クライアント 遠山金魚 3

「こんなに口下手な自分の言うことを理解してくれる人と出会ったのは生まれて初めてだよ。これこそ運命の出会いって言うやつだね。自分、ついに、天が定めた男に出会えたんだよ」いちごが苦しそうに言う。僕は驚いて本から顔を上げた。

「え? 運命の相手?」——僕もいちごもうかつだった。僕にとって、いちごの姿は生きている人間同様に普通にそこに居るかのごとく見えるし、その声も普通に聞こえる。一方のいちごは僕の手伝いがしたいだけで他意はなかった。

 しかし、いちごの存在を分かっていない金魚にとっては、まるで僕が一人で金魚と会話して「あ……」だの、「う……」だのを理解してくれているように思えたのだ。すっかりその気になった金魚だった。


   ★


「んふ……」金魚が声を発する。顔は真っ赤だが、無表情はつづく。

「ゆかたはこちらで準備するから心配ないよ。やっくんは日本酒を一本持参してね」いちごが絞り出すような声で通訳する。

「えっ? 『やっくん?』 ちょっと、待って、ゆかたとか、日本酒とか、それって?」いきなり『やっくん』と来たもんだ。


「むん……」と金魚。目が輝いている。——あいかわらず無表情だったが。

「おまつりは来月の四日だから、やっくんはその前の日から来て、うちにお泊りね。一緒にお風呂に入って一緒に寝て次の日の夕方からお祭りに出かけるよ」いちごはすでに呼吸困難な状態(幽霊なのに)だったが通訳してくれた。


「はん……」金魚が声をだす。

「ひい爺ちゃんにはお祭りの日に会えるよ。居合切りの演武をするからその時に日本酒を渡して挨拶してね」いちごは限界を突破しているもよう。もう、職務意識だけで存在している幽霊といった感じだった。

「え? ちょっと待って。ひいお爺さんはもう、もう、弱っていて来年はないくらいの、その、病床にいるとかじゃないの?」

「もうたぶんダメ。居合もボロボロだし、腕の落ち方がハンパないし」通訳しながらいちごは魂の抜けた幽霊となっていた。——河原とかによくいるタイプの幽霊だ——。


「いや、ちょっと、それは、ウーム——」僕は心の底から悩んだ。金魚のひい爺ちゃんを安心させられたら、後はお役御免になれるのだったら引き受けてもいいかな? だって、来年はないのだし——そんな考えが頭をよぎる。——正直言えば金魚の刀が怖いのもあった。

 僕は金魚のひいお爺さんへの訪問を中心に、迷いながらも契約書を作った。

 しかし、それは最重要なポイントを外している事にまだ気がついていない僕だった。


   ★


 単線の私鉄の駅から出る、日に三本のバスは畑の中の一本道を延々走って、こんもり木が茂る丘の手前でスピードを落とした。丘のふもとには古くてちいさな鳥居が立っているのが窓から見えた。お祭りの神社はこの丘の上にあるのだろう。お囃子の笛と太鼓を練習する音がしていた。

 バス停には金魚が例の学校の制服で迎えに来ていた。白さやの刀は持っていなかった。つまり、極めて平和的ムードでの出迎えだった。


——出発の日——


「ヤイクロ、本当に行くの?」いちごが不安な顔で言う。

「これは契約なのです。困ったことに—— 僕もどうにかならないかずっと考えていたのですが、どうにもなりませんでした。行くしかありません」姿見の前でネクタイを結ぶ僕。カウチの上にいたいちごは僕の横まで来て僕の顔を見上げながら言う。

「私も行く」

「そうしてください。その方が助かります。なにしろ、今年のこのお祭りだけなんとかやり過ごせば、それで契約は果たされたことになります。この仕事が終わったらハワイにバケーションとシャレこみましょう」

 僕のその言葉に、この上なく真剣な眼差しで「うん」とうなずくいちご。それはまるで主人公の死亡フラグが立つシーンみたいだった——

 って、そこは本気じゃないけれど、ちょっと自虐ギャグでも飛ばしたい気持ちだったのだ。

 このガチの危機を冗談にしたかった僕であった。


——バスから降り立った僕といちご。僕に歩み寄る金魚が言う。


「う……」金魚が声をだすと、いちごが自動的にそれを翻訳した。

「来てくれたね。うれしいよ。来るの大変だった? うちって遠いよね?」

 金魚はそう言って喜んでいるらしいが、表情は全くうごかずに無表情なままだった。

「そうですね、簡単に来られる距離ではないですね」

「だよねー。自分もめったにそっち行けれないし、まあ、遠距離恋愛になるよね」

「え? いや、その、今回のこれは金魚さんのひいお爺さんへの『プレゼン』ですので……」

 そんな『恋愛』なんて意味はないですよと続けたかった僕だったが——

「プレゼンでしょ?『ト』が抜けてるよ。自分はお酒飲まないから分からないけど結構イイやつなの? なにまつりって言うの? それ」なんか、自覚なしなボケで受け流された——

「ああ、これは獺祭だっさいです。酒屋のご主人に勧められたのです」

「あ、ダサいって死語じゃん。もー、やっくん?」——やっくん? って尻上がりのイントネーションでたしなめられるように言われてしまった。オジサンなんだからぁ的なツッコみだ。

 それにしてもいちごよ、ホント何なのその翻訳能力? 金魚は『あ、だ……』としか言ってないんですけど。

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