二話 先輩との関係

「もう大丈夫ですよ」


 乱雑に丸めたティッシュをあらかじめ用意していたゴミ袋の中に入れ終わったところで、先輩に声をかける。


「本当!?」

「はい、あとはこのゴミ袋を処分すれば完璧です。よければ処分もしておきましょうか?」

「良いの?」

「ついでですし」

「ならお願いしても良いかな?」

「了解です」


 この虫が入った袋は自分の部屋に持って帰ることになった。まぁ、ここまでくれば普通のゴミと扱いは変わらないし、負担にはならない。


「由崎君。ついでだし少し話していかない? お茶も出すからさ」

「えっ? でも夜も遅いですから」

「由崎君は何か予定があった?」

「いえ、無いですけど」

「それじゃあ、お礼の一環だと思って、ね!」

「わ、わかりました」


 駆除をしたらすぐに帰る予定だったので、急な誘いに虚をつかれてしまった。

 断る理由もなく、お茶をいただくことにした。折角の好意なのだから気楽に楽しめば良いか。


 洗面台からリビングへと案内され、真ん中に置かれている丸机の近くに腰を下ろした。


 先ほどまで虫のことで色々ドタバタしていたためゆっくりと見る余裕は無かった。

 しかし今見てみるととても綺麗な部屋だった。

 このマンションは1LDKで一人で暮らすには十分すぎるほどの間取りである。

 その大きめのリビングを最大限活用するような内装をしていて思わず目を奪われる。


(こんな事まで才能があるんだな)


 なんて事をしみじみと思っていると、先輩がお茶を入れて戻ってきた。


「お待たせ! 今更だけど緑茶で大丈夫だよね?」

「あ、はい……って本当に今更ですね」

「そうだよね。先に訊いとけば良かった」

「…………」


 そう言ってふふっと笑う先輩。完璧な先輩だからこそ、そんな風に無邪気に笑う姿を見たことがなかったので、少し呆気にとられる。


「どうしたの?」

「先輩もそんな風に笑うんですね」

「えっ? どういう事?」

「先輩の笑い方って子供を見守るお母さんみたいな笑みのイメージだったんですけど、さっきのは子供がするような笑顔だったので……ってすみません。いきなり変なこと言ってしまって」

「……私、意外と子供っぽいところ多いからね。学校では色々言われてるけど」


 少し間を置いてから先輩は口を開く。

 失礼な事を言って怒られるかと思いきや、帰ってきた返答は意外なものだった。


「そうなんですね」

「うん。学校では気を引き締めてるから出ることが少ないんだけど、プライベートになると急に気が抜けちゃうんだよ」

「意外ですね」


 先輩はそう言っているものの、にわかには信じ難い。確かに今日の出来事は学校では無いような一面が多かったけど。


「でも、そんな事俺に話しても良いんですか? そこまで親しいわけじゃ無いのに」

「隣に住んでたらいずれわかる事だからね」

「そういうもんですかね」


 意外と気づかないとは思うけど。実際この半年間、これっぽっちもそんな素振りに気づいていない。


「まぁでも由崎君のこと信用してるからっていうのもあるかな」

「信用ですか?」

「そう。私いつも困った時は大家さんにお世話になってたんだけどね、今は旅行でいないでしょ?」

「? はい……そうですね」


 いきなり大家さんの話になったことに少し疑問を持ちつつ、話を続ける先輩に耳を傾ける。


「その旅行に行く前に『困ったら隣の由崎君を頼りなさい』って言われてたの」

「えっ!?」

「やっぱり聞いてないよね。一応伝えてから行くとは言ってたんだけど」

「全く聞いて無いですね」

「流石大家さんだね」


 大家さんはとても良い人なのだが、いい意味でも悪い意味でも大雑把な性格だ。

 女性で大雑把な性格から俺の印象は姉御肌な近所のおばさんという感じである。


 俺もたくさんお世話になっているため、そんな風に思ってもらえているのは嬉しく、少しこそばゆい気持ちになる。


「それじゃあ、大家さんに言われて信用してくれたと言うことですか?」

「それもあるけど、もっと大きな理由はあるよ」

「大きな理由?」

「大家さんが言ってたからってそんな簡単には信用できないよ。だからどんな人かなって学校での様子を見てたの」

「えっ!?」

「言っておくけどそんな人聞きの悪いことはしてないよ。生徒会の仕事でよく一年生の階には行くし、その時にどんな人かなって聞いてたりしただけだから」

「そうなんですね」


 まさかそんな事をされていたとは……。

 確かにここ一週間近くよく先輩を見た気がする。ほとんど人助けをしていたようにしか見えなかったけど……。


「そしたらこの人——由崎君なら大丈夫だと思ったの。隣に住んでても何かしてくるわけじゃ無いのも、余計に安心できたし」

「そ、そうですか……」

「どうかした?」

「い、いや! なんでも……」


 ただ勇気が出なかっただけなのだが、初めてそれがよかったと思える出来事だった。


「だから由崎君は信用できるかな」

「それは……ありがとうございます」


 先輩はニコッと微笑みながらそう言葉をかけてくれる。憧れていた、好きな先輩にそう言われると気持ちが高揚してくる。


「そう言う事だからこれからよろしくね」

「俺にできることがあればですけどね」

「いっぱいあると思うよ。それに大家さんがいつ帰ってくるかも分からないし」

「あの人は気まぐれですからね」

「本当にそうだよね!」


 それからいろんな話で盛り上がった。同じマンションに住んでいることもあり、話すことはたくさんあった。

 そして直ぐに時間は経ち


「そろそろ帰らないとだね」

「そうですね。学校もありますし」


 あっという間に帰る時間となった。小学生はとっくに寝ていてもおかしく無いような時間である。

 俺は席を立ち先輩に一礼した後、先輩の部屋を後にしようとした。


「それじゃあ今日はありがとうございました」

「うん! あっそうだ! 良かったら今日のお礼にこれを持っていって」


 そう言って先輩はキッチンに向かい、一つのタッパーを持って帰ってきた。


「私が作ったカレーだけど」

「良いんですか?」

「うん。作りすぎちゃって余ってるから」

「ありがとうございます!」


 まさか先輩の手料理をもらえるなんて思ってもいなかった。タッパーからスパイスの効いたカレーの良い匂いが鼻を通る。

 とても美味しそうだ。


「温めてたら直ぐに食べられると思うから」

「美味しそうです」

「料理には自信があるから」


 そう言って二の腕を叩く先輩。確かにこう言うところは子供っぽく無邪気だなと感じさせられる。


「それでは帰りますね」

「あ、後最後に」

「はい?」

「きょ、今日見たことは内緒にしててね……。虫に慌てた事とか、パジャマ姿とか……」

「は、はい!」


 やはり少し恥ずかしかったのだろうか。

 体をモジモジとさせて、顔を赤らめてそう忠告してくる先輩はとても可愛く、その上色気もあり、その姿を見ただけでも今日やったことに意味があったと思える程だった。

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