第216話 大人

アタルデセルへ購入した商品と久城くじょう 伊紗いすずを送り届けた火月は、

そのまま帰路に着く。


水樹さんにはお店でゆっくりしていくよう誘われたのだが、

店内は買い出しに行った時よりも多くのお客さんで賑わっており、

あまり長居するのも迷惑かと思って丁重にお断りした。


時計の針は十七時を回ったところで、太陽は少し前に沈んだばかりだ。

ロングコートのポケットに両手を突っ込み、

白い息を吐きながら駅までの道をゆっくりと歩いて行く。


それにしても、久城 伊紗があんな風に話を切り出してくるとは思っていなかった。彼女は彼女なりに思うところがあっての行動だったのだろう。


『全部を全部一人で抱え込むのは、きっと辛いでしょうから……か』


まさか自分の口から、そんな言葉が出て来るとは思っていなかった。


つい最近まで自分のことで頭がいっぱいだったのに、

今では一丁前に他人を気遣うようになるなんて、誰が予想できただろう。


きっとあの台詞は、自分自身に向けた言葉でもあるのかもしれない。


小さい頃は、歳を重ねれば誰でも強固な心を持った大人になれると信じていた。

だが、果たして今の自分は、その理想としていた大人に近づけているのだろうか。


歳を重ねれば、確かに見た目は大人になっていく。

だが、同時に心も大人になっていくとは限らない。


それは思っていた以上にもろいもので、

もしかした世の中の大人たちは、

虚勢を張っているだけなのかもしれないなと思った。


武士は食わねど高楊枝たかようじなんてことわざもあるくらいだ。

大人という体裁が、その心を大人たらしめているのだとするならば、

それを自覚した時に自分は少しだけ大人に近づけるのだろう。


そんなことを考えながら歩いていた火月は、

突然脳内に電流が走ったような感覚を覚える。


「場所は……ここから近いみたいだな」


新たな扉の出現を感知した火月は、駅までの大通りから脇道へ方角を変えると、

そのまま暗闇の中へ消えて行った。


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