第215話 たこ焼き

「本音……ですか。

 確かにこの話を最初に聞いた時、厄介な依頼内容だと思ったのは事実です。

 修復者として数年活動を続けていますが、

 久城さんの依頼内容には今まで聞いたことがない事象を含んでいましたし、

 何より前例がない出来事に対する漠然とした恐怖のようなものはありましたね。

 まぁ、扉に入った時点で

 予想外の出来事が毎回起きているとも言えなくはないですが……。

 本当に何が起きるか分からない状況で扉に入るのと、

 事前に大まかな情報を把握しているけれど、

 それが今まで自分が経験したことないものだとわかった上で扉に入るのでは、

 後者の方が遥かに怖い。

 それこそ、自分だったら積極的に扉に入ろうとは思わないです。

 見ての通り、臆病な人間ですから」


自嘲気味に笑う火月に対し、彼女は一切目を逸らさなかった。


『それじゃあ、どうして依頼を受けて下さったんですか?』


「そうですね……上手く言葉で表現できないかもしれませんが、

 一言で言うなら、気になったから……だと思います」


頭にクエスチョンマークを浮かべている彼女に対し、火月が話を続ける。


「今回久城さんから依頼があったように、

 実は少し前に他の修復者の方から扉の修復の協力依頼があったんです。

 修復対象の扉の情報を事前に入手していたこともあり、

 私は依頼を受けることにしました。

 普段はそういった依頼を受けることはしないのですが、

 その人は私を高く評価して下さっていたので、

 無下にすることができませんでした。

 それに、誰かから頼りにされることなんて滅多にないですからね、

 自分でも舞い上がっていたのかもしれません」


テーブルの方へ視線を落とした火月は、

当時の記憶を思い出すかのように目を閉じたかと思ったら、直ぐに視線を戻す。


「久城さんと内空閑うちくがさんほどの関係ではありませんが、

 それでもその人とは直ぐに打ち解けられました。

 職業や性格を含め、似ている部分が多かったのだと思います。

 だから、いざ扉に入ってみても異界での探索はスムーズに進んでいきました。

 お互いの能力を把握し、

 どういった方法で怪物と立ち回るのかを事前に決めていたので、

 扉の修復も問題なく終わったと、そう思っていました……

 結論から言うと、扉の修復自体は問題なく完了しました。

 ただ、その依頼主の命と引き換えにですが」


そう言い終えた火月の表情を見た伊紗は、思わず息を呑む。


それは悲しみなのか、それとも後悔なのか、

周囲の空気や相手の感情を読むことにけている伊紗でも、

今目の前に座っている男性が抱いている感情が全く読めなかったからだ。


何て言葉をかけたらいいのか分からず、握っていたペンの動きが止まると

二人の間に沈黙が流れる。


「私の境遇と今の久城さんの境遇が似ているとは言いません。

 内空閑さんを失った悲しみは久城さんにしか絶対に分からないものですから。

 彼とはほんの僅かな時間の関係性でしかなかったのですが、

 私は思っていた以上に自分の気持ちに踏ん切りをつけることができませんでした。

 今でも危ういところではありますが、こうやって、

 久城さんと話をして初めて自分の感情に向き合えているのかもしれませんね。

 結局のところ何が言いたいのかと言うと……

 私は、私自身のために依頼を受けようと思いました。

 だから、貴女あなたは何も心配しなくて大丈夫ですよ。

 全部を全部一人で抱え込むのは、きっと辛いでしょうから」


その時、久城 伊紗は初めて中道 火月という人間について少し理解できた気がした。



『伊紗はさ、もっと自分本位に生きていいんだよ。

 他人のことを優先できるのは素晴らしいことだけど、

 自分を犠牲にしてまでやるものじゃない。

 積極的に誰かに迷惑をかけて生きろ……とは言わないけどさ、

 もっと人を頼ってほしい。

 そしていつか、伊紗の本当にやりたいことが見つかったら、私は凄く嬉しいな』



数か月前に茜ちゃんに言われた言葉を思い出していた伊紗は、

「久城さん、大丈夫ですか?」と火月に声をかけられて我に返る。


『すみません。少し考え事をしていました。

 中道さん、今日は色々とお話して下さってありがとうございました。

 良かったらこれ、食べて下さい。私一人じゃ食べきれないので』


テーブルの上に置かれたたこ焼きの皿を一瞥すると、

軽く十個近くはありそうだった。


「ありがとうございます。それじゃあ、一つ頂きますね」


皿の端に置いてあった爪楊枝を手に取り、たこ焼きを口に入れた火月は、

咀嚼そしゃくをすればするほど顔をしかめる。


と言うのも、今まで食べたたこ焼きの中でも群を抜いて辛かったからだ。

少し咳き込みながらも、やっとの思いで飲み込んだ火月は

テーブルに置いてあった水を一気に流し込む。


「久々に食べましたが、最近のたこ焼きはワサビが入っているんですね」


眉間に手を当てながら何とか食べた感想を述べると、

久城 伊紗のメモ帳が視界に映る。


『実はこのたこ焼き、

 一つだけ大量のワサビが入っているロシアンルーレット風たこ焼きなんです。

 メニューにお勧めと書いてあったので、つい……』


申し訳なさそうにこちらを見る彼女を見て、

きっとお店の人の半ば強引な提案を断れなかったのだろうと察する。


「なるほど、理解しました。今日は運が良いのかもしれません」


そう言い終えた火月は、

たこ焼きに大量のワサビを入れるのがデフォルトになっていない事実に

心底安堵したのだった。

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