第26話
伯爵夫人としての一日は朝の紅茶で起こされ、風呂に入れられ、着替えも髪も全部メイドにしてもらうことから始まる。舞踏会に行くわけでもないのにこんなに綺麗に着飾る必要はないと思うけどカーサには逆らえない。
広ーいテーブルで旦那になった理玖さんと二人だけの朝食を軽く取り、理玖さんは王宮に仕事をしに出かける。理玖さんが出かけたら少しだけゆっくりできるなぁって思っていると、
「今日から三日は休みなんだ」
と言われてしまった。休みってことは一緒に過ごすとことになるのかもしれない。結婚したとはいえ、長いこと一緒にいたことはないので、ドキドキして来た。
「今日は私の家と君の家に挨拶に行こう」
なるほど。それもあるから今日のドレスは豪華なんだ。家にいるだけなのに気合が入りすぎな気がしたけど間違いではなかったようだ。
公爵家への挨拶は緊張するけど、実家には早く行きたい。両親や兄がどんな様子か気になるし、私の荷物のこともある。昨日の結婚式では両親は一度も私の部屋に現れなかったから話もできなかった。成人したら家出をするつもりだったのに、なぜかこのまま両親と疎遠になるのかと思うと後ろ髪を引かれるような気がする。
だけどわたしの感傷的な想いとは裏腹に両親はわたしたちが挨拶に行くと理玖さんにしか笑顔を向けなかった。わたしのことは無視することに決めたようだ。わたしの荷物も全て整理されていてわたしの部屋はもうどこにもなかった。わたしに渡されたのは小さな箱が一つだけ。他のものは処分したと言われた。
「伯爵夫人として着れるような服ではないから処分したわ。どれも若い娘が着るようなドレスだから持って行っても困るでしょう」
ほとんどのドレスがお下がりだったから、それを知られないように処分したのだろう。でも思い出のものもたくさんあったのに、この箱だけしか残されていないなんて…。両親と分かり合えるようになることはもうないのだろう。なぜかはわからないけどわたしは嫌われていた。愛莉のようにとはいかなくても、少しだけでもいいからわたしを見て欲しかった。
理玖さんと両親が話している間、必死で涙をこらえていた。ここで泣いてしまったら惨めすぎる。話が一段落したところで化粧室に行く。カーサが一緒に行こうとしたけれど断った。少しだけ一人になりたかった。最後にこの家を見ておきたかったのもある。
「茉里、まさかあなたが愛莉の後釜に座るとは思わなかったわ。ずっと彼を狙っていたの? 妹から奪うつもりだったの?」
母様が化粧室に入ってきてわたしを苦々しい表情で見た。今日初めて母様はわたしを見てくれた。その表情はとても険しい。どうしてわたしには笑顔をくれないの?
「狙ってませんし、愛莉から奪おうなんて考えたこともなかった」
「嘘ばっかり、いつもあなたはそうだった。あなたが三千院伯爵を好きなことに私が気付いていないと思ってたの? 愛莉の婚約者だと紹介した時にすぐにわかったわ。あの時追い出せば良かった。そうすれば愛莉は死ななかったのに。あなたに殺されることもなかったのに」
「お母様、私は愛莉を殺してないわ。どうしてそんなことを言うの?」
「あなたは私の姉にそっくりだからよ。なんでも私から奪っていた姉にそっくり。顔だけでなく根性まで似ていたなんて」
母様にお姉さんがいたなんて初耳だ。そしてその人に私が似ている? それが原因で憎まれていたの? 母様には私は見えていなかった。ずっと身代わりでしかなかった。
母様の顔は狂っていた。私に手をあげる母様は私ではない他の人を見ていた。
カーサが来てくれなかったら私は母様に殺されていたかもしれない。母様からは殺意を感じた。
「大丈夫か?」
馬車の中で心配そうに理玖さんが呟く。私はガチガチと震えながら頷くことしかできなかった。その日は公爵家への挨拶は取りやめることになった。
「何があったか話してくれるかい?」
伯爵家に帰ると早速理玖さんが尋ねてきた。ソファに座っているのはわたしと理玖さんだけだ。理玖さんがわたしの肩に手を回しているけど気にならないほどわたしは動揺している。
「わからないの。ただ、母様のお姉さんのことを言ってたわ。わたしがその人にそっくりだって。何もかも自分から奪っていくって。今度は愛莉まで奪ったとわたしが愛莉を殺したんだって言ってた」
「その伯母さんとは会ったことがあるの?」
「いいえ、母様は一人娘だったと聞いてたから驚いてるの」
叔父さんの話は聞いたことがあるけど、伯母さんのことは誰からも聞いたことがない。わたしだけが知らされていなかったのかもしれないけど。
「少し調べた方が良さそうだ。私の情報でも君の伯母さんについては聞いたことがない」
伯母さんがとんでもない人だったらどうしよう。離縁されることになるかもしれない。
もともと逃げるつもりだったのに、理玖さんと別れることになるかもしれないというだけでどうしてショックを受けているのだろう。
「今日はもう寝てゆっくりするといい。私は両親に謝ってくるよ」
「申し訳ありませんと伝えてください」
結婚式の次の日に寝込むなんてと思われるかもしれない。本当なら無理をしてでも挨拶に行くべきなのに、今のわたしはショックで立ち上がるのも一苦労だ。ベッドの中でこれからのことを考えたい。昔みたいに一人で考えるのだ。きっと何かいい考えが浮かぶはず。
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