第225話 てんてこ舞い

火月とねぎしおがちょうど扉に入った頃、

アタルデセルの店内は過去一番の賑わいを見せていた。


平日と比べれば、休日にお客さんの数が増えるのはいつものことなのだが、

それにしても今日は異常に多い。


特にチラシを配って宣伝をしたつもりはないのだが、

何か理由でもあるのだろうか……と一人考え込んでいた水樹は

あることを思い出す。


『確か、伊紗いすずちゃんがSNSを使ってお店のアピールをしてくれたんだっけ』


お世話になりっぱなしじゃ申し訳ないからと、

数週間前に伊紗ちゃんからSNSを活用した宣伝をやらせてほしいとの話があった。


水樹自身、若い人が使うSNSの知識は皆無だったので

よくわからないまま許可を出していたのだが、

その効果が今になって出てきたということだろうか。


やたら店内の様子やドリンクの写真を撮っていた彼女を見て、

一体何の役に立つのだろうと心底不思議だったが、

これなら正式に彼女にお店を手伝ってもらうのも悪くないかもしれない。


いや、むしろお店の経営を任せた方が私がやるよりも利益が出るんじゃ……

と自分の能力不足に落ち込みつつ、

テーブル席のお客さんに呼ばれてオーダーを取りに行く。


戻る途中にも何度かオーダーをもらった水樹は、

手元でサンドウィッチを作りながら、カウンターの奥の方へ向かって声を掛ける。


「伊紗ちゃん、カウンター席に座ってるお客さんのカフェラテってもうできた?

 あと、追加でいくつかお願いしたいドリンクがあるんだけど、大丈夫そう?」


何とか二人で回しているが、今は猫の手も借りたい忙しさだった。


ただ、ピークタイムもそう長く続かないと思うので、

今を乗り切れば客足も落ち着くはずだ。


手元のサンドウィッチを作り終えた水樹は、

物音がしない奥の作業場に違和感を覚え、顔を覗き込む……が、

そこに久城 伊紗の姿は無かった。


『トイレにでも行ったのかな』


そう思って、カウンターの方へ戻ろうとした水樹は

テーブルの上に書置かきおきのようなものがあることに気づく。



『水樹さんへ

 急用を思い出したので、お店を手伝えなくなりました。

 忙しい時間にごめんなさい』



メモ帳から切り離したと思われる一枚の白い紙に、

そう短く書いてあった。


伊紗ちゃんは普段綺麗な字を書くのだが、

走り書きのような筆跡から、かなり急いでいたのだろう。


そこまでしてやらなければいけないことを彼女自身が見つけたのなら、

水樹にとってこれ以上嬉しいことはなかった。


というのも、彼女がここにきてから

お店以外のことで自発的に動くことが一度も無かったからだ。


だが、お店を一人で回さなければならないという現実は変わらない。


仕方がないが、これ以上お客さんを増やすのは得策ではないと考え、

入口の看板に満席の表示を出そうと歩き始めた水樹は、

ちょうど出入口の扉が開き一人の女性と出くわす。


「すみません、もう店内は満席で……って志穂ちゃん?」


正面に立った女性の顔を見た水樹は、

思わず声を上げると同時にある考えが浮かんだ。


「ちょうどいいタイミングで来てくれたね! 待ってたよ!」


満面の笑みを浮かべる水樹の顔を見て、藤堂 志穂は怪訝そうな表情をしていた。

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