クライアント 古四季陽世子 1

 いちごが見つけたその赤毛の女は名前を古四季陽世子こしきひよこと言った。

 陽世子ひよこの赤毛のその髪型は、いたずらっぽいオン眉の前髪にリップラインのフレンチボブ。髪が多いのか小さな顔との対比がそう見せるのか、その髪はやたらとボリュームがあって、くるりとカールした両頬にかかる横髪がおしゃれなアクセントになっていた。

 ファッションショーから抜け出したようなスタイルのフリフリのミニドレスをいちごは大いに気に入ってしまったようだ。


「この数日、偶然にも多くの出来事が私の命を脅かしている。『偶然』にもだ。聞いてほしい」


 その顔も声もファッションも、細身だが鍛えられた体も、おそろしくフェミニンなのに、彼女の話し方は男のようだった。


「まず初めは……そう、私はイイ気分で道を歩いていた。ちょっとした『やり遂げた感』に浸っていたのだ。天気も良かったしね。そのとき、よそ見した運転手のトラックが向こうから私に向かって突っ込んできた。たまたま、私のほうが先にトラックに気づいたからよかったもの、そうでなかったら私は跳ね飛ばされていただろう。そのトラックをギリギリ避けて命拾いしたと思いながらまた歩いていると、今度はビルの工事現場の上から鉄骨が降ってきたのだ。ギリギリ避けた。そう、またギリギリだった。鉄骨はアスファルトに深々と突き刺さった。あれを避けなければ私に深々と突き刺さっただろう。イイ気分が一気にイヤな気分に変わった。イヤな事が立て続けに起きれば誰だってそうなるだろう? その日は自分へのご褒美で新しいドレスを買いに行くつもりだったのだ。そう、靴も揃えようと思っていたのに、そんなお祝い気分が台無しだったのだ。

 私はそうそうに家に引き返した。その日はもう外には出たくなかった。家でリラックスしてたら、玄関のチャイムが鳴った。何か届け物だろうと思ってうかつにもそのままドアを開けたら、刃物を構えた知らない男が立っていた。私はとっさにそいつの股間を蹴り上げてドアを締めた。そいつはしばらくドアの外でのたうち回っていたようだが、やがてどこかに消えてくれた。

 私はふて寝を決めた。そんなときは寝るに限る。そうだろう? そうして翌日、私は気分を改めて街に様子を見に出かけた。今度は思い切り用心深くね——。欲しいドレスもあったし。ブティックへ行くのには地下鉄が便利だった。私は地下鉄の駅に続く階段を降り始めた。うしろから女子高生らしい女の子達がはしゃぐ声が聞こえた。可愛いもんだ。私にもそんな時代があったな。二年程昔の大昔だ——そんなことを思っていたら、その子達の明るい声が叫び声に変わった。振り向いて見れば急な階段を制服の女子校生が私めがけて転げ落ちてくるではないか。足を踏み外したらしい。私はとっさに階段の手すりの上で倒立さかだちした。女子高生は私の立っていた場所から数メートル下った所で止まった。周囲の者たちは目を丸くして私と女子高生を見ていた。私もその子も下着をまる見えにさらしていたのだ。悔しいやら恥ずかしいやら——。私はその女子高生を助け起こして先を急いだ。どうしても例のドレスが欲しくなったのだ。靴もね。時として、邪魔者や抵抗力は目的遂行の心を大いに燃え上がらせてくれるものだ。そうだろう? つまり、私の勝利はお目当てのドレスと靴をゲットして無事に家に帰り着くこととなったのだ。しかし、私の行く手を阻む不吉な偶然はそれで終わらなかった。車が衝突して電柱が私のほうに倒れてきたり、引っ越しで吊り下げたグランドピアノが私の上に落ちてきたり——ああ、もう! あまりにそんな偶然がたびかさなって、後は以下同文いかどーぶんでいい。何しろ、そんななのだ。それでも私は勝たなければならないのだ。助けてほしい。いや、助けろ」

 陽世子はそこまで言ってやっと息を吸った。おどろくべき肺活量だった。話を聞いていた僕は自分も呼吸を止めていたのに気がついて深々と息を吸った。


——かなり強めにクラっと来た。


 しかし、やたらと『偶然』を強調するな——僕は思った。


「さっきもここに来る途中で偶然、タンクローリーが突っ込んできたのだ」陽世子は話を追加して言った。

「偶然タンクローリーですか?」さっきの爆発音はそれだったのか——。そりゃ豪気なことだ。

「あれも危ないところだった」陽世子はいちごが持ってきたお茶の湯呑を持ち上げてクッと一口飲んだ。そしてからハッとした表情になって、いちごを見て言った。

「まさか、これに毒が入っているとか、ないだろうな?」

いちごはクスリと笑って言った。

「ないよ。そんなことしないよ。ひよこちゃん、カワイイし……」

「そうか、疑って悪かった。どうやらきみは私の味方のようだな」いちごの言葉をアッサリと受け入れる陽世子だった。

「ち、ちょっと待ってください! 『カワイイ』と言うのが、味方である確証になるのですか?」

「ふふふ、私の中ではそうなのだ。特に相手がこのならね」

 顔を見合わせて微笑み合ういちごと陽世子。

 なんか、もう心が通った風な二人だった。


 陽世子はよく喋った。ひよこのようにぴよぴよ喋り続けた。それも男言葉で——。

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