り知れないものなのだ。


『人の心配をしている場合じゃない……か』


二体のヒトデの怪物は、回転速度を落とすことなく火月に迫り来る。


姿勢を低し、一体目の攻撃をかわすと

直ぐに足を横に出して、サイドステップを踏むような形で二体目の攻撃も回避する。


今のところ、まだ体力に余裕があるからいいものの、

自分の得物と能力では到底敵う相手ではないだろう……

そんなことを考えていた火月は思わず口元に笑みを浮かべる。


『今自分は、一瞬でもこの怪物を倒そうと思ったのだろうか?

 傷有り紅一、紅二の怪物すら単独で始末したことがないのに

 紅三の怪物を目の前にして一体何を考えているのやら……』


こんな時に、笑えない冗談がよくも浮かんだものだ。


時計の能力の制限時間は残り八分を切っていた。


あと八分もあれば、

あの男性と藤堂がこの異界から脱出するのに十分な時間稼ぎができるだろう。


「気分転換に、たまには殿しんがりの仕事も悪くないかもしれない」


そう一人呟いた火月は二体の怪物が浮遊する場所を、鋭い眼光で睨みつけた。

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