第226話 二つのリボン

買い出しから戻り、

買ってきたものをお店の冷蔵庫へしまっている最中に扉の出現を察知した伊紗いすずは、

何とも形容し難い胸騒ぎを覚えていた。


おそらく、

自宅へ帰る途中だった中道さんは扉に入って情報収集をしているのだろう……

それはきっとファーストペンギンの仕事だけでなく、

私の依頼した人物の捜索も含まれているはずだ。


本来なら自分自身でやるべきことのはずなのに、

それを他者に依頼して結果を待つ……なんとも情けない話だ。


そして、そんな自分の姿を茜ちゃんが見たらどう思うだろうか。


気づいた時には身体が動いていた。


書置きを残し、傷有り紅二の扉の前まで到着した伊紗は、

水晶の一つが蒼色に点灯していることを確認する。


茜ちゃんの一件以来、

修復者の仕事は休んでいたので不安しかなかったが、

それでも、自分にできることから始めることにした伊紗は

緊張の面持ちで、扉の中へ足を踏み入れた。



――――――


――――――――――――



扉の中へ入り、地下コロシアムのような建物の入り口に到着した伊紗は、

中で誰かが戦っているのを察知すると、物陰に身を潜める。


あまりにも動きが早く目で追うに苦労したが、

その内の一人が中道さんであること、

そしてもう一人が自分の探している包帯の男だと分かった瞬間、

心臓がドクンと跳ねる。


冷や汗が出て、自分の意志とは関係なく手足が小刻みに震え始める。

それは恐怖以外の何者でもなかった。


あぁ……やっぱり、自分は茜ちゃんがいないと何もできないんだなと実感する。


私はいつも茜ちゃんの後ろをついていくだけ。

そこに自分の意志はなかったし、それでいいと思っていた。


でも、彼女がいなくなった今、私はどうしたらいいかわからなくなった。


あの包帯の男に会うことは、果たして本当に私の願いなのだろうか。

むしろ、会わない方が茜ちゃんの死を決定的なものにしなくて済むのではないか?


辛い現実を受け入れるよりも、

僅かな希望を抱いていた方が幸せなのかもしれない。


それに、今私が助けに入ったところで一体何の役に立つのだろう。

二人の戦闘に自分が入る余地なんて何処にもなかった。


きっと、私の存在が逆に中道さんの足を引っ張ってしまう可能性の方が高い。

そう思うと、どうしても身体を動かすことができなかった。


お互い距離を取り、二人が会話をし始めたと思ったら、

包帯の男が一瞬で中身さんのいる場所へ距離を詰めていた。


『危ないっ……!』


そう思った時には、男の振り払った大剣が彼を吹き飛ばしていた。

砂岩の柱に衝突し、砂煙のようなものがモクモクと上がる。


背中を預けるような形で柱にもたれかかっている中道さんの頭からは

血が流れており、ぴくりとも動かない。


包帯の男が柱へ向かってゆっくりと歩いていく姿が見える。


『っ…! 自分が何とかしなければ』


そう思い、ポケットに手を突っ込んで浅葱あさぎ色の懐中時計を取り出そうとするが、

震えのせいで手から滑り落ちてしまう。


しゃがみ込んで、左手で右腕を抑えながら時計を拾おうとした伊紗は、

その時計の隣に見覚えのあるものを見つける。


それはまぎれもなく、

茜ちゃんの懐中時計に結んであった緑と白の線が入ったリボンだった。


お守り代わりに肌身離さず持っていたのだが、

時計を取り出した時にポケットから一緒に落ちてしまったのだろう。



『私と色違いでお揃いのリボンなんだ。

 これをつけていれば、お互いが近くに居なくても

 ずっと一緒にいれるような気がするでしょ?

 私たちは本当の家族じゃないけどさ、

 それでも姉妹みたいなものだと思ってる。

 だから、もし伊紗がまだ周りの人と距離を感じちゃうことがあったら、

 このリボンを見て思い出して欲しい。

 伊紗は一人じゃないんだって』



当時の記憶が一瞬でフラッシュバックし、

手足の震えが止まる。


あぁ……、どうやら自分は勘違いをしていたようだ。


私は一人ぼっちではなかった。

彼女の意志は確かに自分の中に存在し続けている……

そのことをハッキリと理解した伊紗は懐中時計を手に取り、

黄色と白の線が入ったリボンをほどいた。


茜ちゃんのリボンと自分のリボンの両方を、

お下げの髪を縛っていたヘアゴムと入れ替えて髪を結び直し、

その場から静かに立ち上がる。


本当に自分は、周りの人に助けてもらってばかりだなとつくづく思う。

だからこそ今度は、自分が助ける側に回ろう。


包帯の男がいる方を一瞥した伊紗は、

かつてないほどに決意に満ちた目をしていた。


『茜ちゃん、ありがとう。私は私の意志で修復者の役割を果たすよ』


右手に握った浅葱色の懐中時計は、いつも以上に白く輝いており、

まるで彼女の思いに呼応しているかのようだった。

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