第70話 電話

時刻は午前十一時を回ったところで、自席で仕事をしていると一本の内線が入る。


「お疲れ様です。中道です」


「あっ! 中道さんですか? お疲れ様です。藤堂です」


「どうかしましたか?」


「外線一番にお電話が入ってますので、ご対応頂いても宜しいでしょうか」


「わかりました。ちなみに何方からのお電話でしょうか」


「すみません、聞きそびれてしまいまいました。

 でも、お電話に出て頂ければ直ぐにわかるかと思います。

 それでは、お願い致します」


ガチャリと内線が切れる。


何か含みのある言い方が気になったが、

相手を待たせるわけにはいかないので、直ぐに一番のボタンを押す。


「お待たせしております」


「貴方が中道さん?」


話している最中だったが、受話器の向こうから高齢の女性の声が聞こえてきた。


「左様でございます。本日はどのようなご用件でしょうか」


「あぁ、そうでしたか。申し遅れました、私、北大路と申します。

 いつも息子がお世話になっております」


名前を聞いた瞬間、言葉に詰まる。

おそらく電話の相手は北大路の母親だろうか。

直ぐに頭を切り替えて返事をする。


「滅相もないことでございます。こちらこそ、いつもお世話になっております」


「お忙しいところ、ごめんなさい。実は息子のことで少しお話がありまして…」


「交通事故の件でしょうか」声を小さくして質問する。


「ええ。数日前に病院から交通事故の件で留守電が入っているのを

 今日、自宅に帰ってきて気づいたんです」


「今日…ですか?」


「実は1ヶ月くらい前に、夫が急に倒れてね。

 大したことじゃなかったんだけど、それ以来病院に通うことが多くなったの。

 数日前も、いつものように病院に行って、

 直ぐに帰って来るつもりだったんだけど、

 心臓の検査をするために入院することが急に決まってね。

 身の回りのこととか、面倒を見なきゃいけなかったら、

 どうしても泊まり込みが必要だったの。

 あの人、一人じゃ何にもできないから」


北大路の父親が倒れたことに関しては、以前話を聞いていたが、

まだ病院に通っているとは思っていなかった。


息子に心配をかけまいと北大路本人にすら、

今の父親の容態を伝えていなかったのかはわからないが、

彼の母親がここ数日、多忙な日々を過ごしていたことだけは分かった。


「そうでしたか」


「それで、留守電を聞いた時に本当に驚いたの。

 ただ、まだ夫は入院したままだから、どうしてもここを離れられなくてね。

 頼りになる親戚でもいれば良かったんだけど…

 そう思っていたら、貴方のことを思い出したの」


「私…ですか?」


「ええ。年に二回、家に帰ってきた時に、

 あの子が仕事の話をしてくれるんだけどね、必ず貴方の名前が出てくるのよ。

 俺には頼りになる同期がいるって」


少しの沈黙の後、意を決したのように北大路の母親が話を続ける。


「……これは本当に不躾ぶしつけなお願いになってしまうのだけれど、

 できれば、私の代わりにあの子の様子を見て頂いても宜しいでしょうか。

 こちらが落ち着いたら、私も直ぐに向かいますので」


声色から、その真剣さが窺える。


「私で良ければ、お引き受けいたしますよ。

 北大路さんにはいつも助けてもらっていますし、何より大切な友人ですから」


「どうもありがとう。

 あの子が信頼している人なら、私も心置きなく任せられるわ」


ほっとしたような表情が目に浮かぶようだった。


「そういえば昨日、お見舞いに行ってきたのですが、

 もう目を覚まされていましたよ。

 少し話もしましたが、元気そうでした」


「そうですか…それを聞いて安心しました」


「彼には、落ち着いたら電話をするように言っておきますので、

 今はお父様のことだけに集中して頂ければと思います」


「わかりました。

 色々とご迷惑をおかけしますが、何卒宜しくお願い致します」


「はい。お母様もどうぞ、お身体にはお気をつけて下さい。

 はい。それでは、失礼いたします」


相手が電話を切ったのを確認すると、ゆっくりと受話器を置く。


「あんなこと言っちゃって良かったんですか?」

いつの間にか後ろに立っていた藤堂が話しかけてきた。


「だって、北大路さんはまだ…」


「さて、何のことかさっぱりだな。

 それよりも、十一時三十分からの打ち合わせの資料は大丈夫そうか?」


「はい、バッチリです! そういえば、会社でもタメ口で話してくれるんですね」


ジッと藤堂の方を睨むと、嬉しそうな顔をしてこちらを見ていることに気づく。

やはり、この後輩の教育係は自分には荷が重いかもしれないと思う火月だった。

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