戦線 -死闘の行方- 1

「――“森羅万象打ち砕く大地テニタ・アルス・エアルス”!」


 怒号のような低音の叫びがこだまし、次の瞬間、大地が大きく盛り上がった。広範囲に渡って無数の巨大な石槍が突き上がり、地形を大きく変えながら球体に襲いかかる。

 町ひとつを呑み込む魔法の効果範囲には当然ながらレクシリアも含まれており、騎獣であるライデンの回避力がなければ、もろとも大技を食らっていたところだっただろう。

 そんな状況だったので、極限魔法以上の集中力を求められる魔法の詠唱は途切れて、レクシリアの魔法は完成することなく霧散してしまった。

 そして、レクシリアが己の魔法の失敗を悟ったときにはもう、周囲の景色は一変していた。

 青々とした木々たちは見る影もなく根から倒され、その代わりとばかりに、数多の巨大な石槍が天高く聳え立っている。

 魔法自体は、レクシリアもかつて水の魔物を倒す際に使った魔法だ。だが、これはそのときよりも高い破壊力と規模を誇る。そして今現在、この魔法を使える人物はただ一人。

「……テニタグナータ王」

 レクシリアが振り返った先。大地の槍たちを従えるようにして緑の騎獣の背に乗っていたのは、橙の王だった。

 予想よりも遥かに早い橙の王の登場に、レクシリアの表情が素直な驚きに彩られる。一方で橙の王は、酷く苦々しげな顔をしてレクシリアを見た。

「……グランデル王、お前さん、何を考えとるんだ」

「……は?」

 問いの意味が判らない、という顔をしたレクシリアに、橙の王の表情が更に渋くなる。

「自分が何をしようとしたのか、理解しとるか?」

「……何って……」

 やはり問いの意味が判らず戸惑うレクシリアに、橙の王は大きく息を吐いた。

「……エルキディタータリエンデ王から言い含められとったが、まさに予感的中というやつだな」

 そう言った橙の王が、改めてレクシリアを見る。

(……酷い有り様だ)

 左腕は完全に失われ、右腕も二の腕が大きく抉れている。これでは、もう腕は使えないだろう。ならば脚は無事かと思えば、こちらは右足の足首から先がない。よくよく見れば片耳も削がれている様子で、見るに耐えないとはこのことだな、と橙の王は思った。

 だが、それでも即座に死に至るような致命傷だけは避けている。

(それがまた、痛々しい限りだ)

 再び息を吐いた橙の王が、レクシリアの傍へと騎獣を寄らせる。そして彼は、正面から睨むようにしてレクシリアを見た。

「儂の目には、お前さんが神性魔法を使おうとしとるように見えたんだが」

 その問いに、レクシリアがぱちりと瞬く。

「ああ、そうだが」

 それがなんだ、と言わんばかりの顔に、橙の王は困ったような怒ったような表情を浮かべた。

「神性魔法は最終手段だろうに。ありゃあ確かに最強の魔法だが、その分反動が馬鹿にならんのは知っとるだろう。……少なくとも、属性の相性が悪い相手にほいほい使うようなもんじゃあない。それで倒せりゃあ万々歳だが、倒せなかったときはどうする? 発動後は恐らく、意識を保つのがやっとだぞ」

「……後のことを考えていられるような余裕はなかった。俺が使える魔法はどれも効果がないなら、あとは神性魔法くらいしかない。だからそれを選択した。……何か間違ってるか?」

「間違いかどうかは、そこに至る過程次第だろうなぁ。……お前さん、それで敵を倒せなかったときのことは考えたか?」

 言われ、レクシリアが押し黙る。

「まあその場合、間違いなくお前さんは殺されるだろうな」

 そのひとことに、レクシリアが口を開いた。

「判ってる。そんなことは覚悟の上だ」

「そうは言っても、その覚悟にどれだけの価値がある?」

 ぴしゃりと言われ、レクシリアは再び押し黙った。

「お前さんのその覚悟とやらは、何に起因するものだ? 真に価値のある選択の末の産物なのか?」

 畳み掛けるような言葉は、最早問いではなかった。

 きっと、レクシリアは既に気づいている。だが、それでは駄目だ。たとえ彼を深く傷つけることになろうとも、他者からの言葉で抉られなければ、変わることができない。

 帝都に向けて出発する前に銀の王から言われた言葉を思い出しながら、橙の王は内心で深く溜め息を吐いた。


『グランデル王をよく見ておけ。あれはまだ、危うく脆い』


 その役目を橙の王に任せたのは、きっと銀の王の優しさだ。判りにくいことこの上ないが、王の在り方に敏感なあの王は、王という存在を王として成長させる選択しかしない。必要があれば叩くが、必要以上に傷つけるような真似はしないのだ。

(……それにしても、嫌な役を押し付けられたもんだ)

 適任者が自分であることは理解できるが、だからといって進んで負いたい責でもない。そうひとりごちながら、橙の王が口を開く。

「王がすべきことってのは、まあ色々ある訳だが、まず第一に心掛けることが何だか知っとるか?」

 問われ、しかしレクシリアは答えない。答えられないのだろう。

「……自分のために死なないことだ」

 その答えに、レクシリアの目が僅か揺れる。だが、それに気づかなかったふりをした橙の王は、更に言葉を続けた。

「王が死んで良いのは、それが民のためになるときだ。自分のために死ぬことなど、まずあっちゃあならん。……さて、今回のお前さんはどうだ?」

 レクシリアは答えない。けれどきっと、彼は答えを知っている。それでも、橙の王は追及の手を緩めない。

「気持ちは判らんでもない。先代は優秀だった。あれの後釜なんぞ、儂だってごめんだ。それにそもそも、今回は何もかもが急すぎた。昨日の今日で完璧に王になれと言っても、普通は難しいんもんだ。……だが、だからと言って、それに甘えるのは違うだろう」

 それはきっと、レクシリアが触れられたくない部分だ。それを判っていて、それでも橙の王はその一歩を踏み出す。

「……良いか、自分が倒れてもロステアール・クレウ・グランダが居る、という甘い考えは、今この場で捨て去れ。お前さんがそうして立っている以上、あれもまた民の一人であり、お前さんが守るべき存在だ。……間違っても、頼るべき存在じゃあない」

 まだ生まれたばかりの王に求めるには、あまりにも酷な要求だ。だが、それでも彼にはその要求に応える義務がある。

 橙の王が、真っ直ぐにレクシリアの瞳を見た。

「お前さんは、王だろう」

 そのひとことに、レクシリアが息を飲む。そして、数度瞳を揺らがせた彼は、一度だけ瞼を下ろしたあと、目を開けて橙の王を見返した。

「……ああ、俺がグランデル王だ」

 その目にもう迷いはなく、それを見てとった橙の王が、にかっと笑みを浮かべた。

「それでこそだ!」

「……いや、迷惑をかけた。悪い」

「なに、気にすることはない。誰しもが一度は、似たような道を通るもんだ」

 そう言って豪快に笑った橙の王に、赤の王も僅か笑みを浮かべる。

 だが、束の間の穏やかな空気は、すぐさま一変した。

『――修復が完了しました。稼働を再開します』

 無機質な声に、赤の王がばっと声の方を見やり、橙の王は驚きの表情を浮かべた。

「やっぱり仕留められなかったか!」

「儂の極限魔法でか!? いや、確かに間に合わんと思って詠唱は破棄したが、腐っても極限魔法だぞ!?」

「奴が桁外れに強いんだ! 相性が良いあんたならなんとかなるかとも思ったが、この結果になっても驚きはしねぇ!」

「なるほど、そこまでの脅威か! こりゃあ、儂が撒いてきた敵とはレベルが違うというやつだな!」

 思わず唸った橙の王が見た先で、極限魔法による大地の槍が水の鞭によって折られ、勢いよく吹き飛ばされる。

 そして、吹き飛んだ槍があった場所に再び姿を現した球体が、その目玉をぐりんと回転させた。

『――基幹次元リエンコルム/人類/通常個体/ライオテッド・ディトガ・テニタグンを確認。A級緊急事態と判断しました。フェイズ4に移行します』

 宣言するや否や、球体から高圧の水が噴射され、真っ直ぐに二人の王に向かってきた。

 咄嗟に橙の王が大地の防護壁を生み出し、水の遮断を試みたが、用意した壁にすぐさまひびが入る。

「いかん! 避けろ!」

 橙の王がそう叫んだが、言われるまでもなく赤の王の騎獣は回避行動を取った。同様に、橙の王を乗せた緑の騎獣も軽やかに攻撃を回避したが、橙の王にとっては、水の攻撃を防ぎきれなかったという事実が驚きだった。

「手を抜いたつもりはないんだが」

「だから、桁外れに強いって言っただろう!」

「いや、だが、それにしてもここまでとはなぁ……」

 半ば感心したように唸った橙の王が、難しそうな顔をする。

 あの防護壁ならば、回避をするための時間稼ぎくらいにはなる。しかし、それだけでは反撃に転じにくい。そもそも、極限魔法を食らってもほぼ無傷という時点で、正直に言えば手に追えないレベルの敵である。

(いや、修復がどうのと言っておったし、無傷というよりは回復したということなのか? ……なんにせよ、仕留め切れていないという時点でお察しか)

 いくら王が二人いるとはいえ、これは手を焼くぞ、と橙の王が思ったあたりで、不意に感じた殺気に、彼は背後を振り返った。しかし、僅かに反応が遅れる。そして、その遅れを嘲笑うかのように、橙の王目掛けて風の矢が降り注いだ。

 だが、

「火霊!」

 矢が橙の王に到達する直前、赤の王の呼び掛けに応えた火霊が、襲い来る風を焼き払う。

「っ! 助かったぞグランデル王!」

「お互い様だ! けど、状況は悪化したぞ!」

 背後を見た赤の王がそう叫ぶ。その支線の先に居るのは、皮と骨だけの姿をした四足の獣。

 そう、橙の王が石の檻に閉じ込めた風の魔物が檻を破り、とうとう追い付いてきたのだ。

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