第4章 another side

第111話 桜

「要の攻め方は単純過ぎるの。そんなんじゃ、何時まで経っても当たらないねぇ」


「もう少し、手加減してくれてもいいじゃんか」

要が不満そうに口を尖らせる。


杖を構え、道場で要が対峙していたのは、今年で七十歳を迎える祖母だった。


要の実家は世間一般で言うところの『田舎』に分類される場所で、

近くにあるのは山と川くらいだ。


もちろん街灯なんてものが立っているわけもなく、

夜になれば辺り一面が真っ黒になる。


ゲームセンターやコンビニでもあれば、

暇つぶしには持ってこいなのかもしれないが、

子供の頃はもっぱら近所の山で虫取りをするか、川で遊ぶか、

もしくは実家の道場で杖道じょうどうの稽古をつけてもらうくらいしか

選択肢が残されていなかった。


先祖代々から受け継いできた道場は、地元ではそれなりに有名だったようで、

一時期は百人以上の門下生がいたらしい。


だが、師範を務めていた祖父が十年前に他界してから、次第に人は離れていき、

今現在、この道場で杖道を習っているのは身内である要一人だけだった。


「それは無理な相談だねぇ。

 あたしが生きている間は、要に一本も取られるわけにはいかないのさ」


「どう考えても、七十歳がする動きじゃないんだよなぁ」


「何か言ったかい?」


「いえ、何でもないです」


年齢の話をするのはタブーだった。

元々は祖母も道場の門下生だったらしく、

祖父に及ばないとはいえ、その腕前はかなりものだとか。


子供の頃から稽古をつけてもらっている要だったが、

一度も祖母に攻撃が入った試しがない。

それは十九歳になった今でも変わらなかった。


「身体は大きくなったし、力もついてきているみたいだけど、

 どんなに威力のある攻撃も当たらなければ意味がないの。

 そして、杖を振る理由を考えることが何より大事。

 力任せに振るう攻撃は、暴力と変わらないのよ」


『杖を振る理由……』


祖父も似たようなことを言っていたが、その意味は未だ理解できずにいた。

というのも要にとって杖道はやるべきものではなく、

小さい頃からやらされていたものであり、

今更意味を見出す方が難しいというものだ。


「わかったような、わからないような……」


歯切れの悪い返事をする要に対して、

呆れたような表情をした祖母が直ぐに杖を構える。


「それじゃあ、わかるまで叩き込んでやろうかね」


「ああ、そうだ! ばあちゃんに伝えることがあったんだ」


「何だい、くだらない話なら後で聞くよ」


「実は、来月から上京して大学に通うことになったんだ」

話題を反らすために早口で伝える。


「……そうかい、ようやく要も大学生になるんだねぇ。

 去年みたいに受験日を間違えて浪人する羽目になるかと思ってたんだけど、

 今年はちゃんと受験できたってことだ」

構えた杖をゆっくりと下ろし、しみじみと祖母が呟く。


「う、うん。その話はあんまり周りに言わないでもらえると助かるかな」


田舎の情報ネットワークは光回線よりも早い。

噂話なんてあろうものなら一瞬で広まるのが常だ。


「とにかく、そういうことだからさ。

 もう荷造りも始めようと思ってるんだ。

 だから、今日の稽古はこの辺で!」



……


…………



そそくさと道場を出ていく要の後ろ姿を見送る。


生まれてから一度も地元を離れたことが無いあの子が、

一人暮らしなんて出来るのだろうか……と少し不安に思ったが、

これもまた貴重な経験になるのだろう。


人間到る処青山有り、とはよく言ったものだ。


「真っすぐ過ぎるが故に、変なことに巻き込まれないといいのだけど……」


唯一そこだけが気掛かりだったので、思わず声が漏れる。


道場の窓に視線を向けると薄いピンクの花が目に止まり、

もう桜の咲く季節であることを思い出した。

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