第190話 本屋

少しだけ残業をして会社を出た火月が、

最寄り駅に到着したのは午後八時過ぎだった。


いつもなら改札を抜けて真っすぐに南出口へ向かうのだが、

今日は駅構内にある本屋へ立ち寄ることにした。


別にこれといって目当ての本があるわけではなかった。

ただ何となく寄ってみようという気になったのだ。


今は電子書籍が普及してきたことにより、

紙媒体の本の売り上げが減っているとのこと。


また、それに伴って本屋自体も店舗を減らさざるを得ない状況になっているらしい。


確かに、電子書籍は非常に便利なものだと思う。


個人的に何が一番良いかと問われれば、

やはり複数の本を一つの端末で管理できるので

自宅に保管場所を取らない点と答えるだろう。


今の時代、通勤通学に本を読む人がどれほどいるのか分からないが、

限られた鞄のスペースに本を入れるより、

端末で管理した方が持ち運びをしやすいという点においても

電子書籍に軍配が上がるはずだ。


故に中道 火月も電子書籍を利用している……と言いたいところではあるが、

火月自身、どちらかというと紙の出版物を好む傾向にあった。


より正確な言葉で表現するならば、

本屋で本を買うことを好むタイプの人間といった方がしっくりくるかもしれない。


本屋には当たり前だが本棚があり、

色んなジャンルの本を一度に目にすることができる。


そして、これこそが本屋の一番の魅力だと思う。


興味のない分野だったとしても、

タイトルだけは何となく視界に入ってくるもので、

ちょっと気になるタイトルやフレーズから本を手に取るきっかけが生まれ、

結果的に思わぬ名著と出会った経験は過去に何度もあった。


その偶然的、必然的……はたまた運命的な本との邂逅は

広大な海の中で宝を発見したような感覚に近い。


本屋へ立ち寄るという行為は、

今の自分にとって必要な本との出会いの場と言っても過言ではないだろう。


店内の中をゆっくり進み、ざっと周りを見渡す。

手前には新刊が並んでおり、

人の通りが多い通路の間には人気作の紹介コーナーが設営してあった。


久々に本屋へ寄ったので

今日は少し時間をかけて回ってみようと考えていると、

ふと胸ポケットに入れているスマホが振動していることに気づく。


着信相手を確認した火月は、

足早に本屋の出入り口に向かって歩き始めると、

スマホの応答ボタンをタップした。

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