第185話 来訪者

「もうお喋りは終わりかぁ?」


右目を包帯で巻いた男が話しかけてくる。


茜ちゃんが来たとばかり思っていた伊紗にとって、

見知らぬ人間との遭遇は完全に予想外だった。


少なくとも怪物の気配は感じない……なら自分と同じ修復者なのだろうか。

いや、扉に入る時に紅く点灯していた水晶の数は二つだった。


なら、この異界に入れる修復者の最大人数は二人のはず……

つまり、茜ちゃんと自分だ。


異界で修復者以外の人間?と遭遇する可能性も絶対に無いとは言い切れないので、

今回が初ケースと言われてしまえばそれで済む話なのかもしれない。


ただ、少なくとも今の状況に頭の整理が追い付いていないのは確かだった。


「おい、人の話聞いてるのか?」


男が目の前でしゃがみ込み、じっとこちらを覗き込んでくる。

その好戦的な目つきは、まるで今の状況を楽しんでいるかのように見えた。


全身に緊張が走る。

それは、単なる疲労からくるものではなく、

恐怖と言う名の動物の本能的な反応だった。


怪物とはまた異なる気配、絶対的な力量の差、

まるで蛇に睨まれた蛙のようにただジッとしていることしかできなかった。


すると男が独りでに笑い始める。


「別にお前をどうこうしようとは思ってねぇよ。

 まさか、自分が殺されるとでも思ったのか?

 殺す価値も無い。

 とくにお前みたいに何の覚悟も無い目をした人間はなぁ」


恐怖のあまり、

何も言葉を発することができなくなっていた伊紗が沈黙を貫いていると、

突如建物が大きく揺れ始める。


空中回廊の窓ガラスが一斉に割れ、廊下にひびが入り始めた。


「はっ、もう崩壊が始まりやがった。さっさと済ませちまうか」


そう言い終えると男がゆっくりと立ち上がり、

コートの右ポケットに手を突っ込みながら話を続ける。


「お前に聞きたいことはただ一つ、喋る鶏の怪物についてだ。

 知ってることがあれば全部教えろ。

 もちろん、俺もタダで情報を貰おうとは思っていない。

 こいつと引き換えでどうだ」


男がコートのポケットから何かを取り出すと、

倒れている伊紗の目の前に投げ捨てる。


疲労と恐怖で視界がかすむ中、

何とか目を細めてその物体を確認した伊紗は

自分の心臓がドクンと跳ねるのを感じた。


それは紛れもなくだった。


時計上部のリングには緑と白の線が入ったリボンが巻いてあり、

伊紗が右手に握っている懐中時計のリボンと色違いのものだった。


そして、その懐中時計の持ち主が

彼女の親友である内空閑うちくが あかねの所有物であることを伊紗が一番よく理解していた。


灰色になった時計の意味を察した伊紗は男をジッと睨みつける。


「はっ、さっきよりもよっぽど良い目つきになったじゃねぇーか。

 でもそれは俺の知りたい情報を持ってる目じゃねぇな。

 結局今回も外れだったか」


この男が質問してきた内容なんてどうでもよかった。

とにかく今は茜ちゃんのかたきを撃たなければ、

ただその思いが沸々と心の中で煮えたぎっていた。


「まぁいいさ、今回は貸しってことにしておいてやるよ。

 そのガラクタは俺には必要ないからなぁ。

 もし次会うことがあれば、その時に貸しを返してくれればいい」


倒れている伊紗に背を向けた男は、そのまま空中回廊を戻り始める。

男が進む方角は既に火の手が回っている別館の方だった。


再び大きな揺れが起こると、回廊の中心付近の天井が崩れ、

男の姿が見えなくなる。


同時に、伊紗が倒れている回廊も空中で分断されて、

ちょうど目の前の廊下が地面に落下していった。


このままだと自分が崩壊に巻き込まれるのも時間の問題だろう。

分断された空中回廊がゆっくりと傾き始める。


先ほど男が投げ捨てた懐中時計が、

回廊の傾きに合わせて、ゆっくりと滑り落ちていくのが見えた。


「っ!」


最後の力を振り絞った伊紗は、

崩れ行く回廊を飛び出し、空中に投げ出された茜の懐中時計へと手を伸ばした。


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