第6話 小悪魔編集ちゃんに完全敗北

 ということで昼休憩に入った俺たちは、咲夜が作った朝食の残り物を二人で仲良くつつくこととなった。


 うむ、美味かった。


 ということで昼食をとり終え、しばらく休憩したところで俺たちは午後の執筆にとりかかることになった。咲夜の言っていたポモドーロだかロボトミーだかの集中法を試す時間だ。


 が、いよいよ執筆を始めようとなったところで彼女は「先生、ちょっとここでお利口さんにしていてください」とキャリーケースを持って何やら風呂場の方へと消えていく。


 そんな彼女を首を傾げながら眺めていたが、五分後、風呂場から出てきた彼女を見て俺は愕然とする。


「じゃあさっそく後半戦を始めましょう」


 と、言って何食わぬ顔で俺にぴったりくっつくように正座する彼女だが、さすがに、はいそうですかと見過ごすことはできなかった。


「あ、あの……咲夜さん?」


と、変種の名を呼ぶと、彼女は「なんですか?」と俺に顔を向けると不思議そうに小首を傾げる。


「なんか服装が、さっきと変わっている気がするのは僕の気のせいでしょうか?」


 さっきまで彼女は会社で使っているであろうスーツを身に纏っていた。が、今の彼女は違う。風呂場から出てきた彼女は何故か女子校生の制服を身に着けていた。


 校章の刺繍された茶色のブレザーとその中には少し胸元の苦しそうなブラウス。そして首元には赤いリボンがついている。そして下には膝上丈の紺のプリーツスカート履いており、スカートからは黒ストッキングに覆われた太ももが出ている。


 何をどう見ても高校の制服だ。


 俺がしばらく口を半開きにして呆然としていると、彼女は不意にはっとわざとらしく目を見開くと笑みを浮かべて「あ、気づきましたか?」と首を傾げた。


 気づかねえとでも思ったかっ!!


「どうですか? 4年ぶりに着てみたんですが……似合ってますか?」


 と、そこで彼女はようやく少し不安げな表情を浮かべる。


 正直なところめちゃくちゃ似合っている。そもそも彼女は缶ビールを買うだけでも年確をされるレベルの幼い顔立ちなのだ。街を歩いていたとしても誰もこいつを偽物だとは思わないだろうさ。


 だけど、それを素直に認めるのは癪だ。俺はあえて彼女の問いには答えず「どういう風の吹き回しだよ」と逆に尋ねてみた。すると彼女は少しムッとしたように頬を膨らましたがすぐに悪戯な目で俺を見やった。


「先生もそろそろチラ見に飽きてくる頃かと思いまして、少し趣向を変えてみました」


「どういう気の遣い方だよ……」


 ってか彼女が俺のチラ見を飽きさせない理由が俺には思いつかないんだけど……。


 苦笑いを浮かべていると、なにやら彼女は俺の方へと身体を向けて正座を崩し始める。そして左手を床につき、ぎゅっと握った右手で口元を隠すと何故か俺を上目遣いで眺める。


 そして……。


「せ、先輩……今日、私の家誰もいないんです……」


 と呟いて伏し目がちになる。


「なっ!?」


 あーやばいやばい。なに今の……。


 もちろん俺をからかうつもりなのはわかってるけど、思わず俺の中の何かが揺さぶられたわ……。


 どうやら俺の動揺は表情に出てしまっていたようだ。彼女は一瞬だけ満足げにニヤリと口角を上げた。が、すぐにまた恥じらうような表情を浮かべる。


 そして今度は、


「岩永先生……秘密の授業って……どういうことですか? 勉強を教えてくれるんじゃないんですか?」


 と、初心な乙女のように両手を胸に当てながら首を傾げた。


 あーさらに背徳感がやばい。


 先生ってなに? たぶん小説家の先生ってことじゃないよね? 先生に連れられて咲夜ちゃんはこれから何をされるの?


 思わず息を呑んでそんな彼女を見つめていると、不意に彼女はニヤリと口角を上げて俺の耳元に唇を寄せると「先生のえっち……」と囁いた。


 俺の負けです……。


 敗北にうなだれる俺。そんな俺に咲夜は「素直になることは悪いことじゃないですよ」と励ましになってない励ましをくれた。


「というわけで先生、執筆を始めましょう」


 何故か編集は俺の心を折ったところで、執筆を促してくる。どうやら今のは単純に制服姿を褒めなかった俺への報復以外の意味はないようだ。


 俺は「はい……」と小さく返事をするとキーボードへと手を置いた。


 それから俺は気を取り直してなんとか原稿を進め始める。そして、15分ぐらい執筆を続けたころだろうか同じくPCを眺めていた咲夜が「はい、ストップです」と俺の執筆を止めた。


 おいおい突然なんだ?


 彼女を見やると彼女は「先生、手を止めてください」とやっぱり俺の執筆を止めてきた。


「お、おいちょっと待てよ。やっとエンジンがかかり始めたところなのに……」


 ようやくさっきの敗北から立ち直ってきたところなのだ。このままの勢いでさらに原稿を進めたい。


 不満を表情に出すと咲夜は「はいはい、拗ねないでください」と俺をあやすように頬を緩めた。


「ここから15分の休憩時間です」


「休憩?」


 彼女は頷く。


「これがポモドーロテクニックという集中法です。こうやって時間を区切ってオンとオフを明確にして集中力を持続させるんです。先生はおそらく初めてだと思うので、まずは15分書いて15分休むというのをしばらく続けましょう」


「な、なるほど……」


 なるほど、これがロボトミーテクニックというものらしい。


 なんだかまだ描き続けたくてムズムズするが、ここは彼女の提案に乗ってみよう。俺は一度キーボードから手を放すと「ふぅ……」と深呼吸をした。


「先生、自由にしてていいですよ」


「いや、自由にって言われても頭は完全に執筆モードに入ってるし……」


「先生は私の胸が見たいんですよね? 今ならいくら見ても文句は言いませんよ」


「いや、いつ俺がそんなこと言ったんだよ……」


「さっきから先生の目がチラチラとそう訴えかけてますけど?」


「…………」


 完全論破された。


 ダメだ……。意識的に見ているわけではないんだけど、ついつい視線が窮屈そうな彼女の胸元にいってしまう。


頭を抱えていると咲夜は呆れたようにため息を吐く。


「先生、女の子って意外と男の人のそういう目線には気がつくものなんですよ? 私ならからかうだけで済みますけど、街を出歩くときは気をつけてくださいね……」


「ご丁寧にアドバイスありがとうございます……」


 と呆れたように俺を眺めていた彼女だったが、また不意に不敵に笑みを浮かべる。


「先生、原稿を頑張ったご褒美に休憩中だけは私の胸……見てもいいですよ?」


「いや、改まってそう言われると逆に見づらいんですけど……」


「へぇ~じゃあ見ないんですか? 先生って意気地がないんですね。本当は見たいんでしょ? 見たいなら見てもいいんですよ? こうやって先生を喜ばせるのも編集の仕事ですし……」


「いや、それは編集の管轄外だろ……」


「いいんですか? 今だけですよ? 後で後悔しても知らないですよ?」


「タイムセールみたいな言い方するのやめてくれませんか? で、本当にいいんですか?」


 あぁ……俺の理性……弱い……。


「いいですよ。私は絶対に怒りません。ただ今後先生のことを心の中で軽蔑し続けるだけです」


「OH……NO……」


 だ、だけど軽蔑の目で見つめられたい自分を完全に排除できないのが悲しい……。


 二度目の完全敗北をした俺は再びうな垂れた。



※ ※ ※



 結局、俺はうなだれたまま執筆再開の時間を迎えた。が、なんとか気持ちを切り替えて執筆をして休憩中に咲夜に心を折られ、また執筆を続けというのを繰り返して夕方を迎えた。


 そして、


「はい、ストップです。手を止めてください」


 という合図でキーボードを打つ手を止めた俺は時計に目をやった。いつの間にか時刻は午後5時を迎えていた。


「はぁ……疲れた……」


 とパソコンを除けてこたつにヘタレこむ俺。


「ふむふむ5000文字ですか……。今朝書いた3000文字と合わせてだいたい8000文字ぐらいですね。よく頑張りましたね。えらいえらい」


 と、俺の頭を撫でてくれた。


「実際にやってみてどうでしたか?」


「そうだな。確かに最初は戸惑ったし思うように書けない部分もあったけど、徐々にコツを掴めばメリハリがついて作業に集中できた気がする」


 休憩のたびに心を折られることを除けば、このやり方は確かに集中力が持続するような気がする。もちろん続けていくうちに疲れは来るが、それでも集中力が切れてだらだらと執筆を続けるというのはなくなった気がする。


 さすがはロボトミーだ。


「現にトータルで見ればこちらの方が文字数は多いですね。今はまだ慣れないようですが、繰り返すうちに文字数はどんどん伸びると思います。この調子で頑張ればいけますよ」


 そう言って彼女は俺を励ますように可愛らしく両手でガッツポーズをした。


「お、おう……なんかわからんけど、少しだけいけるような気がしてきたぞ」


「そうです。そうやって自分に自信を持つことが大切です。先生にならきっとできます」


 なんというか意外なことに彼女はなかなかのおだて上手だと思う。心を折られるのは勘弁してほしいが、それでも俺は今朝の散歩から始まり、彼女にうまく乗せられていつも以上のパフォーマンスを出すことができた。


「じゃあ今日の執筆はこれぐらいにして、先生、夕食用の買い物に付き合ってください」


「おう……朝飯前でぃ……」


 と、こたつにヘタレこみながら返事をすると彼女は立ち上がって、キャリーケースから財布を取り玄関へと歩いていく。


 いや、ちょっと待て……。


「おい、咲夜さんや」


「なんですか?」


「その恰好でお買い物でいくつもりですか?」


 彼女は制服を着ているのだ。まあ見た目は完全に高校生だけど、そのままの格好で買い物に行くのは色々とマズい気がする……。


 が、そんな俺に咲夜は「着替えるのも面倒ですので」とあっけらかんと答えた。


「いや、制服姿の咲夜の隣を俺が歩けば、絵面的に色々とマズいだろ」


 彼女は確かに女子校生に見える。だけど、俺は24歳の年相応の見た目をしているのだ。傍から見たら怪しい大人と女子校生が一緒に歩いているように見える。


下手したら通報ものだぞ……。


 が、そんな俺の心配に咲夜は「じゃあ先生はこれを着て下さい」と学ランを掴んで俺に差し出した。


「いや、俺がこれを着ても学ランを着たどうみても高校生には見えない男が、女子校生と一緒に歩いているというさらにヤバい絵面になるぞっ!!」


 そんな俺の指摘に咲夜は「え? ま、まぁ……」と否定できなかったようで苦笑いを浮かべた。


 が、すぐにひきつった笑みを浮かべると「ま、まあなんとかなるでしょっ!! えへへ……」と俺に学ランを押し付けた。


 こいつ完全に笑いで誤魔化したぞ……。


 多分だけど、俺に拒否権は無さそうだ……。

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