第21話 小悪魔編集ちゃんとあの人

 ということでいざ観覧車に乗るというところになって、急に様子が変になった咲夜氏。


 彼女はゲートへと歩いていく俺の後をついては来ているが、なんだかぼーっとしていて心ここにあらずという感じだ。


 なんで彼女がそんな状態になっているのかはわからないが、とにもかくにももうチケットは買ってしまったのだ。乗らないなんて選択肢はない。


 ゲートへとやって来た俺は受付のおねえさんに二人分のチケットを渡すと乗り場へと歩いていく。が、その直前に別のおねえさんから「あ、お客様」と声を掛けられたので二人しておねえさんを見やる。


 おねえさんは一眼レフを持っており、俺たちを近くの撮影用のパネルへと案内した。


 そんなおねえさんを見て、遥か昔に乗った観覧車の記憶が蘇る。そういえば昔、家族で観覧車に乗ったときもこうやって写真撮影されたよな。


 ということで半ば強制的に撮影パネルまで案内された俺たちはおねえさんから「はい、チーズ」と言われて写真を撮られた。


 無事、ラノベ作家と編集の写真撮影が終わったところで、俺たちはようやく乗り場へと案内される。が、俺の少し後ろを歩いていた彼女が不意に俺の服の袖を引いた。


「せ、先生……」


「なんだよ」


「私たち、どうして写真を撮られたんですか?」


 と、不思議そうに写真を撮られたことを尋ねてくる。そんな彼女に俺もまた首を傾げる。


「まあ観覧車ってこういうもんじゃないのか?」


「そういうものなんですか?」


 どうやら彼女はこの習慣を知らないようだ。俺はこれまで当たり前だと思っていたが、もしかしたらこれは俺の当たり前で、地域によっては珍しい光景なのかもしれない。彼女の出身地は知らんけど……。


「そういうもんなんだよ。後で気に入ったら今の写真が結構なお値段で買えるんだよ。まあ、買わないけどな」


 と、俺が説明すると彼女は感心したように頷いた。彼女は撮影ブースを眺めたままぼーっとしている。


「おい、乗るぞ……」


 と、そんな彼女に声を掛けると「え? は、はい……」と答えて再び歩き出した。


 そして、俺と咲夜は観覧車へと乗り込んだ。乗り込むと同時におねえさんがガシャンと外カギをかけていざ出発である。


 が、咲夜はドアを見て驚いたように目を見開いた。


「わぁ……カギ閉められました……」


 いや、さすがにこれは全国共通だよな……。


「逆にカギを閉められない方が怖いだろ……」


「え? ま、まあそうですが……」


 と、答えてしばらく黙り込む咲夜。観覧車はビルを抜けて都会の空をゆっくりと上っていく。


 観覧車に乗ったのなんて何年ぶりだ? 下手したら小学生の頃に家族で遊園地に行ったとき以来かもしれないぞ……。


 なんてわずかな揺れを感じながらそんなことを考える俺。と、そこで彼女は俺の袖をまた掴んで俺を見上げた。


「先生、観覧車って結構揺れるんですね……」


「まあ観覧車だからな」


 当たり前のことを口にするモードに入ったのか? この子は……。


 と、明らかにさっきから様子のおかしい咲夜を眺めていると、彼女は次に観覧車を支える巨大な鉄骨を眺めながらまた呟く。


「ギシギシ鳴ってます。大丈夫ですか?」


「大丈夫だろ。ってか大丈夫じゃなくても、もうどうしようもねえ……」


 俺たちはもう後戻りはできないんだ。仮に観覧車のボルトが10本ぐらい足りなかったとしても、俺たちに出来ることはなにもない。


 と、そこで彼女は掴んでいた俺の袖をぎゅっと力強く握ると、顔を俺の二の腕へと寄せてきた。


 おいおいどうした?


「ぶりっこアピールですか?」


 と尋ねると彼女はむっと頬を膨らませる。


「ち、違います……。けど思っていたよりも観覧車って怖いんですね」


「いや、観覧車なんて普通こんなもんだろ」


 少なくとも俺の記憶ではこんなもんだ。が、そんなこんなもんがどうも彼女には伝わらない。彼女は首を傾げると「そ、そうなんですか?」と俺に尋ねてきた。


 そんな彼女を見て、俺はある疑惑を彼女に抱く。


 このあまりにも新鮮な彼女の反応。


 これはもしや……。


「お前……もしかして観覧車乗ったことないのか?」


 あきらかに彼女の反応は初めて観覧車に乗ったそれである。さっきの撮影ブースと言い、ドアのカギと言い、彼女は当たり前の光景にいちいち反応してくる。


 が、そんな俺の問いかけに彼女はぎこちない笑みを浮かべて首を横に振った。


「え? そ、そんなわけないじゃないですか……えへへっ……」


 どうやら本当に初めてのようだ。


「変なところで見栄を張るなよ」


 と俺が言うと彼女のぎこちない笑みは苦笑いへと変わり「ご、ごめんなさい。自分で誘っておいて観覧車が始めてなんて言えなくて……」と素直に白状した。


「子どものころに遊園地とか行かなかったのか?」


 と、思わず尋ねてしまった俺だったが、尋ねてから少しだけ後悔した。


 普通は誰でも子どものころに遊園地ぐらいは行ったことがあるはずだ。そんな一見当たり前のことを経験したことがないということは、きっとそれ相応の事情があるのだ。もしかしたらその質問は彼女の心に踏み入りすぎたのではないかと心配になった。


 が、聞いてしまった以上、今更『今の質問はなしで』なんて言えるわけでもない。


 そんな俺の質問に彼女はしばらく黙っていたが、不意にまた苦笑いを浮かべると「わ、私、子どものころは、ほとんど入院していたので……」と答えた。


「にゅ、入院っ!?」


 と、その予想外な返答に思わず俺は目を剥いた。さっき後悔したばかりなのに、また良くない反応をした。


 そんな俺の言葉に咲夜はわずかに微笑むと「そ、そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」と答えた。


「ご、ごめん……でもちょっと意外だったから」


 正直なところ、今の咲夜しか知らない俺には彼女が病気がちだったなんて、想像もできない。


「ま、まあ色々あったんです。ですが、今はもう元気です」


 そう言って彼女は笑みを浮かべると俺に力こぶを作ってみせた。


 がなんとなく気まずくなってしまった俺たちは、またそれからしばらく沈黙した。


 ここは俺が積極的に話しかけて、この気まずい空気を打開するべきなんだろうけど、残念ながら俺は引きこもりの小説家だ。そんな気のきいたことはできない。


 悪いな咲夜。


「…………」


「…………」


 咲夜はしばらく窓の外を眺めていた。が、観覧車がちょうど真ん中から頂上へと向かって登り始めたころに、彼女は体を俺に寄せてきた。


「先生、ちょっとだけくっついててもいいですか? 思っていたよりも怖かったです」


 どうやら自分でも想像していた以上に高いところが怖かったようだ。まあ、ビルの上から見る景色と観覧車から見る景色では同じ高さでも印象が違うからな。


 そういえば俺も幼い頃は高いところが怖くて母親にくっついてたっけ?


 彼女はそれを二十歳を超えて初めて経験したようだ。


「まあ、別にかまわないけど……」


 と、俺が答えると彼女はぎゅっと額を俺の二の腕にくっつけてじっとしていた。


 が、こんなことをしながら観覧車に乗っていても何の意味もない。俺は彼女の肩をぽんぽんと叩く。


「いつまで縮こまってるんだよ。せっかく高い金を払って乗ったのに景色を見なきゃもったいないだろ」


 と、彼女に外を見るよう促すと彼女はさらに体を縮こませて「で、ですが……」と怯えたように答える。


 普段の彼女とは正反対だ。俺はこんなところで彼女の意外な弱点を見つけてしまった。


 だがやっぱり外を見なければ勿体ない。俺は再び彼女の肩をポンポンと叩いて外を見るように促す。


「ほら、綺麗だぞ」


「私のことですか?」


「景色のことだよっ!!」


 怖がるのかからかうのかどっちかにしろ……。


 彼女は軽口は叩きつつも俺の腕にくっついたまま微動だにしない。


 それでもさすがにずっとこうしていてもしょうがないことは彼女も知っているようで、彼女は決心をしたのかゆっくりと俺の腕から顔を放すと恐る恐る窓の外を見やった。


 が、腕だけはしっかりと俺の腕に絡めている。


「や、やっぱり高いです……」


「まあ値段ぐらい景色も高くないと割に合わない」


「で、ですけど綺麗ですね……」


「まあ眺めはいいな……」


 と、最初は怯えながら窓の外を見下ろしていた彼女だったが、徐々に高さに慣れてきたようで「綺麗……」と初めての観覧車からの景色を楽しみ始める。


 と、そこで彼女は俺の腕をぐいっと引っ張って窓の外を指さした。


「せ、先生見てくださいっ!! あ、あれって私たちのアパートですよねっ!!」


「え? 多分そうだな……」


 彼女の指さす先には俺たちが毎朝散歩をする川が流れていた。そしてそのすぐそばに俺の住んでいるアパートらしき屋根が見える。多分、位置的にもあれが俺の住むアパートだろう。


 彼女は何やら感慨深げにしばらくアパートの屋根を眺めていたが、不意にこちらに顔を向けると柔和な笑みを浮かべた。


「私たちってあんな小さなところで暮らしているんですね」


「まあ遠くから見ればどんな建物だって米粒みたいに小さいさ」


「なんだかミニチュアみたいです。あの中で生活をしているなんて不思議です……」


 と、言うと彼女は今度は向かいの椅子に移動すると自宅とは反対側の景色を眺めはじめる。


 どうやら高さにはすっかり慣れたようだ。しばらく興味深げに眼前に広がる光景を眺めていた彼女だったが不意に「あっ……」と何かに気づいたように声を漏らした。


「どうかしたのか?」


「え? いや、なんでもないです……」


 と、彼女はわずかにぎこちない笑みを浮かべて首を横に振った。が、彼女の視線は明らかにある一点を捕えていた。不思議に思った俺は彼女の視線の先へと目を向ける。


 そこには都心から目と鼻の先にある広大な住宅街が広がっていた。そして、その中央には広大な敷地に鎮座する白い建物が複数見えた。


 そして、彼女の視線は明らかにその建物を捕えている。


「もしかしてだけど、咲夜はあの病院に入院していたのか?」


 と、尋ねると彼女は少し驚いたように目を見開いたが「そ、そうです……」と素直に答える。


「県立中央病院です……。一番、東に経っている7階建ての建物の4階が私の病室でした……」


 県立中央病院……。


 俺はその名前に聞き覚えがあった。そのことに気づいたとき、自分の体が芯から震えはじめるのを感じた。


 あの人が入院していたのもそんな名前の病院だった気がする。そして、目の前の少女も同じ病院で入院していたという。


 いや、嘘だろ……さすがにそんなはず。


「せ、先生?」


 と、そこで俺の異変に気がついた彼女が首を傾げた。そして、すぐに何かに気がついたように大きく目を見開くと「ちょ、ちょっとストップです先生……」と俺を手で制した。


「わ、私じゃありません。編集長から先生の熱心な読者さんがいたことは、うかがっていますが、それは私じゃありません……。だからその……誤解しないでください」


 と、そこまで言われて俺は我に返った。


「え? あ、そ、そうだよな……たまたまだよな……」


 と俺はぎこちないのがわかっていながらも笑みを浮かべた。


 そうだ。さすがに偶然だ。それに仮に彼女があの人だったとしたら、そのことを黙っている理由なんてないのだ。


 なんでわざわざ素性を隠してまで俺の編集なんて引き受ける必要がある。


 確かに病院が同じだったことは驚いたけど、きっと偶然だ。


 俺は自分にそう言い聞かせて、全てを忘れると彼女と一緒に窓の外の光景を楽しむことにした。

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