戦線 -赤の王- 2

「っ!?」

 驚きの表情を浮かべた王を、黒々としたまなこがぎょろりと見つめる。

『――擬態が強制解除されました。これよりフェイズ2に移行します』

「あ?」

 何の話だ、と訊き返した王だったが、球体はそれに答えを返すことなく、王をじっと見つめ続ける。

『――スキャン完了。個体識別:基幹次元リエンコルム/人類/微特殊個体/レクシリア・グラ・ロンター。――エラー、エラー。想定されていた超特異点個体ロステアール・クレウ・グランダではありません。対応レベルを落としますか?』

「……おい、どういう意味だ」

 そう問うも、やはり答えは返ってこない。代わりに、何に語りかけているのかも不明な無機質な声が再び響く。

『――了解しました。それでは対応レベルを維持したまま、レクシリア・グラ・ロンターの排除を実行します』

 その言葉に王が反応するよりも早く、球体の表面がとぷんと波打った。そして次の瞬間、目にも止まらぬ速さで球体から水の鞭のようなものがしなり、寸分狂わず王に向かう。

 まさに神速の攻撃は、的確に王の心臓を狙った一撃だった。いかに王と言えど、咄嗟に反応しきれる速度ではない。

 だが、雷の獣は違った。

 主人の危機を正確に把握したライデンが、己にできる最速で回避を図る。だが、ライデンを以てしても、敵の攻撃の速度に勝ることは難しかった。

 しなる水が、鋭利な刃となって王に向かう。ライデンによって僅かずらされた軌道は、しかし完全な回避を許すことはなく、王の左腕に襲いかかった。

「っ!」

 声を上げなかったのは、王としてのプライドだろうか。

 左腕を襲った激痛に顔を歪めた王は、己の腕を見て更に顔を顰めた。

 先程の攻撃で、肩から下が見事に斬り落とされたのだ。

「火霊!」

 王になったことで水霊魔法の適性を失った赤の王は、以前のように回復魔法を使うことができない。故に彼は、止血のために傷口を焼き切る方法を取った。

 歯を食い縛って肉が焼かれる痛みに耐えた王が、残された右手で騎獣の首を優しく叩く。

「よく避けてくれた、ライガ。お前のお陰で命拾いした」

 労いの言葉に、しかしライデンは悲しそうな鳴き声を上げた。主人が重症を負ったことに、責任を感じているのだろう。

「そう落ち込むなよ。幸い俺は両利きだからな。腕一本持ってかれたところで、大して困りゃしねぇ。……それより問題は、あの敵をどうするかだ」

 王が睨み据えた先で、球体の目玉がぐるんと回転する。

『――敵の行動が予測を下回りました。微特殊個体レクシリア・グラ・ロンターの推定能力値を下方修正します。超特異点個体ロステアール・クレウ・グランダ専用対応レベルの変更を検討してください』

「……さっきから好き放題言ってくれるじゃねぇか」

 自分に向けられている言葉でないことは判っているが、その内容は王に関わるものだ。そして、淡々とした敵の指摘が正しいことは、王自身が一番理解している。

『――了解しました。対応レベルを維持し続けます』

 隠す気もない発言から察するに、この敵は、先代の赤の王ロステアールと戦うために用意された相手だ。ならば、今の赤の王であるレクシリアが敵う相手ではない。

 誰よりもその事実を知っているレクシリアは、それ故にこの時点で覚悟を決めた。

 ここには居ない誰かとの交信をしていた敵の目が、またぐるりと回ってレクシリアを見る。そして視線をそのままに、球体はその表面をふるりと震わせた。

『微特殊個体レクシリア・グラ・ロンターに、質問があります。なお、これは私個人の純粋な疑問であり興味なので、回答の義務はありません』

 すっかり攻撃を止めた球体が、レクシリアに語りかける。だが、敵の明らかな隙を前にして、レクシリアは手を打つことができなかった。何をしたところでこの相手には通用しないと、理解してしまったからだ。それこそ、敵に一矢報いることはおろか、敵の攻撃を防ぐことも命からがら逃げることも不可能だと、悟ってしまったのだ。

『超特異点個体ロステアール・クレウ・グランダと比較すると、貴方はあまりにも脆弱です。そんな身で、何故王を継ごうという考えに至ったのでしょうか。何故、自身がその器であると考えるのでしょうか』

 それは、レクシリアが最も忌避し、心から恐れてすらいた問いだった。

 己が彼に及ばないことなど、レクシリア自身が一番よく判っている。彼はこの上なく優れた王であり、王として在るために生まれたかのような存在だ。だから、自分を含む誰にも、彼の代わりになることなどできはしない。

 だからこそ、レクシリアは王位の簒奪を宣言したのだ。これは本来あるべき姿ではなく、一時の偽りなのだと。国を統べる名を戴くのは、自分ではなく彼なのだと。

 自覚はしている。覚悟もしていた。だが、

(……事実として突き付けられると、さすがに堪えるものがあるな)

 レクシリアはロステアール・クレウ・グランダを心から敬愛している。それこそ幼少の頃から、ずっと彼のことを尊敬し、彼の助けになりたい一心で己を磨いてきた。ずっと彼の背中を追って生きてきた。

 それ故に、嫌でも理解してしまうのだ。彼と自分はあまりにも違う。血反吐を吐くような努力をどれだけ重ねようと、レクシリアが彼に及ぶことはない。それほどまでに、彼は高みに居る存在だった。

(判ってるさ。俺じゃあいつの代わりにはならない。俺なんかが、あいつを差し置いて王になれる筈がない)

 そうだ。レクシリアは知っている。王になるには、自分があまりにも無力であることを。

「……自分を王の器だと思ったことなんて、生まれてこのかた一度もねぇよ」

『では、何故王を継いだのですか?』

 球体の問いに、レクシリアは一度瞬きをしたあと、その顔に薄く笑みを浮かべた。

「違う。俺は王位を継いでなんかいない。そうするのが最善だと判断し、ただ王の座を簒奪しただけだ」

 そうだ。ただそれだけなのだ。

「だから、俺は真の意味での王じゃない」

 レクシリアの口から、自然と言葉が落ちていく。

 そう。レクシリアは王ではない。何故なら、

「……俺の王は、あいつだけだ」

 それは心からの言葉で、故にレクシリアは個としての覚悟を決めた。レクシリアの役目は、彼の王が目覚めるまでの間を繋ぐことである。ならば、ここで彼がすべき選択は決まりきっていた。

『回答を得ましたが、理解は不可能でした。質問を終了します』

「ああ、結構だ。別に理解して貰いたいとは思ってねぇからな」

『それではこれより、処理を再開します』

 その言葉を合図に、球体の表面がとぷんと揺れる。

 レクシリアには、次に来るだろう攻撃を避けられる保証がない。だが、彼はそれを気にしてはいなかった。

 レクシリアの扱える魔法で、この敵に通用するものはない。いや、きっとそれは先代赤の王であっても同じだ。ただ、先代ならばそれでもこの状況を打破できたはずで、レクシリアにはそれができない。

「悪いな、ライガ。あと少しだけ、敵の攻撃を避けるのに集中してくれ。ああ、腕やら脚やらがもげるのは構わねぇから、死なないようにだけ頼む」

 そう言ったレクシリアが、波打つ球体を睨み据え、大きく息を吐き出した。そして、彼はその音を唇に乗せる。

「――水の流れに逆らう存在もの

 瞬間、レクシリアの体内の血液が、まるで沸騰するかのようにざわついた。だが、そこに予感していたような魔力の流れはなく、ただひたすらにレクシリアの全身を熱が駆け巡る。

「赤より赤き紅蓮の覇者よ 全てを滅ぼす破壊の御手よ」

 球体が繰り出す水の流れが、懸命に駆けるライデンを捉え、レクシリアを襲う。だが、残された右腕の一部が削がれ、左耳が落ち、片足の先が切り取られても、レクシリアは詠唱を止めようとはしなかった。そしてそれは、極限魔法に似た、しかしそれよりもずっと重くのしかかるような音色で紡がれていく。

 果たしてこの魔法を以てすれば、目の前の敵を打ち砕くことができるのか。それはレクシリアにも判らない。しかし、これが彼にできる精一杯だ。もう彼には、間違いなく最強の魔法であるこの一撃を放つしか、手段がないのだ。

 持てるものを投げ出す覚悟は決めた。残したものを切り捨てることへの迷いも捨てた。ならばこの魔法の完成は、レクシリアが望んだ未来そのものである。

 だが、


「――“森羅万象打ち砕く大地テニタ・アルス・エアルス”!」


 レクシリアのその覚悟は、怒号じみた叫びによって呆気なく打ち砕かれた。

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