第198話 氷炭

「施設の中の説明は、ここが最後かな」


自分の部屋の前に戻ってきた伊紗いすずは、後ろを振り向きながら茜に話しかける。


十分程前に施設長(通称、成川なるかわ先生)から、

新しく彼女が施設に入るとの説明を受けると、

そのすぐ後に伊紗と同室だった子が施設を出ていくとの話があった。


あまり自分には関係ない話だと思い、

説明が終わるや否や自室へ戻ろうとしたのだが

成川なるかわ先生に呼び止められた伊紗は、

茜に施設の案内をしてほしいと頼まれた。


どうやら、茜が自分と同じ学校で

しかも同じクラスであるとの情報は既に把握済みのようで、

同い年でかつ顔馴染み?の自分に任せるがベストだと考えたのだろう。


ちなみに、一人分の空きが出来る私の部屋には

入れ替わりで茜が入る予定との話もあったので、

今の内にコミュニケーションを取っておけと暗に言われているような気がした。


本音を言うとあまり関わりたくはなかったのだが、

ここで我儘を言って先生を困らせるわけにもいかない。


何より、施設内での自分の立場を危ういものにしたくなかったので、

表向きには二つ返事で引き受けた。


「色々と説明してくれてありがとう。

 確か、同じクラスの久城さん……でいいんだよね?」


記憶を呼び起こそうと、思案顔で茜がこちらを見てくる。


「うん。

 今日初めて会ったのに、

 まさかここで内空閑うちくがさんに再会するとは思ってなかったから、びっくりしたよ」


「私も!

 クラスの中でも久城さんとだけちゃんと話ができなかったから、

 どんな人なのかなーって気になってたんだけど、

 まさかこんな形で会うなんて凄いよね!

 でも、知ってる人がいてくれて本当に良かったー」


緊張の糸がほぐれたのか、ほっとした様子の茜が顔をほころばせる。

学校での様子からコミュニケーション能力が高く、

緊張しないタイプの人間かと思っていたのだが、

どうやら彼女は彼女なりに気を遣っていたようだ。


「一応ここが私の部屋だよ。

 たぶん、近いうちに内空閑さんの部屋にもなるんじゃないかな」


ドアを開けて部屋の中へ入ると、彼女を招き入れた。


「うわー! 二段ベッドがある! 

 私一人っ子だから、ちょっと憧れてたんだよね」


まるで何処かのホテルに来たのでは?と錯覚させるほど、

彼女は終始嬉しそうに部屋の中を見渡していた。


きっと施設という場所自体が初めてで、

まだここで生活するイメージが湧いていないのだろう。


私も初めて施設に来た時は、同じような顔をしていたのかもしれないなと思った。


「それじゃあ、一回私は成川先生のところに戻るね。

 今日は本当にありがとう。

 そして、これから宜しくね!」


彼女が満面の笑みで右手を差し出してきた……が、

私はその右手をただ見つめることしかできなかった。


私が握手をしようとしないので、不思議そうな顔をした彼女と視線が合う。


「必要なことは教えるし、

 生活をする上で助け合うべきことは助け合っていきたいと思ってる。

 でも、仲良くする必要はないんじゃないかな。

 そもそも内空閑さんは私とは真逆のタイプの人だから、

 きっと話をしても面白くないと思うよ?」


同じ部屋になった子には必ずこの台詞せりふを言うようにしていた。

必要以上に、お互い干渉しないこと……

相手と自分との絶対的な境界線は常に引いておくべきだ。


人は一定の距離感があるからこそ、秩序を守ろうとするものだ。

そして秩序は、家族だからとか、友達だからとか

得体の知れない情が生まれることで簡単に崩れ去る。


誰かに期待することに疲れた伊紗にとって、

これは自分の身を守るためにやっていることの一つだった。


伊紗の発言に対してぽかんとした様子の茜だったが、

直ぐに大きな声を出して笑い始める。


別に面白いことを言ったつもりはなかったので、

今の状況が理解できず困惑していると、

ひとしきり笑い終え、涙目になっている茜と目が合った。


「急に笑ってごめんね。

 でもそれは久城さんのせいでもあるんだよ?

 さっき、自分と話をしても面白くないって言ってたけど、

 それは私がどう感じるかの問題であって、

 久城さんが心配することじゃないよ。

 それに私は、今話をしてあなたは面白い人だなーって思った。

 だから、心配しなくても大丈夫、きっと私たち仲良くなれるよ!」


そう言い終えると同時に、彼女が私の右手を強く握ってきた。

自分が予想していた結果とは真逆の結果になり、頭の中が混乱する。


この方法が全く通用しない相手に遭遇したのは今回が初めてだった。

心底嬉しそうに握手をする彼女の表情が脳裏に焼き付いて離れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る