クライアント 遠山金魚 7

「りーん、りーん」事務所の呼び鈴が二度鳴らされた。

「はい、今開けます」僕が扉を開ける。

「あ……」僕と金魚が同時に声を上げる。そこにはセーラー服の金魚が立っていた。

「来ちゃった」いちごが通訳する。あのお祭りの日から一週間。平和な週末の朝だった。

「ん……」お泊りセットを詰め込んだボストンバッグと刀のケースを肩から下げて言う金魚。

「お祭りの日のやり直しだよ。やっくん?」いちごは青ざめながら通訳してくれた。

——やり直しって、その刀はいらないだろう? やっくんこと僕は心の中で叫んだ。


 なにはともあれ、遠方からの来客である。来ちゃったのだから仕方ない。突然の凶報に心を鎮めたかった僕は台所に引っ込んで金魚のためにお茶を用意することにした。心臓がバクバクしている。

 見ればいちごは完全に取り乱していた。彼女は蒼白な顔で僕のスーツの裾をつかみ、引きつったリズムでその場足踏みをしている。その目は虚空を見つめていた。僕のほうがそうしたい気分だよ!


「まあ、座ってお茶でも……」なんとか時間を稼ぐ方法を考えながら、お盆にお茶の入った湯呑を乗せて部屋に戻った僕。

 しかし金魚は帰り支度をしていた。彼女は戻ってきた僕の姿を認めてうつむき加減に「うん……」と言う。

 いちごが訳す。

「ごめん、やっくん。自分、その机の本、勝手に見ちゃったよ」

「え? この本ですか?」僕は机の上で開かれている例の黒い革表紙の大きな本に手を乗せた。

 金魚が言う。

「やっくんの心に誰かがいるのが分かったよ」それは金魚の『あう……』をいちごが訳した声だった。

 僕はうつむく金魚を見つめて立ち尽くす。

「その人は多分、もう死んじゃったんでしょ?」と金魚。いちごは訳しながら神妙な表情だった。

「その人のことを自分が超えられるまで、自分はやっくんのナンバーワンにはなれないんだね」金魚は顔を上げて切れ長の美しい目で僕を見つめて言った。


「でも、諦めたと思わないでよ。今日は帰るけど、次は準備してやっくんのナンバーワンになるために出直してくるから——」金魚の目から光る一筋が落ちた。


 金魚は不思議な娘だった。彼女は本人も自覚もしている『口下手』なのだけど、そのコミュニケーション能力は驚くべきものを持ってるようだった。いや、口下手だから。——かも知れない。

 何より、僕の黒い革表紙の大きな本に書き込まれている内容は、普通の人間には読めるはずもない、異界の言語で書かれているのだから。


 文字を読んだのではないのだ。金魚は。そこに記録されている僕の心を読んだのだ。

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