至殺報刃の牙 2
衝撃に驚いて目を開けた黒の王の前で、ウロが血を撒き散らしながら地に頽れる。まるで状況が理解できない王は、ただその様を呆然と見つめることしかできなかった。
そんな彼のすぐ後ろで、静かな足音が鳴った。まるで、足音がした瞬間にそこに初めて存在したかのような、そんな印象だ。王ですら、音が聞こえるその瞬間まで、その気配に気づくことができなかった。
軋む身体で背後の気配を振り返った王は、その存在を目にして、無意識に息を呑む。
そこには、金色と炎を纏ったかのような、見たこともない色合いに輝く髪をした男がいた。
美しさと猛々しさを兼ね備えたようなその男は、感情の欠片すら感じさせない無の表情を浮かべている。まるで豊かで雄大な自然そのもののようでいて、同時に一切の温もりを感じさせない焦土のようでもある、不思議な雰囲気の男だ。その姿に黒の王は、ほんの僅かだが先の赤の王の面影を見たような気がした。だがすぐに、己でそれを否定する。あの王は確かに無機質ではあったが、それはこの男とはまるで種類が違う気がしたのだ。黒の王は、万物が持つ気配に関する己の直感が基本的に正しいことを、よく知っている。
自分を見上げる黒の王にちらりと視線をやった男は、だがすぐにその目を、肉片と化したウロの死体へと向けた。
すると、散った肉の破片から汚泥のような何かが溢れ、うねるように流動した。そのままそれは、粘着質な音を立てながら膨らんで、再びウロの姿を形どる。
こうして
「え! え! どうしよう! 確かにチェックメイトとは言ったけど、まさかこんなところまで会いに来てくれるなんて思わなかった! てっきり灼かれて完全消滅して終わりだと思ってたのに!」
両手で自分の頬を包み込んだウロが、喜色満面に言う。恥じらいと興奮を惜しげもなく晒した彼に、だが金色の男は僅かも表情を変えない。
「あ、そっか! 土壇場で二回も本気の蘇りをしちゃったから、天秤が思いっきり傾いちゃったんだ! いや、でもでも、だからって貴方が来るとは思わないじゃない! え、なんで? どうして?」
興奮の中に本気の疑念を混ぜ込んで問いを投げたウロに、男が薄く口を開いた。
「お前がそれを望むからだ」
その言葉に、ウロの頬がぶわりと紅潮する。判りやすく赤面した彼は、視線を彷徨わせながら、恥じらうようにふにゃふにゃと言葉を零した。
「ちょ、ちょっと、いきなりそんな。ああ、違うの、判ってる、判ってるよ。満足した僕は暫く悪戯をやめるから、それが一番利があるって話だよね。そして、僕を一番満足させるなら、貴方が直接来るしかない。実際、こうして貴方に会えただけで、僕はこんなにも幸福だもの。うん、貴方の考えは知ってるよ。知ってるんだけど、」
一際頬を赤らめたウロが、ほう、と熱のこもった息を吐き出した。
「僕、ときめきで心臓が爆発しちゃう……」
恋する乙女のような顔が、本当に幸せそうに男を見つめた。だが、男は相変わらず、顔色どころか表情ひとつ変えないままだ。
「ねえ、今回の僕はどうだった? 少しは歯ごたえがあった? それとも終始貴方の掌の上だった?」
うっとりと投げかけられた問いに、男が感情の籠らない声を返す。
「以前も今もこの先も変わらない。お前は常に面倒な存在だ、
男が言うと同時に、ウロの足元がカッと光り、白い炎とも光とも判らぬ輝きが、その全身を覆った。
見る見るうちにウロの視界が白く染まり、己を構成するありとあらゆるものを灼かれる感覚が彼を襲う。だが、そんなものはまるで気にならないとでも言うように、ウロは歓喜と快感に酔いしれる絶叫を響かせた。
『はぁぁぁぁん! 名前まで呼んで貰っちゃったぁぁぁ!』
ねっとりと纏わりつくような声に、黒の王の全身にぞわりとした悪寒が走る。耳触りの良い美しい鈴の音のような声は、不快さを煮詰めて濃縮したような、そんな音をしていた。
だが、それも一瞬のことである。ウロを包み込んだ高温の輝きは、彼の歓喜の叫びまでをも燃やし尽くすように、まさに一瞬でウロの何もかもを蒸発させた。それと同時に、あれだけ色濃かったウロの気配が、すっと消える。
そこでようやく、黒の王は自身の身体の緊張が解けるのを感じた。
何をどうしてそれを成したのかは判らないが、王の二撃を以てしても殺すことしかできなかったウロが、存在ごと消滅させられたのだ。いや、それは正確ではない。王がウロを未だに記憶している以上、存在が消滅したわけではないのだろう。だが、死でもない。ただの死ならば、あれは何度だって蘇るはずだ。だから、この現象を無理矢理に言葉で表現するのであれば、未来に存在することができないようにした、というのが正しいのかもしれない。ただし、男は確かに、ウロが面倒な存在であることはこの先も変わらない、と言った。だから、今回成されたこの消滅は、きっと完全なものではない。だからこそ、こうしてあれはまだ王の記憶に残っていて、そして、この先いつか再び存在を取り戻す日が来るのだろう。ならば、この戦いは終わったとは判断できないのかもしれない。行く末がどうなろうと、勝利したとは言えないのかもしれない。
そこまで考えてから、王は深く息を吐き出した。これ以上難しいことは考えたくないと思ったのだ。そういうことは、他の王や自分の世話役にでも任せればいい。未来や行く末を案じ、思考するのは、本来自分の役目ではないのだ。
そう思ってから、王は傍らの男を見上げた。王はあまり知識に優れた方ではなかったが、輝く髪の男の正体くらいならば、察しがつく。これだけ生命離れした存在で、しかも書物やら何やらで見覚えがある姿となれば、馬鹿でも判ることだ。
王の視線に気づいたのか、男がゆっくりと顔を王へと向ける。無そのもののような目が王を見つめ、そしてすぐに逸らされた。恐らく、興味が失せたとか、そういう理由がある訳ではない。そもそも、最初から興味らしい興味もなかったような、そんな様子だった。
空を仰いだ男が、遠くに見える竜の姿を見て、黒の王に背を向けるようにして足を踏み出す。その背中に、王は思わず手を伸ばした。
何か考えがあって動いた訳ではない。ただ、本当に反射的に手が動いて、気づいたときには、立ち去ろうとする男の身を包む長い衣を掴んでいた。
裾を引かれた男が、ぴたりと歩みを止める。そして男は、振り返って王を見た。
自分を見下ろすその瞳があまりに静謐で、黒の王は知らず息を詰めた。何もかもを見透かすようなその目に、開きかけていた王の口が閉ざされ、彼は言葉を失ったようにただ男を見つめる。
けれど、選ばれた王としての類稀なる精神が、男の押し潰すような視線に抗いを見せた。そして、王が口を開く。
「俺たちは、何のために生まれたの」
零れ落ちた言葉に、黒の王自身が一番驚いた。
そもそも、何かを言おうと思って手を伸ばした訳ではなかったのだ。だから、王が言いたかった言葉が本当にこれだったのか、それは王にすら判らない。
けれど、機会は一度きりだと本能的に悟った王が選んだのは、この問いだった。
人ではなく王として生きる自分たちは、一体何のために生きているのか。この世界の秩序を守る装置としての役目しかないのなら、いっそ心を壊して傀儡にしてしまえば良いのに。
きっとそれは、円卓の王が皆どこかで思っていることで、だからこそ黒の王は、無自覚にこの問いを選んだのだろう。
どこか責めるようなそれに、男は王を見下ろしたまま、一度だけ瞬きをした。そして、その唇がゆっくりと開かれる。
「行く末に、はぐれた子供が一人取り残される。それを導いて欲しい」
返ってきたのは、問いの答えというには余りにかけ離れた言葉だった。
その意味が理解できず、呆けたような顔で男を見た王が、やはり呆けたような声で思わず零す。
「いや、なんで俺が?」
他に言うべきことがあっただろうに、よりにもよって黒の王の口をついて出たのはその台詞だった。これが他の人間ならば違ったのだろうが、彼の場合は真っ先に浮かんだ疑問がそれだったのだから、仕方がない。
面倒なのは嫌なんだけど、とでも言いたそうなその言葉に、男が視線を遠くへと投げる。その瞳に何が映っているのかは知らないが、ここではない何処かを見つめるような、そんな目をしていた。
「黒ならば、異端を異端と忌避しないだろう。あの子供に降る辛苦が得られるものに見合わないのであれば、私には見合うだけのものを与える義務がある。……それに、お前は一人では答えに辿りつけなさそうだ」
そう言った男が、裾を引いて黒の王の手を離す。話は終わりだと言わんばかりの態度に、黒の王は慌てて再度手を伸ばしたが、それよりも男が動く方が早かった。
裾を掴み直そうとした手が空を切り、王が叫ぶ。
「ちょっと! 意味判んないんだけど!」
だが、男はもう振り返らない。そのまま爪先で地面を蹴って軽やかに跳んだ男は、その身体が地面から離れた瞬間に、ぱっと光の粒子を弾けさせて掻き消えた。
散った光の粒が完全に消える刹那、黒の王の耳に、風に乗って微かな声が届く。
『まだ余地はあるが、幕引きはあれに任せる。意図にないとしても招いたのが自身ならば、幕を下ろすのもまた己であるべきだ』
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