第272話 生態

「ギリギリ間に合って良かったです」


怪物の視界に入らないようにするためか、

たくさんの装置が並ぶ裏側へ引きずり込まれた志穂は

その鞭の持ち主を見上げる。


年齢は四十代前半くらいだろうか。


オフィスカジュアルの格好をし、

両目の下にできたくまが印象的な男性がそこにはいた。

おそらく、修復者で間違いないだろう。


「あぁ? さっきの鞭はお前の得物か? よくも邪魔してくれたな」


ガチャリと鉤爪を構え、男の喉元に爪先を突きつける。


「すみません、邪魔をするつもりは無かったのですが」


目尻にしわを寄せ、微笑を浮かべる男性は

志穂の態度に全く動じていなかった。


まるで今までも同じような人間を相手にしてきたかのような、

そんな余裕を感じさせる。


装置の裏側から、

怪物が下敷きになっている場所を覗き込むように観察していた男は

志穂に同じ場所を見るように目配せする。


一体何がしたいのかよく分からないなと疑心暗鬼になりつつも、

怪物がいる場所へ視線を向けると

白い膜に包まれた金属製の柱に異変が起きていた。


というのも、柱から気泡のようなものがボコボコと湧き始めたと思ったら

一瞬でその姿を消したのだ。


まさに手品としか言いようが無い芸当に思わず目を見張る。


「なるほど。やはり、あれは……」


合点がいったと言わんばかりに男が一人呟く。


「あの柱は何処にいった? 分かるように説明してくれ」


「あぁ、すみません。

 おそらく、あの白い膜はで間違いないと思います」


「胃袋?」


予想していなかった言葉が出てきたので、反射的に聞き返してしまう。


「はい。つかぬことをお伺いしますがヒトデってご存じですか?」


「海の中にいるヒトデのことなら……」


「まさに、そのヒトデのことです。

 では、そのヒトデの食事方法についてはご存じでしょうか?」


「そんなの知る訳ねぇだろ」


今まで生きてきて、

ヒトデの食事方法について考えたことなんて一度も無い。

藪から棒に一体何の話をしているんだと志穂のストレスが溜まっていく。


「まぁ、普通そうですよね。

 ヒトデは身体中央、盤の下側に口があるんですが、

 その口から胃袋を外に出して体外で消化吸収をすることがあるんです。

 自分の口よりも大きな生き物を食べる時に、

 消化液で溶かした方が体内に取り込みやすいですから」


「つまり、あの白い膜が胃袋で、消化液によって柱も溶かされたってことか?」


「おそらく……。

 普通なら、あんな一瞬で消化されることはないと思うんですが、

 如何せん今回の相手はヒトデのような怪物ですからね。

 消化能力が格段に上がっていても不思議ではないかと」


この男が言うことが事実だとするならば、

柱が溶けたかのように姿を消したのも頷ける。


確かにあの怪物はヒトデのような見た目をしているとは思っていたが、

実際の食事方法まで模倣しているとは思わなかった。


もし、自分の右腕が胃袋に触れていたら……と思うとぞっとする。


「さっきの鞭は、あの胃袋の危険性を分かった上での行動だったってことか。

 色々と失礼なことを言ってすまない」


少し頭が冷静になった志穂は、男に頭を下げる。


「いえいえ、自分が勝手にやったことですので。

 それにこの知識も数年前、

 妻と娘と水族館に行ったときに飼育員さんから教えてもらったものですから……」


男は何処か昔を懐かしむような寂しい表情をしており、

哀愁を漂わせていた。


「そういえば、名乗るのを忘れていました。

 私は山内匠真やまうち たくまと申します。

 どうかこの扉の修復を手伝わせてください」


直ぐに表情を切り替え、人柄の良さが滲み出る笑顔で挨拶をしてきた山内を見て、

何故か心がズキリと痛んだ。

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