第33話
クリスタル植物園は全面ガラス張りの建物の中にある。
開園されて二年も経つのに、ものすごい数の人がいる。舞踏会の人出にも酔いそうになるわたしにはきついものがあったが、植物園ということもあって建物の中ばかりではないぶん空気が澄んでいた。
「理玖さん、ここは屋根がありませんわ」
「茉里の綺麗な肌が焼けそうですね。傘をさした方が良いですよ」
確かに日差しがさんさんと降るこの場所はあまり人気がないようで人が少ない。そして女性の方はみんな日傘をさしている。少しくらいの日差しは心地よいのにと思ったけれど、貴婦人が日に焼けるのは駄目だと公爵家での花嫁教育で習ったことを思い出して慌てて日傘をさした。
「どうです? 少しは楽しめましたか? 思ってたより人が多かったようだが大丈夫かい?」
先ほどまでは押せ押せなくらい人が多く話すこともできなかったからか、次から次へと質問してくる。理玖さんもここまで人が多いとは思っていなかったようだ。
「驚きました。こんなにたくさんの人がいるとは思わなくて。これでは植物を見にきたのか人を見にきたのかわからないですね」
「さっきの熱帯植物はとても珍し物なのに、じっくり観察もできないとはもう少し考えてほしいものだ」
「これだけの人出ですから仕方ありませんわ」
「だが入場制限をするとかやりようはある。人を入れさえすれば良いという考えではそのうち誰も来なくなるだろう」
理玖さんの言うように人が多くてほとんどの花は通りすがりに見ただけだ。それも背の高い殿方が多いのでわたしでは見えない花も多い。これでは皆の不満がたまってしまう。口コミは恐ろしいほど広がるから、早めに解決した方がいいかもしれない。
「でも、もう二年もこの状態が続いているのならもっと早くに人がこなくなったのではないかしら。これだけ人が集まるってことは、この状態になりだしたのは最近のことかもしれないですね」
ベンチがあったので座ることにした。それにしても暑い。喉が乾いてしまった。
「しまったな。こんなことなら従僕の一人でも連れてくれば良かった。何か飲み物を買ってきましょう。ここで待っててください。くれぐれも迷子にはならないでくださいよ」
最後の言葉には笑いが含まれていた。伯爵家で迷子になったことを含ませているのは間違いない。あれは迷子ではなく部屋へ帰る道を少し間違えてしまって使用人の部屋のある方へ行ってしまっただけなのに。
日傘をさしているせいで、彼が近くにいることに気付かなかった。理玖さんも気付いていなかったのだと思う。気付いて入ればここでわたしを一人にはしなかったはず。
「茉里さん、久しぶりですな」
茉里さんと馴れ馴れしく呼ぶ声で誰だかわかった。祖父江伯爵は連れの女性を少し離れた場所に立たせているようで、その女性はわたしを睨みつけてきた。
「わたしは結婚しましたの。さん付けで呼ばれるのは困りますわ」
椅子から立ち上がりながらなんとか言葉を返す。
「まさか三千院伯爵と結婚するとは思わなかった。君はもっと賢い人だと思っていたよ」
「ど、どう言う意味ですか?」
「わかっているだろう。三千院伯爵の目当ては君でない。愛莉だ」
愛莉? でもそれは間違いでわたしのことを望んでいたと兄様は言っていた。
「三千院伯爵が君の妹にご執心だったのは誰もが知っている。社交界で君は笑われ者だ。耐えられないときはいつでも私に声をかけてくるといい。いつでも君を助けてあげよう」
「な、何を言ってるの? わたしは結婚したのですから祖父江伯爵に助けを求めたりしませんわ」
どうして祖父江伯爵はわたしに拘るのだろう。
「ふふふ、君は特別だから助けてあげようと言うんだ。私は人のものになった女性にここまで言うことはないんだ。まあ、相手くらいはするが結婚まではするつもりはない。だが君なら三千院伯爵と別れた後でも結婚してあげよう。いつまでも三番めの席を空けて待っているよ」
不気味としか言えない。祖父江伯爵は狂っているのではないか。彼は最後に舐めるようにわたしを見ると、待たせて女性の方に歩いて行った。
理玖さんが帰ってきたときわたしは暑いはずなのにガタガタと震えていた。
驚いた理玖さんはわたしを抱きかかえて家へ連れて帰ってくれた。そう、わたしの家はもう伯爵家だ。具合の悪くなったわたしを心配してくれるメイドたち。一番心配そうに見ているのは理玖さんだった。彼が愛莉にご執心だったと言われたけど、そのことはあまりこたえていない。理玖さんが初めに婚約していた相手は愛莉だったのだから、そのことで何を言われても気にはならない。
でも祖父江伯爵の目はわたしを不安にさせた。彼が怖くてたまらない。
思えば初めて出会った頃からわたしは祖父江伯爵が怖かったのだ。
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