煌炎の彼方に 3

 竜が消え、再び戻った静寂のなか、その身に炎を纏ったロステアールが、ひとつ息を吐いて振り返る。その目に映るのは、リアンジュナイルの民たちだ。何が起こったのか判らないという顔をした者もいれば、何かを察したのだろう者もいたが、皆等しく、出すべき言葉を探しているようだった。

 人々を見やるロステアールに、誰も何も言えないままでいる。レクシリアですら、何故か複雑そうな顔をしてロステアールを見つめるだけだった。

 だが、そんな空気を厭ってか、それとも皆の代わりに確認してやろうという善意からか、一人何にも属さない蘇芳が、ロステアールに向かって口を開いた。

「……で、ドラゴンはありゃあ、本物のエインストラが元の世界に連れて帰した、って認識で良いのか?」

 臆することなく、いつも通りの声でそう問うてきた蘇芳に、少しだけ驚いた顔をしたロステアールは、次いでどこか嬉しそうな表情を浮かべて頷いた。

「ああ。あのドラゴンは聞き分けが良かったので、大事にならずに済んだ」

「聞き分けねぇ」

 そんなに良さそうには見えなかったが、と言いたげな蘇芳に、ロステアールが苦笑する。

「いや、ドラゴンという種にしては非常に珍しく、随分とこちらに譲ってくれる相手だったのだ。彼にとっては、この世界に召喚されたこと自体も怒りの対象だったのだろうが、それよりも恐らく、元の世界に帰る算段がないことの方がより問題だったのだ。故に、帰る算段がついたということで、渋々ながらも些末事には目を瞑ってくれた、というのが、概ね正しい認識だろう。これが頑固な相手であったならば、あのまま正真正銘の正面戦闘に陥っていた」

「へぇ。しかし、アンタの余裕そうな様子を見るに、そうなったところでどうにかできたんだろう?」

「…………さて、それはどうだろう。持久戦に持ち込まれれば、先に尽きていたのは間違いなく私の方だからな」

 そう言ったロステアールは、炎が揺れる自身の手を見つめてから、顔を上げて改めて周囲に視線を巡らせた。

「大きな脅威が去った以上、もう何の心配もいらないとは思うが、もののついでだ。……個々をそれぞれの次元に還すのは過干渉になる故、すまないな」

 ロステアールがそう呟くと同時に、生き残っていた魔物たちが一斉に炎に包まれる。その身を焼き尽くす炎に、だが魔物たちは不思議と苦痛の声を上げることなく、どこか安らかにも見える様子で灰と化していった。

 これでもう、この世界に残った異世界の魔物はいない筈だ。そしてウロが消えた今、帝国にリアンジュナイルを脅かすほどの魔導召喚を成す術もないだろう。

 燃えゆく魔物が灰となって風に流れるのを見送ってから、ロステアールは改めてリアンジュナイルの民たちに目を向けた。そしてその中にいる、慣れ親しんだ赤の国の民たちを一人一人確認するように見て、彼は知らず微笑みを浮かべる。

 間に合って良かった。守ることができて良かった。そんな思いたちが、ひたひたと彼の胸を埋めていく。それは初めての感覚で、同時に随分と懐かしいもののようにも思えた。

「……蘇芳殿」

 呼ばれた蘇芳が、首を傾げて応える。そんな彼女に向かい、ロステアールは軽く頭を下げた。

「どこにも属さぬ自由の身でありながら、円卓のためにご助力いただいたこと、心よりお礼申し上げる」

「おー、まあ気にすんな。話の流れってやつさ」

「そしてできれば、今後も円卓に脅威が迫った際には、どうか力添えをいただけると有難い」

「……ま、気が向いたらな」

 まんざらでもなさそうな蘇芳の返答に笑ったロステアールは、次いで白の王を見た。

「フローライン王、レクシィのこと、感謝してもし足りない。私の言葉にどれだけの意味があるのかは判らぬが、それでも少しでも貴公の荷が軽くなるのであれば、……私は貴女のすべてを赦そう」

 その言葉に、僅かに息を呑んだ白の王が、目を閉じ、深く頭を下げる。

「炎神の御子のお言葉、確かに賜りました。…………ありがとうございます、ロステアール様」

 そっと顔を上げて微笑んだ白の王に笑みを返してから、ロステアールは緑の王へと視線を向けた。

「カスィーミレウ王、今まで色々と世話になった。北方と南方では物の考え方が違う故、なかなか仲良く手を取り合ってという訳にはいかぬが、貴公が冷静に間を取り持ってくれて、とても助かっていた。この場所に軍を至らせるのに尽力してくれたミレニクター王とネオネグニオ王にも、どうかよろしく伝えてくれ」

「別に取り持ちたくて取り持っていたのではなく、そうでもしないと話が進まないことが多いから、仕方なくやっていただけですわ。……けれど、感謝の言葉は素直に受け取りましょう。ミレニクター王もネオネグニオ王も、事の顛末を知ったら驚きそうですわね」

 そう言って少しだけ面白そうに笑った緑の王に小さく頭を下げてから、ロステアールは次いで青の王へと顔を向けた。

「ミゼルティア王、貴公とは衝突ばかりしていたな。今までは立場上声を大にして言うことができなかったが、貴公の血統主義の考え方は間違いなく正しいと私は思っている。魔法の素養に血が強く関わってくる以上、王にとって血統とは重んじて然るべきものだ。故に、貴公が王として庶子の私を嫌うのは、至極当然のことだろう」

 ロステアールの言葉に、青の王は心底嫌そうに顔を顰めた。

「相変わらず腹立たしいことを言いますね。血統で言うならば神の血が混じっている己こそが至上であると、素直にそう言ったらどうなんです?」

「いや、そんなつもりはなかったのだが……。そもそもがして、それこそ私は純血からはほど遠い雑種な訳であるのだし……」

「嫌味にしか聞こえませんが」

「本当にそんなつもりはないのだがなぁ。……しかし、貴公がそう考えているのであれば、私はとうとう貴公にも血筋で認めて貰える、ということだろうか?」

 首を傾げたロステアールに、青の王がこれ以上ないほどに嫌悪感に満ちた表情を浮かべた。

「誰が認めるものですか!!」

 思わずといった風に叫んだ青の王に、ロステアールが声を上げて笑う。

「ははははは、貴公は変わらないなぁ。今となっては、その変化のなさが心地良い。……これまで私に正面からぶつかり続けてくれたこと、感謝する」

 そう言って微笑んだロステアールに、やはり青の王はものすごい顔をして口を開きかけたが、自分を見返すロステアールの表情を見て、舌打ちをしてから口を閉じた。

 どこまでいっても自分への嫌悪感を丸出しにする青の王に笑ってから、ロステアールは今度は薄紅の王へと視線をやった。

「ランファ王、貴公には多大なご迷惑をお掛けした。折角かけていただいた最高峰の幻惑魔法を自ら破り、このような状況になるまで戦場にやってくることすらできなかったこと、大変申し訳なかったと思っている」

「あらん、随分と殊勝なこと。本来であれば、貴方のような可もなく不可もない凡百のお顔にかける情けはないのだけれど、……いいわ、今回はその美しい髪と目に免じて、特別に許してあげる」

 目を細めて笑んだ薄紅の王に、ロステアールは感謝すると言って目礼してから、何かを探すように視線を巡らせ、そして、騎獣に背を預けて座り込んでいる橙の王に目を止めた。

「ライオテッド王、意識を取り戻したご様子、何よりだ」

「いやぁ、なんとかな。と言っても、目が覚めたときにはドラゴンが向かって来ておるわ、だからといって何をする余力もないわで、何の役にも立てずだ」

 肩を竦めた橙の王に、ロステアールが真顔で首を横に振る。

「何を仰るか。貴公が倒したあれは、唯一ウロの直属の配下。言うなれば、神のひと欠片に等しい。あれを前に後れを取らず、それどころか反撃の隙すら与えずに滅したのは、間違いなく貴公の技量だ。そしてその結果がなければ、戦況は大きく不利なものとなっていた」

「と言われてもなぁ。ありゃあ儂の技量というよりも、地神エアルスの技量なんじゃないのか?」

 その言葉に、ロステアールは一度言葉を止め、少しの間だけ考えるような素振りを見せたあとで、声を潜めるようにして言う。

「……言って良いものかどうか判らんのだが、神性魔法にも一応技量や才覚が関わってくる」

 隠し事のように言われたそれに、橙の王は驚いた顔をしてロステアールを見た。

「お前さん……、それは言ってしまって良いのか?」

 神性魔法は正体も原理もいまいちはっきりしない、いわば未知と言っても過言ではない魔法だ。その未知に僅かでも知を与えるような真似をして大丈夫なのかと、そう心配をする橙の王に、ロステアールは少しだけ困った顔をした。

「先も言った通り、良いのか悪いのかはよく判らん。……が、まあ、私が言いたくなってしまったのだから、仕方がない」

 そう言って肩を竦めたロステアールに、橙の王はぱちぱちと瞬きをしたあとで、豪快な笑い声を上げた。

 それを耳に受けながら、ロステアールが黄の王へと視線を移す。

「クラリオ王、貴公にはリィンスタット王国への滞在中も含め、非常に世話になった。加えて、帝都征伐において軍の多くを率い、大局を見極め尽力してくれたこと、礼を言わせてくれ」

「やめろって水臭い。というか男に感謝されても嬉しくないしな。しっかし、最後の最後でおいしいところ持ってくんだから、さすがはあんたって感じだよ」

「ははは、私としてはそんなつもりはないのだが、結果的にそうなってしまったか」

「そのつもりもなく、って辺りが余計にアレってな」

 笑う黄の王にロステアールもまた笑顔を浮かべてから、今度は斜め後ろの方へと振り返った。

「いるのだろう、ヴェールゴール王」

 その言葉に、兵たちの間から黒の王がひょっこりと顔を出す。

「別に隠れてたわけじゃないよ。なんか出るタイミング失っただけ」

「判っているとも。……貴公には最も過酷な仕事をさせてしまったな。身体の方は大丈夫か?」

 少しだけ表情を曇らせて言ったロステアールに、黒の王は相変わらずの無表情で首を横に振る。

「ヴェルを長時間憑依させすぎた。その上、俺も一応ドラゴンどうにかする努力した方が良いかなって思って、更に無茶してここまで駆け付けちゃったから、全身ガタガタ。一応なんとか普通の人程度には動けるけど、これ完全に回復するまで一年はかかるんじゃないかな」

「それは、……いや、本当に申し訳が立たん」

「本当だよ。この際ウロのことは良いけど、ドラゴンはあんたがどうにかする手筈だったんなら、最初からそう言ってくれない? 急いでここに来たの、完全に無駄足なんだけど」

 容赦なく責めてくる黒の王に、ロステアールが苦笑する。

「いや、私自身、自分でどうにかできるとは思っていなかったのでな。どうかご容赦願いたい」

「神様だかなんだか知らないけど、相変わらずポンコツだなぁ」

 呆れたように言った黒の王に、ロステアールがもう一度謝罪の言葉を述べる。だが、黒の王はそれに対し、鬱陶しそうに片手を振った。

「いいよもう。本当はさっきあっちで言われた意味判んないことの意味とかも訊きたかったんだけど、あんた時間なさそうだし」

「……判るものか?」

「俺を誰だと思ってんの? 黒の王だよ?」

 そういうことには誰よりも聡い、と、黒の王の目が言っている。それを受けて、一度目を閉じたロステアールは、小さく頭を下げた。伝わったかどうかは判らないが、時間を譲ってくれたことへの感謝のつもりだった。

 そして再び、ロステアールの顔が前方へと戻される。その視線が今度向かった先にいたのは、金の王だった。

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