第4話 小悪魔編集ちゃんは寝落ちする

 ということで半年ぶりぐらいにシャワーではなく湯船に浸かることになった。


 正直なところ身体さえ洗って清潔にしていればいい派の俺としては、長時間の入浴なんて煩わしい以外のなにものでもなかったのだが……。


 わ、悪くないかも……。


 そんな俺の凝り固まった考えが疲れとともに全身から浴槽に溶け出すのがわかる。どうやら彼女は入浴剤を持ち込んでいたようで、湯船は真っ白い濁り湯になっていた。


 それとも万が一にも俺に覗かれるのを警戒したのだろうか?


 プラセボなのか効能なのかはわからないが、この濁ったお湯に長時間浸かっていると目に見えて体から力が抜けていくのが分かった。


 たまにはこういうのもいいな。なんて考えながら、結局俺も20分近く風呂でゆっくりしてから風呂から上がった。が、部屋に戻るといつの間にか咲夜の姿が消えていた。


 あれ? なんて考えながらタオルで頭を拭いていると、ドアが開きコンビニの袋を持った咲夜が中に入ってくる。


「あ、ただいまです……」


 と、風呂上がりの俺を見て彼女はにっこりと微笑む。


「もうすっかり冬ですね。パラパラと雪が降っていて手がひえひえです……」


「そりゃその恰好で外に出たらそうだろうな……」


 彼女は例のドスケベネグリジェにピンクのコートを羽織っただけの姿で徒歩5分近くかかるコンビニへと行っていたようだ。いくらコートを着ていたとはいえコートを一枚脱げば肌着である。


 彼女は俺のもとへと歩み寄ると手の甲を俺の頬に当てた。


「冷てっ!?」


「えへへっ……冷たいでしょ?」


 と俺をからかいつつも本当に寒いようで、必死に両手に息を吹きかけていた。


「お湯に手、突っ込んで来いよ」


「はい、そうします……」


 そう言って鼻をすすると風呂場の方へと歩いていく。が、その直後風呂場から「あつっ!?」と悲鳴のような叫び声が聞こえて笑いそうになった。


 どうやら寒暖差にやられたらしい。


 しばらくしてタオルで手を拭いながら彼女は部屋に戻ってきた。


「はい、先生のために缶コーヒーとチョコレートを買ってきましたよ。頑張ってくださいね」


 彼女は袋から缶コーヒーと板チョコを差し出し、俺が受け取ると今度は缶ビールとやっちゃんイカを取り出した。


「おい……なんだよそれ……」


「何って缶ビールですけど……」


「もしかして飲むつもりか?」


 え? この子お酒飲めるの?


 と、俺が不思議そうな目で彼女を見つめていると、彼女は俺の言葉が理解できたようで、ムッと頬を膨らませた。


「言っときますけど、私ちゃんと成人してますっ!! レジで年確はされましたけど……」


 やっぱりな。俺が店員でも年確してたと思う。


「あ、ちゃんと先生の分も買ってありますよ。冷蔵庫で冷やしておくので原稿が落ち着いたら飲んでくださいね」


「お、おう……」


 そう言って彼女が冷蔵庫に俺の分の缶ビールとやっちゃんイカを入れるのを確認すると、コーヒーとチョコを持ってちゃぶ台へと戻った。


 パソコンを開き書きかけのプロットの続きを入力していく。


 彼女はコートを壁に掛けると、俺のもとへとやってきて、俺のすぐ隣にぴったりと座るようにこたつに足を入れてきた。


 相変わらず近いなぁ……。


「それよりも進みましたか? 原稿」


「いや、風呂に入ってたんだし、全然進んでねえよ。まだ絶賛プロット練ってるところだ」


 彼女は「どれどれ?」とパソコンを覗き込んでくる。そして「なるほど……」と呟く。


「やっぱりヒロインは小悪魔の女の子なんですね……」


「だったらなんだよ……」


 そうだよ。俺の十八番だよ。


「なになに? 童顔の癖に巨乳で、人懐っこくて図々しい。コミュニケーションの鬼……ですか……」


「まあな。イラストを見る限りこういうヒロインかなって思ってな」


「これって私の悪口ですか?」


 と、すかさずヒロインのモデルが自分であると見抜いてくる彼女。


 が、もちろん俺は認めない。断じて認めない。


「いや、あくまでキャラクターの設定だ。もしもそれが自分だと思うのならそれは自分に身に覚えがあるんだろ」


 そう答えてやると咲夜は俺をジト目で見つめて「先生って意外と意地悪なんですね……」と呟いた。


 が、すぐに気を取り直したのか彼女はテーブルに置いた缶ビールを手に取ると、これ見よがしに俺の顔の前でプシュッと缶ビールのプルタブを開けてくる。


 おうおう旨そうな音立てますなぁ……。


 そして、さらに彼女は俺の顔の前で缶ビールを晒して、見せつけてから缶に小さな口を付けた。


「ぷはーっ!! キンキンに冷えてて美味しいですっ!! それにおつまみも美味しいです」


 どうやらさっきの仕返しのつもりらしい。


「仕返しのつもりか?」


「仕返しじゃないです。ただビールが美味しかっただけです。それに先生だって原稿が終われば飲めますよ? ほらほら、先生はコーヒーを飲んでてください」


 そう言って缶コーヒーを俺に差し出してくるので、俺はやけになって缶コーヒーを一気飲みしてやった。


 あぁ……苦い……けど、今俺が欲しているのはホップの苦みなんだよ……。


 だがこんなしょうもない挑発には負けているわけにはいかない。俺は横でプハプハ言う編集をガン無視してキーボードを叩く。


 それでも咲夜はそんな俺の注意を自分に向けようと、わざとらしくプハプハしてくる。


「ほらほら先生も早くこちら側に来てください」


「覚えてろよ……」



※ ※ ※



 と、一秒でも早くプロットを終わらせようと鬼の形相でキーボードを叩いていた俺だったが終わりの見えない作業に、さすがにへとへとになっていた。


 さっきまで俺を煽っていたはずの咲夜は俺にもたれ掛かったまま、小さく寝息を立てている。


 変な小悪魔癖さえなければ、純粋に可愛いんだけどな……。


 と、そんなことを考えて彼女を眺めつつも、ゆっくりと彼女の身体を揺する。


「おい編集」


「んんっ……咲夜です……」


 ちゃんとそこだけは覚えてやがるのかよ……。


「おい咲夜、こたつで寝たら風邪ひくぞ?」


 そう言って小さな体を揺すると彼女はゆっくりと瞳を開いて俺を見上げた。


「ご、ごめんなさい……私、眠ってましたか?」


「ああ、ばっちりな」


「先生の原稿が落ち着くまでは起きてるつもりだったのですが」


 目を擦りながら赤く充血した目でそう答える咲夜。


「そんなことしなくてもいいよ。咲夜は咲夜で今日一日忙しかったんだろ?」


「え? ま、まあ、そうですけど……それとこれとは……」


 と、彼女は無駄に編集としてのプライドがあるようで頑なに俺が終わるまで起きているという。が、彼女の瞼は今すぐにでも眠りたいと主張して、彼女の意志とは反して瞳を閉じようとしている。


「今日はもう寝ろ。もう2時前だぞ。お肌にも良くないぞ」


「クスッ……先生ったら、私のお肌の心配なんてしてくれるんですか?」


「ごめん心にもないことを言ったよ」


 と、ここにも思っていなかったことを謝罪すると彼女は唇をツンと尖らせた。


「先生はやっぱり意地悪ですね。ですけど、編集として先生の仕事が終わるまでは私も眠るわけにはいきません」


「俺には俺の仕事があるように、編集には編集の仕事があるんだ。俺は多分、明日の午前中は死んでると思うから、お前に起こしてもらわないといけないんだ。だからもう休め」


 さすがに子どもはもう寝る時間だ。俺は真面目な顔で「ほら、もう寝ろ」と言うと彼女は観念したのか「わ、わかりましたよ……」と少しムッと頬を膨らませた立ち上がると、キャリーバッグから寝袋を取り出した。


 どうやら彼女はこれで眠るらしい。


「じゃあ寝袋を被ってギリギリまで先生の仕事を見守ってますので、もしも途中で力尽きたら私の体を横向きにしておいてください」


 咲夜はそう言うと寝袋に足を入れてミノムシみたいになると何故かまた俺の隣に腰を下ろした。


 なんか変なミノムシが俺の横に座ってるんだけど……。


 フードまでしっかり被って完全防寒した彼女は、俺にぴったりくっついて座ったままPCを眺めている。


「変な目で見ないでください……」


「変な格好をするのはやめてください」


「言っときますけど、これはNAS〇開発の保温性に優れた寝袋なんです。そんな風にバカにするなら、貸してって言っても貸しませんから」


 いや、俺には布団があるんだよ……。と言いつつ再びプロット執筆を再開すると数分後にはまた咲夜は可愛い寝息を立て始めたので、彼女の言葉通り彼女を横向きにしておいてあげた。



※ ※ ※



 かくして俺は深夜4時前まで執筆を続けてようやく最低限のプロットを作り上げた。夢うつつ状態で布団を敷いて潜り込むと、そのまま気絶するように眠りに就いた。


「先生……起きてくださいっ!! 朝ですよっ!!」


 朝、俺はそんな声で睡眠を妨害されてゆっくりと目を開いた。すると、スーツにエプロンというなんともシュールな格好をした女の子が俺の顔を覗き込んでいた。


 あぁ……そういえば昨日から編集が居候してるんだったっけか?


 なんてぼーっとする頭で彼女の顔をしばらく眺めてから、今度は六畳間を見やる。


 ん? と、そこで俺は異変に気がついて急に頭が覚醒した。


「こ、ここはどこだっ!?」


 なんだか目の前に見覚えのない部屋が広がっていた。いや、正確に言えば俺の部屋とよく似た部屋だし、置かれている家具も一緒なんだけど、なんだか全体的に配置が換わっており……なんかすっきりしてる。


 その部屋の変貌ぶりに呆然としていると咲夜は「どこって先生の部屋ですけど……」と呆れたように首を傾げた。


「なんかめちゃくちゃ部屋がきれいになってるんだけど……」


「これが普通の部屋なんです。先生が掃除しないのが悪いんです」


 どうやら彼女が掃除をしてくれたらしい。明らかに目に見える床の面積が広がっており、俺が放り投げていた漫画雑誌やコンビニ弁当の容器もきれいさっぱりなくなっている。そして、部屋の隅に置かれたゴミ袋には部屋のごみが一堂に会していた。


「あ、ありがとう……」


 俺が素直にお礼を述べると、彼女は「素直にお礼が言えて偉いですね」と微笑んだ。


「先生、朝ごはんの前に散歩でもしましょうよ」


「散歩? いや、起きたばっかだけど……」


「起きたばっかだからです。一緒に日光を浴びてお日様から元気を貰いましょう」


 かくして俺たちは朝っぱらから散歩へ出かけることになった。

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