クライアント 遠山金魚 6

 丘のてっぺんには小さな神社があり、その敷地の隅に人垣が出来て歓声をあげている。金魚が僕の手を取り、その人の群れに分け入る。

 竹を組んだ膝ほどまでの垣根が囲む舞台の中心に金魚のひい爺ちゃんがいた。つるつるの禿頭を手ぬぐいの鉢巻でまいて、ふさふさとした白ひげを風に揺らし、小柄ながら筋骨逞しい体には白い道着に黒い袴姿で、腰に刺した日本刀のつかを握りしめ、胸を張って立っていた。

 それは、——メチャメチャ元気そうだった。

 助手らしき男が大根を投げる。目にも止まらぬ速さで刀を繰り出すひい爺ちゃん。「ひゅっ」と風を切る音を残してバラバラに切り刻まれた大根が地面に落ちた。大根が着地したとき、すでに刀身は鞘に収まっているのだった。観衆はどよめいて拍手する。


「き、金魚さん? あれが例のひいお爺さん?」

「そうだよ。間に合ってよかったよ。もうあんなに息切れしてるし」 見ても全くそんなふうには見えなかった。というか、あれで九十歳なの? 

「一体どこを見るとあの超人が来年までもたない程弱っていると思えるのですか?」

「だって、もうボロボロじゃん? 今の見たでしょ? 太刀筋たちすじもヨレってるし、腰も座ってないし」——そうなのか? 金魚から見るとあのスゴ技がそう見えるのか? 金魚よ、あなたって人は——。

 あのとき、権蔵が駆けつけなかったら僕はもしかしたら、複数形になって畳に転がっていたのかもしれない。切られたことにも気づかないうちに——。


「金魚ではないか!」演武が終わって、鉢巻にしていた手ぬぐいで首筋を拭いながらその超元気そうな老人は言った。

「あう……」金魚は一歩出て、ひい爺ちゃんに小さく手を振った。

「相変わらず口下手じゃのう。お前さんは何を言っているのかさっぱりわからん」それでもひい爺ちゃんは金魚の頭を撫でてうれしそうな笑顔を見せた。なんか、あのカミソリみたいな金魚が子猫みたいになってる——。

「うも……」金魚が僕の腕を引っぱってひい爺ちゃんの前まで連れてくる。

「爺ちゃん、自分、彼氏が出来たよ」金魚の『うも……』をいちごが訳すが、それは爺ちゃんには聞こえないはずだった。

「お? そうしてわしに紹介するということは、この男はおまえさんの彼氏じゃな?」——親しい間柄の以心伝心というやつだろう。

「あ、その、彼氏といいますか、友人といいますか、真菱夜幾郎です」ここばかりは金魚の言葉がひい爺ちゃんに伝わらないのをいいことに、自己紹介で『彼氏』をやんわり否定する僕だった。ギロリとにらむ金魚の横目が恐ろしい。

「あ、これ、ご挨拶がわりに。どうぞ」僕が『獺祭』の瓶を差し出す。

「ほほう、これはこれは」そう言って喜ぶ金魚のひい爺。かなりの酒好きなのだろう。


——さて、ここで問題なのは、

 金魚の言っていた『ひい爺ちゃんが弱っていて来年まで持たない』が、金魚のまったくの思い込みだったこと。この様子だとこの爺さん、あと十年二十年でも元気でピンシャンしていそうだ。

 つまり、金魚の『ひい爺ちゃんを安心させたい』という想いはとても美しいのだが、その時間的な見積もりが根本からして勘違いだった。と言うことだった。例えて言えば、子供にとっての一年はとてつもなく長い時間なのだ——。


 とりあえず、今回取り決めた仕事を終えた僕。タクシーを飛ばして地元のローカル線の駅までたどり着く。タクシーに同乗した金魚は無表情ながら寂しそうなオーラを発して、ホームで僕を見送った。——彼女も明日からは大事な学校があるのだ。そのへんは真面目な金魚だった。

 教室には権蔵や他の学年の生徒もいて、明日も一緒に勉強をするのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る