第262話 アンダーバス

一度会社に入ったら定時まで外に出ない志穂にとって、

昼間のオフィス街を歩く行為はちょっとだけ自分を新鮮な気持ちにさせた。


特に寄り道せず、駅から一直線に会社へ向かうのが日常となっているため、

周りにどんなお店があるのかあまり知らなかったのだが、

こうやって意識を向けてみると

思った以上に様々なお店が並んでいることに気づく。


また、多くの人が仕事に打ち込んでいるにも関わらず

自分だけ帰っているという特別感……背徳感は妙に心をソワソワさせたが、

決して嫌なものではなかった。


さながら、学生の頃に仮病を使い

通学路を一人歩いて帰っている時の気分だ。


扉の気配を察するに

出現場所は会社の近くでは無さそうなのでホッと胸を撫で下ろす。


というのも、既に帰宅したと思われている自分の姿を

会社の人間に目撃されるのだけは避けたかったからだ。


結局、懐中時計の案内に従い

電車を乗り継いで到着した場所は自宅の最寄り駅だった。


改札を抜けて駅の南口から外に出ると、

そのまま線路に沿って東の方角に歩いて行く。


どんどん扉の気配が強くなっていくのを感じた志穂は、

何となく扉の場所に予想がついていた。


向かって右手側に白いコンクリートの階段が見えてきたので、

そのまま下っていくと線路下にあるアンダーバスの歩道に出る。


幅三メートル、長さ百メートルはありそうなその道は

昼間にも関わらず地下通路のような薄暗い雰囲気に包まれていた。


駅へ向かうため毎日このアンダーバスをくぐっている志穂にとっては

何の変哲もない風景ではあるが、

今まで一度も他の人とすれ違ったことが無いので

そもそもの利用者が少ないのだろう。


白い蛍光灯が等間隔に配置されてはいるものの、

明るさを維持しているのは2ヵ所くらいしかなかった。


まだ昼間なので節電のために点灯していないのか、

それとも単に寿命を迎えているのかはわからないが、

いつかこの道が真っ暗にならないことを祈るばかりだ。


黙々と歩みを進めて行くと、通路の途中

ちょうど蛍光灯が切れ始めている箇所に壁と同化したドアを発見する。


何かの設備用のものなのか、はたまた倉庫的なものなのか……

いずれにしても、よく注意ないと見過ごしてしまいそうなそのドアから

強い気配を感じる。


時計の案内が終わったので、どうやらここが目的地で間違いなさそうだ。


通勤途中の道に扉が出るとは思っていなかったが、

如何いかにもな雰囲気を感じさせる通路ではあったので妙に納得した志穂は、

懐中時計と目の前のドアに意識を集中させる。


「我が契約を結びし懐中時計よ。

 己が修復者の命に従い、実界と異界の境界を開け」


いつもの言葉を口にすると、白い光が薄暗い通路の中を一瞬で包み込んだ。

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