第52話 完

久しぶりの実家は懐かしい匂いがする。まだそれほど時間が経ってはいないのに、もうここはわたしの家ではなくなっている。


「そこの花はわたしが植えたんですよ」


 理玖さんに庭を案内していると鈴の花が咲いている場所に出た。わたしが得意そうに言うと笑われてしまう。鈴の花は勝手に育つ花で有名だからだろう。種を蒔きさえすれば何年でも咲き続ける不思議な花だ。

 それでもそこ花の種は幼い頃に母様と一緒に植えたわたしにとって思い出のある花なのだ。

 その話をすると理玖さんは少しばかり目を見張ってわたしを見た。そんなにおかしいだろうか。母様だって愛莉が三歳になるまではわたしのことを大事にしてくれていたのだ。


「そうか。だったら茉里も一緒に植えたらいい」


「えっ?」


「茉里に子供ができたら一緒に鈴の花を植えたらいい。簡単だから君の母親もこの花を選んだんだ。これならいつまでも枯れることなく育つからな」


 そうね、こうして何年経っても咲くから忘れることもない。この花はわたしと母様だけの思い出だ。


「祖父江伯爵は爵位を甥に譲ることにしたらしい。財はあるから第二夫人と伯爵領で細々と暮らすことにしたそうだ」


 あれだけの事件があったのだから仕方がないだろう。それにしても第二夫人は一緒に行ってくれるのだろうか。彼女はまだ若かったと聞いている。


「これは第二夫人から提案されたと言っていた。お金や地位ではなく自分を愛してくれていることに初めて気づいたと言っていた」


 祖父江伯爵には悩まされることばかりだったけど、不幸になってほしいとは思ってなかったので心から安堵した。


「そうですか。良かったです」


「それだけか?」


「.....それだけです」


 他には何もない。 祖父江伯爵の事は迷惑にしか思っていなかったので、言うことはあまりない。もし愛莉を殺した犯人が祖父江伯爵だったなら違っただろうが。彼は原因にすぎなかった。

 わたしだって妹の婚約者である理玖さんに惹かれていたのだから、婚約者がいる身でありながらわたしの伯母さんに恋した祖父江伯爵を責めることはできない。彼は婚約を解消しようとしていただけで、可憐さんを騙していたわけではない。

 好きになった相手に好きを返してもらえることがどれだけ難しいことなのか。

 わたしは理玖さんと両想いになれたけど、一生その想いが変わらないかどうかはわからないのだ。変わらなければいいなって思うし、努力もするつもりだけど万が一第二夫人をもらうことになっても負けたりはしない。正々堂々と戦うつもりだ。


「どうした? ずっと黙っているけどこの屋敷が変わるのが嫌なのか?」


「いいえ、変わらないものもあることがわかったので大丈夫です」


 鈴の花を見ながら微笑むと理玖さんも微笑んでいる。

 どうして理玖さんがわたしを好きになってくれたのか今でもよくわからない。わたしより美人で博識な人はたくさんいるし、身分だって釣り合っていない。

 あの日どうして理玖さんはわたしの家の夜会に現れたのだろう。理玖さんほどの人が来るような夜会ではなかったのに。


「理玖さんはどうして、うちの夜会に来たんですか? いつもなら来ていないでしょう?」


 最近家のことを管理するようになってわかって来たけど、理玖さんへの招待状はすごく多く、伯爵家とはいってもいずれは公爵家を継ぐことも知られているからほとんどが伯爵家以上の家柄だった。とてもじゃないけど子爵家であるうちの招待を受けるはずがないのだ。


「ああ、それはね。今はまだ伯爵家を継いだばかりだから一応招待状は全部確認しているんだ。招待状ってほとんど同じなんだけど、妙に目立つ招待状があった。それが君のところの招待状だよ」


 目立つ? 確かに紙の質はあまり良くなかったかもしれない。悪目立ちだったのかしら。


「もしかして紙が良くなかった?」


「そうじゃないよ。字がとても綺麗だったんだ。流れるような字で妙に惹かれた。今はわかってるけど、あれは君が書いたものだよね」


「ええ、母様に頼まれてわたしが書いたものです。でも急いで書いたから上手ではなかったと思うわ」


 母様に頼まれた時にはもう発送しなければ間に合わないような日だったので、急いで書いたのを覚えている。あれを褒められても嘘っぽい。


「あっ、信じてないな。わたしは君を見る前から君に惚れてたって言ってるんだよ。信じてほしいな。それがなければ夜会にも行かなかっただろうし、君にも出会えなかったんだから凄いことなんだよ」


 理玖さんが言ってることが嘘か本当かはわからないけど、あの招待状の字を見て理玖さんがうちの夜会に来ることにしたのなら、運命だったのかもしれない。ちょっと大袈裟かもしれないけど、運命の力が働いたのかもしれないと思うと嬉しい。


「理玖さんはわたしと出会えて嬉しい?」


「もう君がいない生活には戻れないくらい好きになってるのに、嬉しいに決まってるだろ」


 理玖さんとわたしが出会うことになったこの庭に、今は夫婦として立っている。初めてあった時は失礼な人って思っていたのに、今では一番好きな人になっている。

 理玖さんが手を差し出して来たので手を添え一緒に歩く。人生もずっとこうして歩いていけたらいいなって思いながら。

 

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不本意ながら妹の婚約者だった男と結婚することになりました! 小鳥遊 郁 @kaoru313

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