第20話
結婚まであとひと月。わたしは未だに実家には帰れていない。
公爵家には花嫁教育で行くことができるのに、何故わたしが実家に帰れないのかこの伯爵家に住むようになった頃、理玖様に尋ねたことがある。
「それは危険だからだ。君の家は警備が不十分だ。愛莉の件はきみも知っているだろう。呪いという噂は非現実的だが、確かにあの事故には不審な点がある」
愛莉は事故に見せかけて殺されたと言いたいのだろうか。でも愛莉は人に恨まれるような子ではない。いつも愛されていた彼女が殺されるなんて。
「でも愛莉は誰からも愛されてました。恨まれて殺されるなんて考えられません」
「そうかな。結構いるんじゃないかな」
もし愛莉を恨む人間がいるとしたら……やっぱりわたしが疑われてるの?
「わたしは愛莉のこと恨んでないですよ。わたしが両親から可愛がってもらえないのは愛莉のせいではないですから」
「君はもっと両親に恨み言を言ってもいい。だが君たち家族とは関係なく彼女は結構恨まれていたようだ」
「愛莉がですか?」
「そうだ。調べたところ彼女は男性関係に問題があった。ちやほやされて、周りが見えていなかった。中には本気ではなく遊びで彼女と付き合っているものもいたようだ。いや遊びの方が彼女には良かったのかもしれないな」
婚約者だった女性の不品行な振る舞いが許せないのか、理玖様の顔は苦々しい。
「でも愛莉にはいつも母様がついてて、男性と遊ぶなんてできなかったはずです」
「愛莉には私がつけるまで侍女がいなかった。いくらでも隙があっただろう。それに舞踏会でよくいなくなって母親が探していたようだ。疲れたから休んでいたと答えていたようだが、男と密会していたことがわかった」
「男って…そんな…」
「男の一人は祖父江伯爵だ」
「ええっ! 祖父江伯爵は既婚者ですよ。それに一人はって複数いるっていうんですか?」
「彼女とはどちらにしても結婚できなかったな。生まれた子供が誰の子かわからないようでは困る。それに初めの頃はともかく、君の両親は娘のことに気付いていたようだ。それで結婚を急ごうとしていたのだろう」
あの可愛い愛莉が複数の男性と付き合っていたなんて信じられない。
でも今更、理玖様が嘘をつくとは思えない。
母様は確かに愛莉に甘かったけれど、こんなことを許していたなんて。男性関係が派手な女性は嫁の貰い手がないことくらいわかっているのに……ああ、そうか。それで急いで探していたんだ。両親が必死で愛莉の相手を探していたのは彼女が可愛くて仕方がないからではなく、別の意味があったことに気付いた。
「愛莉は誰か男の人に会うために馬車に乗っていたということですか?」
「そうだ。そして事故に見せかけて殺された。車輪に細工してあったそうだ。今まで気付かなかったのは事故だと思われたために捜査されなかったからだ」
「でも普通は捜査しますよね。車輪の細工に気付かないなんて怠慢じゃないですか」
「君の父親がお金を積んで捜査させなかったそうだ。捜査して愛莉の男性関係の話が広がるのを恐れたのだろう」
わたしの家は決して金持ちではない。どちらかというと貧乏だと思う。それなのにお金を使ってまで隠そうとするなんて、よっぽど隠したいことがあったとみたい。
「あの愛莉が男と遊んでいたなんて。きっと騙されていたのだわ」
「君が妹を信じたいのはわかるが、報告によると彼女は楽しんでいたようだ。特に人のものを取るのがワクワクすると友達に漏らしていた。彼女のせいで婚約解消になったり、結婚が破綻したりしている」
「人のものを取るのが楽しいだなんて……」
欲しいものはなんでも与えていた両親の教育に問題があったのかもしれない。これではどれだけ恨みをかっているかわからない。
「祖父江伯爵の奥さんは二人とも嫉妬深いと聞いたことがある」
「でも女の人が車輪に細工するのはちょっと難しくないかしら」
「自分がやらなくても人を雇えばいいだろう。だが怪しいのは彼女たちだけではないから、自白でもしてくれない限り犯人の特定はできないかもしれない」
「え? それって遠回しに実家には当分帰れないって言ってます?」
「まあ、そうなるな。わたしが暇になったら連れて行くから待っていなさい」
暇になったらっていつなんですか。理玖様は外交の仕事をしているらしく毎日遅くまで仕事をしている。
「そんな顔で見られても許可はできない。結婚したら数日休みがもらえるからその時に行けばいいだろう。足りないものは何でも買っていいとカーサに行っておこう」
「買い物は十分です」
これ以上買ってもらう訳にはいかないので丁重にお断りした。
話がひと段落すると、急に理玖様がゴソゴソしだした。挙動不振? いつもはソファにゆったりと座られているのに足が小刻みに揺れている。
「何かありました?」
思わず尋ねると理玖様は咳払いをして背筋を伸ばした。なんとなくわたしも背筋を伸ばす。
きっと大事な話があるのだわ。もしかして婚約を白紙に戻したいのかも。妹の愛莉の男性関係を知って、子爵家と縁続きになるのが嫌になったとしても仕方のないことだ。もともと身分が違う縁談なのだから壊れても誰も不思議には思わないだろう。
両親はこの縁談が壊れたらわたしのせいにして家から追い出すだろう。でもわたしは路頭に迷うことはない。商業ギルドのカードさえあれば当分の間は生きていける。家の中には入れてくれないかもしれないから、商業ギルドのカードは再発行しなくてはいけない。確か再発行は金貨一枚かかるって言ってたわ。なくす人が多かったから高くなったという話だけど、金貨一枚あれば実家には戻らなくてもいいってことだ。いざとなればこの指輪を売ってって.....駄目だわ。婚約解消するのに指輪を返さない訳にはいかない。うーん、慰謝料として金貨一枚くらいくれないかしら。
「君とは色々話し合わなければならない」
やっぱりそうだわ。理玖様の顔色が急激に悪くなったもの。もしかしたらこのまま理玖様の妻になれるのかと少しだけ期待していた自分がいたようで、地味にショックを受けている。彼の元から去ろうとしていたのに、それが現実になりそうだと「嫌だ」と思う自分はどこかおかしのかもしれない。この矛盾した心はなんなの?
「そうね。わたしもそう思うわ」
ごちゃごちゃしているわたしの心はどうでもいい。とにかく婚約解消されるのならこっちが有利にならなければ。とにかく金貨一枚は絶対にいただかなくては。
「わたしは君を…」
理玖様が何か言おうとした時、ノックの音がした。
わたしと理玖様の間にあった張り詰めた空気は一瞬で霧散した。
その後はバタバタになった。理玖様は急遽王宮に呼ばれ、そのまま隣国へと旅立ってしまったから。
わたしは彼が何を話そうとしていたのか聞けないまま結婚式に臨むことになった。
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