第201話 雲は竜に従い風は虎に従う

「何、考えてるの?」


居ても立っても居られなくなった伊紗いすずは、

図書室の入り口の方をボーっと見つめている茜に話しかける。


「あっ、久城さん! やっぱりここにいたんだ。

 一緒に外で遊ぼうって誘いに来たんだけど、

 ちょーっと皆と遊ぶのが難しくなったかもしれない」


何事もなかったかのように眩しい笑顔をこちらに向けて来る彼女に対し、

思わず自分の右手を強く握りしめた。


「別に私、皆と遊びたいなんて頼んだ覚えないんだけど……。

 それに、さっきのやり取りは何?」


キッと睨みつけると、茜が困った表情をしていた。


「もしかして、今までの話全部聞いてた?」


「うん」


「……そっか、別に変なことを言ったつもりはないよ。

 全部私の本心だし、自分の気持ちを正直に話しただけ。

 それをあの二人がどう受け取るかは分からないけどね」


隠すつもりは無いといった様子で茜が返答する。


「どうして施設で生活してることを話しちゃったの?

 皆とも上手くやれてたんだし、

 このまま隠し通すことだってできたはずなのに……。

 私に対する二人の反応を見れば、

 話すべきことじゃないことだってわかるでしょ?」


伊紗は茜に対して、苛立ちを抑えきれなくなっていた。

そう……彼女に感じていたもの、それは怒り以外の何者でもなかった。


順風満帆な学校生活を送れていたのに、それを自ら手放したのだ。

よりにもよって、その一端に自分が関わっていることも許せなかった。


「わからないなら教えてあげる。

 学校の中じゃ、皆と仲良くするのが一番なんだよ?

 私たちは普通じゃないんだから、波風立てずに過ごせれば、それで十分じゃない」


「じゃあ、久城さんはどうなの?

 転校してきたばかりの私でも、皆と仲良くしてるようには見えないけど」


「私は別にいいの。

 最初からずっとこんな感じだし、陰で何言われてもしょうがないからさ。

 でも内空閑さんは違う。

 施設にいるってバレなければ、絶対上手くいってたはずなのに」


二人の間に沈黙が流れる。

掛け時計の秒針の刻む音だけが図書室に響き渡っていた。


最初に口を開いたのは茜だった。


「普通じゃない……か。

 久城さん、私たちって不幸だと思う?」


そう言うと彼女がこちらを見てくる。

その表情は真剣そのものだった。


「そんなの聞くまでもないでしょ?

 少なくとも私にはもう親がいないんだから、不幸に決まってるじゃん」


「なるほどね。

 久城さんの理論だと、親がいれば幸せってことになるけどそれでいい?」


こくりと頷いた伊紗を確認すると、茜が話を続ける。


「例えば、両親のことが大好きな女の子がいたとする。

 両親も女の子のことを大好きだよと口では言ってるけど、

 果たして本当なのかな。

 全ての親は自分の子に対して、無償の愛を与えてくれるものだと断言できる?

 例え身体にあざができるような暴力を振るわれても、

 女の子はそれを愛情と受け取ることができるのかな……

 いや、愛情として受け取るしかないんだ。

 だから、その愛情が歪んでいることに気づくことができない。

 第三者の介入によって初めてそれが異常だと知ることになる。

 何が言いたいのかって言うとさ、親からの虐待を受けてる女の子は、

 果たして幸せなのかなってこと。

 それでもなお、久城さんは親がいた方が幸せだと思う?」


伊紗は即答することができなかった。


両親という存在は、

何時いかなる時でも自分の味方でいてくれる存在だと思っていたので、

そんなケースがあることを想定していなかった。


もし、自分が信頼していたはずの両親から虐待を受けたら、

その時のショックは計り知れないだろう。


窓際にゆっくりと移動した茜が校庭で遊んでいる生徒達を見下ろしていた。


「この世には幸も不幸もないんだって、あるのは思いの違いだけだって。

 だから、傍から見たら不幸に見える女の子も、

 本人からしたら幸せなのかもしれないね。

 久城さんも言ってたけど、私たちはさ、確かに普通じゃないかもしれない。

 でも、それは周りの人が勝手にそう思っているだけでさ、

 私たちまでそういう考え方になる必要はないんじゃないかな。

 親がいないから、施設に入っているから、

 だから、他の子とは違うって周囲に線を引いているのは、

 他でもない久城さん自身なんだよ。

 少なくとも私は今の生活を不幸だと思ったことはないかな。

 だって、こんなに本音で話せる友達がいるんだから」


内空閑 茜の顔を見ると、少し気恥ずかしそうにしていた。


彼女の言った内容を全部飲み込むには時間がかかるかもしれないが、

それでも自分の中でずっと感じていた周囲への引け目の正体が

わかったような気がした。


「馬鹿じゃないの? 意味わかんない……」


そう短く返事をすると、伊紗の目から零れ落ちた涙が静かにほおを伝う。


「あはは、私運動は得意だけど勉強はだからなぁ。

 でも、久城さんの百面相が見れたから、案外馬鹿も悪くないかもね」


茜が図書室の窓を開けると、クリーム色のカーテンがゆらりと風にそよぐ。


いつもと同じ場所にいるはずなのに、

この時だけはいつもと違う場所にいるかのような気持ちになった。

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