第231話 冴ゆる星屑

顔全体に刺すような冷たさを感じた火月は、

静かに目を開ける。


澄んだ夜空には沢山の星が輝いており、

人影のようなものが自分を覗き込んでいることに気づく。


「中道さん、大丈夫ですか?」


ぼんやりとした意識の中、次第に視界がクリアになっていくと、

久城くじょう 伊紗いすずがこちらを見ていた。


どうやら自分は、仰向けの状態で意識を失っていたらしい。


ゆっくりと周囲へ視線を巡らせるとお寺の門が見えたので、

無事に実界へ戻って来れたようだ。


自分が倒れている場所から向かって左手に、手水舎ちょうずやらしきものを確認した火月は

ふと彼女の右手に柄杓ひしゃくのようなものが握られていることに気づく。


その先端からはポタポタと水滴が流れており、

さっき感じた顔の冷たさは、これが原因かと理解する。


「すみません、何度お呼びしても反応がなかったので……。

 でも、意識が戻って良かったです」


そう言い終えた彼女は、不安と安堵が入り混じったような表情をしていた。


まさか、この歳になって顔面に水をぶっかけられるなんて想像もしていなかったが、ワサビ入りたこ焼きの件もあるので、

意外と大胆なやり方を好む人なのかもしれないなと認識を改める。


「いえ、お気になさらず。良い目覚ましになりました。

 久城さんの方は大丈夫ですか?」


「はい、私の方は全く問題ないです」


「なら良かったです。

 そう言えば、声も出るようになったみたいですね」


「お陰様で元通りになりました。本当にありがとうございます」


ぺこりとお辞儀をする彼女に「私は何もしていないですよ」と手短に返事をすると、上半身を起こした火月がそのまま話を続ける。


「それより久城さんの依頼の件、私の力不足で申し訳ない。

 きっとあの包帯の男が―――」


そう言い終える前に彼女が大きく頷いたのを確認した火月は、

なるほど……と一人納得する。


あの男が怪物だったのかどうかはわからないが、

彼女が失声症になった理由も今ならわかる。


圧倒的な実力差、得体の知れない……本能的に危険だと感じる相手だった。

今にして思えば、自分がこうやって生きて帰ってこれたのが不思議なくらいだ。


ただ、少なくとも一つだけハッキリしたことがある。


それはということだ。


今回の扉は傷有り紅二の扉であり、

中に入ることができる修復者は最大二人のはず。


もしあの男が修復者だった場合、

他の修復者が扉に入ることはできないのだが、

結果的に久城さんは異界に入ることができた。


それにあの男、自分が修復者でないことを示唆しているような口振りだった。


何やらねぎしおのことも知っているような雰囲気だったし、

謎は深まっていくばかりだな……

と火月が夜空を仰ぐと久城 伊紗がぽつりと呟く。


「中道さん、私の依頼はここまでで大丈夫です」


彼女の発言に対し、何か言葉をかけようと口を開いた火月だったが、

その口から言葉が発せられることはなかった。


それは火月自身、どんな言葉をかけたらいいか分からなかったから……

というわけではなく、彼女が今まで見たことのない表情をしていたからだ。


つい先ほど買い出しに行った時は、

自分を納得させるかのような諦念ていねんした様子だったのに、

今は覚悟の決まった目をしていた。


『そうか、彼女はもう……』


これ以上何かを言う必要は無いと判断した火月は、

「わかりました」と返事をする。


「でも、もし困ったことがあったら、また頼りにさせてもらってもいいですか?」


「ええ、自分にできることがあれば」


「ありがとうございます。

 ついでといっては何ですが、ずっと気になっていたことがあるんです」


今更何を聞かれるのだろうと不思議に思った火月は、

その内容を聞いてハッと我に返る。


「中道さんが左手に握っている怪物?は何でしょう?」


直ぐに自分の左手へ視線を移すと、

そこにはぐったりとした様子のねぎしおがいた。


指摘されるまで完全に忘れていたのは言うまでもない。


「これは……、その……非常食です」とになりながら火月が答えると

「非常食ですか?」とクスクスと笑いながら彼女がこちらを見ていた。


『流石に、話をしないわけにはいかないか……』


観念した様子の火月は、ねぎしおについて話し始める。


なるべく嘘は伝えず、かといって不必要なことは喋らない。


彼女に表面上の会話が通用しないことは分かっているので少し緊張したが、

冬の寒さのお陰なのか、思考がスッキリした状態で話をすることができた火月は


『案外、冬の寒さも悪くないかもしれない』


と寒さに対抗する方法を会得したのだった。

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