戦線 -死闘の行方- 2

(クソッ! あっちの風属性の方は俺の魔法で対処できそうだが、球体をテニタグナータ王だけに任せるのは無理がある!)

 相性の良い地霊の極限魔法すら通用しないような敵だ。いくら橙の王でも、単騎で挑むには不安が残る。

 追い詰められた状況に、一瞬己で思考を巡らせた赤の王は、しかしすぐに思考することをやめた。そして、橙の王へと口を開く。

「テニタグナータ王、指示をくれ。若造の俺じゃあ思考に限界がある。歴の長いあんたの指示が必要だ」

 言われ、橙の王はほんの少しだけ驚いたような表情を浮かべた後、にかっと笑って返した。

「冷静になったようだな」

「お陰さまでな」

 そんな短いやり取りを終えたところで、橙の王の表情が僅かに曇る。だが、それに気づかなかったふりをした赤の王は、ただ黙って橙の王の次の発言を促した。

「…………そうさな。あれだけ偉そうなことを言った身としては、恥ずかしい限りだが、」

 そこで言葉を切った橙の王が、赤の王を見る。その視線の意味を正確に理解した赤の王は、一度瞬きをしたあと、肩を竦めて笑って見せた。

「どうせ俺は既にボロボロだ。だから、あんたが気に病むことはない。それに、今がまさにそのときだってだけなんだろ?」

 明るくそう言った赤の王に対し、橙の王が深く頭を下げた。

「……すまん、儂の力不足だ」

「あんたが気にする必要はねぇってのに、律儀な人だな。……で、俺は何をすれば良い?」

 その問いに、橙の王が球体へと視線を投げる。

 まるでこちらの選択を待つかのように、球体は沈黙を続けている。そしてそれに合わせているのか、風の魔物による追撃も今はない。

 これはきっと、二人の王に許された最後の選択のときだ。であれば、ここで王が迷うわけにはいかない。

 息を吐き出した橙の王が、赤の王に向かって手を伸ばし、その背を軽く叩く。

「儂が魔法を完成させるまで、儂を守って時間を稼いでくれ」

「了解」

 僅かな躊躇いもなく首肯して返した赤の王に、橙の王が思わず苦々しげな表情を浮かべる。己が若き王に提示した要求がどれほど残酷なものか、判っているのだ。だが、それ以外の解がないのも事実である。

 そんな彼の複雑な心境を察したのか、赤の王は少しだけ困ったような笑みを浮かべてから、橙の王を追い払うように手を振ってみせた。

 それを受けて、橙の王が頷きを返す。そのまま騎獣を操り上空への離脱を試みた橙の王を、風の魔物の攻撃が襲う。だがその悉くを、赤の王の火霊魔法が焼き払って無効化した。

「残念ながら、お前の相手は俺だ」

 そう言った赤の王が、地上へと降り立つ。

 そのまま彼は、半ば騎獣からずり落ちるようにして地面に座った。別に座りたくて座ったわけではない。単にもう立つこともできない状態だったから、座らざるを得なかっただけだ。

「ライガ、お前はここまでだ。さっさと避難しろ」

 主の指示に、ライデンが不服そうな声で抗議をしたが、赤の王は取り合わない。

「良いから行け。これは命令だ」

 強い言葉に、ライデンが耳を伏せ、慈悲を乞うような声で鳴く。だが、主が指示を覆さないことを察すると、ライデンは一度だけ赤の王の頬に自分の頬を擦り寄せてから、地面を蹴って空へと飛び立った。

 その姿を安堵の表情で見送った赤の王が、ひとつ息を吐き出して球体へと視線を向ける。

 これでは風の魔物に背を向ける形になってしまうが、力量を考えるとこれが最善だ。相性の良い風の魔物相手ならば、背後からの攻撃にも十分対応ができるだろう。

 その考え通り、背中に向かってくる風の攻撃を炎でいなした赤の王は、眼前の球体の表面が激しく波打つのを見て、次にくる水の攻撃の規模を悟る。

 恐らく、敵の言うフェイズが進行するほど、繰り出される攻撃は威力を増す。二段階目で既に赤の王では捌き切れない攻撃を出してきた敵だが、橙の王の登場により、そのフェイズは一気に四段階まで跳ね上げられた。その上厄介なことに、この敵は攻撃の予兆から実際の攻撃までの時間差がほとんどない。そのせいで回避は難しく、高位の魔法の詠唱をする時間もないのだ。

 短い発動時間と高威力を誇る攻撃を前に、橙の王の求めに応えるべく赤の王が選択したのは、最善最良にして、唯一選択できる一手だった。

 球体が振動する。そしてその震えが一際強くなったその瞬間、球の全面から水が生まれ、そのまま全方位に向けて弾けるように爆発した。

 とめどなく溢れる高圧の大瀑布が大地を抉りながら進み、その先にいる赤の王へと襲い掛かる。同時に、球体の攻撃に併せるようにして、背後からは風の魔物による大規模な竜巻が放たれた。

 回避を完全に捨てた赤の王は、その身を脅かす強大な力を全身で感じながら、しかし臆することなく、王として選択した魔法を叫ぶ。

「――“森羅万象焼き滅ぼす炎グラン・フレア・フラメス”!」

 起点を己自身に定めた魔法が、赤の王を中心に爆発し、灼熱の炎が大瀑布と竜巻へと襲いかかった。炎が竜巻を呑み込み、風を帯びて更に拡大する。そして炎の渦へと変貌した灼熱は、その勢いのままに風の魔物へとぶつかった。急速に拡大した炎の勢力を前に、避ける暇すら与えられなかった風の魔物が声もなく消し炭と化す。

 一方で、球体の攻撃と赤の王の攻撃とは拮抗していた。燃え盛る炎は勢いを落とさぬまま水の質量にぶつかり続けるが、球体が放つ水もまた枯れることなく、触れた先から炎を殺していく。互いに互いを削るぶつかり合いは、激しい水蒸気となって噴き上がり、赤の王と球体の間を覆い尽くした。

 あとはもう、持久力の勝負だ。その段階に赤の王が持ち込んだ頃、極限魔法の範囲外ギリギリの上空に離脱した橙の王は、その場で騎獣を停止させ、眼下を見下ろした。

 橙の王にとっての脅威たり得る風の魔物は、赤の王が始末してくれた。残りの球体も、全面的に彼が引き受けてくれている。ならば、ここからは橙の王の仕事だ。

「――風の囁きを掻き消す存在もの

 低い声が、朗々とした音で言葉を紡ぐ。

とうより深き石巌の覇者よ 全てを穿つ破壊の御手よ」

 それは、極限魔法に似た、しかし全く異なる詠唱だ。唱える言葉たちの重みは極限魔法の比ではなく、ひとことひとことを紡ぐ度に、身体を巡る血液が熱されるような不思議な感覚に襲われる。だが何故か、予想していた莫大な魔力の流れは一切ない。それに疑問を覚える余裕すらなく、橙の王はただひたすらに言葉を紡ぎ続ける。

「汝が子らの声を聴き 祈りの唄に答えるならば」

 極限まで高めた集中力で、橙の王は対象と範囲の固定を試みた。それは呆気ないほどに簡単で、しかし気を抜けば今にも弾けそうなほどに困難な行為だ。暴れだしそうな力を押さえ付けながら、王が続く言葉を舌に滑らせる。

「我に抗う全ての愚者に 滅びの道を歩ません」

 まるで身体中から魔力が抜け落ちたような脱力感が橙の王を襲う一方で、実際に魔力が消耗された様子はない。そこで、橙の王はようやく気づいた。王たちの認識が、間違っていたことに。

 莫大な魔力を引き換えにする発動すると思われていたこの魔法は、その実一切の魔力を必要としないのだ。

 改めて考えてみれば、それは至極当然のことである。魔力とは飽くまでも精霊を使役する際の代償なのだから、願う対象が精霊でないこの場合、魔力は何の対価にもならない。過去視や未来視の場合は、使用者にすら神性魔法である可能性を思わせないためか、疑似的に魔力の消費が生じているようだが、初めからそれと判っているこの魔法の場合は、形式上の魔力消費すら行われないのだ。故に、この魔法において王が練り上げるのは魔力ではなく、ただひたむきな祈りだけである。

 眼下に僅か窺える球体が、一際大きく波打って形を変えた。球だったものがぼこぼこと膨れ上がり、全身が刺に包まれたかのような姿へと変貌する。恐らくは、またフェイズが跳ね上がったのだ。その段階を以て、赤の王の極限魔法を打ち破るつもりなのだろう。

 間に合うか。

 僅か一瞬だけよぎったその考えを、橙の王が強制的に排除する。余計な思考は魔法の邪魔でしかない。今の彼がすべきことは、ただ純粋な祝詞を捧げることだけである。

 再び集中の糸を張り詰めた橙の王は、他の一切をその思考から追い出し、最後の祈りを音に乗せる。

「天上の りょくの神にも牙を向き――!」

 身体中の血液が沸騰するような感覚のなか、これを以て詠唱は完成した。ならば、あとはその名を呼ぶだけである。

 変形を経て更に苛烈さを増した水流が荒れ狂う中心を見据え、大地の王は尊き名を戴く魔法の名を叫んだ。

「――“地神の裁きテニタ・アルス・エアルス”!」

 それは、極限魔法と全く同じ名前をした、しかし紡がれる音色が全く異なる、究極の魔法だ。

 そして王がそれを唱えた瞬間、空が大きく割れた。

 雲を割き、その先にある青空までをも割り、虚空の彼方から一筋の光が降る。その光の先にあるのは、小さくつややかな珠のような何かだ。

 橙色に輝くそれは、ふわりと水球の元へと向かったかと思うと、次の瞬間一度だけまたたき、漆黒へと変化した。同時に、まるで渦を描くかのようにして、敵の生み出した水が珠へと吸い込まれていく。その勢いは凄まじく、この場に海でも作るつもりなのかというくらいに溢れ出していた水量が、見る見る内に呑み込まれていった。

 いや、違う。目を凝らした橙の王は、己の考えが間違っていることを知る。

 水は吸い込まれているのでも、呑み込まれているのでもない。珠の表面に到達するや否や、その場で蒸発しているのだ。

 そう、大地の神性魔法とは、超高密度の物質の引力による、万物の蒸発消滅だったのだ。

「……こりゃ、規模が違うなぁ……」

 思わずそう溢した橙の王が見つめる先で、敵である球体までもが小さな珠へと引き込まれていく。そして、あれほどまでに二人の王を苦しめた球体は、きつく絞られるようにしてぎゅるりと珠に吸われ、珠の表面で呆気なく蒸発して消え去った。

 魔法の発動からここまで、まさに一瞬のできごとである。

 敵を屠った珠は、再び一度またたいてから橙色へと色を戻し、そしてそのまますっと消滅した。残されたのは、無惨に抉られた大地と、炎の残り香と、そして、

「…………グランデル、王、」

 対象や範囲の指定は滞りなく行った。故に、橙の王の魔法が赤の王に作用することはなかったはずだ。だが、神性魔法発動直前に敵が放った攻撃の行方は、橙の王にも判らない。

 果たして、災厄の中心にいた赤の王はどうなったのか。

 それを確認しようとした橙の王は、しかしその目で地上の赤の王を捉える前に、全身から力が抜ける感覚と共に意識を手放した。

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