戦線 -赤の王- 1

 帝都を覆う外壁の外。その北東部では、他の国王たちとは一線を画す戦いが繰り広げられていた。

「ライガ! 俺のことは気にしなくて良い! もっと速度を上げろ!」

 己が乗る騎獣に向かいそう叫んだのは、赤の王、レクシリア・グラ・ロンターだ。

 彼の騎獣である雷の系統に属する希少種、ライデンは、騎獣としては最速を誇る黄の王の騎獣に並ぶ機動力を持つ獣である。だが、基本的にはその背に人間を乗せている場合、その真価は発揮されない。人間はライデン種と違い、過度な速度に対する耐性がないからだ。

 そのことを理解しているライデンは、主人たる赤の王の命令に躊躇いの素振りを見せた。だが、赤の王は尚も言葉を重ねる。

「俺の身体の心配してる余裕はねぇだろ!」

 そう叫ぶ王の顔には焦燥がはっきりと刻まれており、ライデンは僅かな躊躇の後、空気を蹴る脚に力を込めた。

 獣の全身からばちっと光が弾け、その速度がぐんと跳ね上がる。同時に王が自身を保護する魔法の強度を上げたが、ライデンの速度には対応しきれないのか、その衣服や肌に細かな裂傷が刻まれていった。

 そんな一人と一頭を掠めるようにして、無数の水弾が襲いかかる。それらを全て紙一重で躱せているのは、偏にライデンの能力の高さによるものだろう。

 元々野生個体として生きていたこのライデンだからこそ、なんとかギリギリのところで持ち堪えられているが、この状態が長く続けば追い詰められるのは王の側であることは明白だ。

 少しでも騎獣のサポートを、と王が火霊魔法を水弾にぶつけてはみるものの、これまで同様跡形もなく掻き消されてしまい、敵の攻撃の威力を弱めることさえできない。

 盛大に舌打ちをした王が、水弾の出所、敵の方へと視線をやる。

 そこにいるのは、先日赤の国を襲った巨大な水系統の魔物によく似た生物だ。確かに脅威と言えば脅威だが、一度は倒した敵である。

 もっとも、今の王は宰相だったあのときとは違い、火属性の魔法適性が上がった分、他の属性の魔法適性が下がっているし、そもそもあのときのようなグレイのサポートがない。地霊の極限魔法を撃てない赤の王では、この敵に勝つことは難しいだろう。だが、あのときと同じ敵ならば、橙の王と合流するまで逃げおおせることは十分可能だ。

 と、そう思っていた。思い込んでいた。

 その見込みのまま戦闘に入った王は、すぐに己の考えを覆す羽目になる。

(確かに見た目は丸っきりあのときの敵と同じだが、能力が違いすぎる……!)

 そう、あまりにも敵が強すぎるのだ。極限魔法クラスとは言わずともかなりの高威力を誇る火霊魔法を放っても、敵の攻撃を僅かも弱めることができず、それどころか、今の赤の王が撃てる最高威力の地霊魔法を以てしても、水弾の威力を殺すことすらできない。

(考えたくねぇが、手応えから推察するに、地霊の極限魔法じゃこの前の魔物を倒すので一杯一杯だ。……となると、こいつ、橙の王の極限魔法ですら倒せる保証がないんじゃねぇのか……?)

 回避行動に徹することしかできないまま、そんな考えが王の脳裏をよぎる。

(いや、ひとまずこの考えは置いておこう。それよりも、なんとか橙の王と合流することが先決だ)

 そう切り替えた王が、敵の攻撃を回避しつつ南に向かうよう、ライデンに指示を出す。

 だが、指示をした王自身も、それが実現不可能に近い指示だと理解はしていた。

 敵の攻撃に、まるで隙がないのだ。それこそ、ライデン種本来の速度を発揮してもなお危なげなほどに、個々の攻撃の到達速度が速く、手数が多い。その上、まるで規則性などないかのような攻撃は、しかし腹が立つほど的確に王の退路を絶つように、全方位から襲い来るのだ。

 そして、少しでも隙を作ろうと王が何かしらの魔法を発動したところで、それらは全て大した効果を発揮しない。

 冗談抜きで、欠片も打開策が浮かばない状況だ。今のままでは、ライデンの体力が尽きたときが王の命が尽きるときだ、と言っても過言ではない。

(何か! 何かねぇのか!)

 高速で移り変わる景色のなか、極限まで視野を広げ、王が敵の外観や所作を観察する。

 そのとき、ふと、敵の姿が揺らいだ気がした。

(……あ?)

 僅かに眉を顰めた王が、一瞬考え込むような素振りを見せたあと、敵の攻撃を縫うようにして火霊魔法を放った。

 繰り出した魔法自体は、可もなく不可もない中級程度のものである。だが、調整が難しい単属性魔法を操り、細かな軌道を保って敵に到達させたのは、王の手腕の成せる業だ。

 果たして、見事敵にぶつかったその魔法は、そのまま敵の身体をすり抜けた。

「あぁ!?」

 思わず声を上げた王が、これまで以上に目を凝らして敵を見る。

(……敵の攻撃すら打ち消せねぇ以上、本体への攻撃は無駄だと踏んでたが……)

 暫しの思考の後、王が再び火の攻撃魔法を放った。またもや器用に水弾の合間を縫って奔った火が、敵の身体へとぶつかる。そして先程同様に、これといった手応えもなく攻撃がすり抜ける刹那、王の目は確かにそれを捉えた。

(なんだありゃあ)

 王の攻撃が敵の身体をすり抜ける瞬間、まるでノイズがかかったかのように、攻撃した箇所の像がブレたのだ。

「……ライガ、お前はそのまま回避を続けてくれ。俺はあれの正体を探ってみる」

 そう言った王が、立て続けに炎を生み出し、敵の身体のいたるところに向けて放つ。個々を操り確実に敵に到達させれば、ほとんどの炎が魔物の揺らぎと共にすり抜けていくなか、ひとつだけ物体を伴うであろう何かにぶつかって弾けたのが確認できた。

(位置は……喉元の辺りか!)

 そこに何があるのかは判らないが、少なくとも攻撃がすり抜けない以上、追撃を入れる価値はある。

 そう判断した王が、高威力の魔法の詠唱を開始した。

「唸れ 奔れ 咆哮せよ そは怒りを彩る光 そは道を拓く一陣 燃え盛る祈りは野生となり その意思を以て空を翔ける! ――“猛り喰らう業炎の牙フィクス・ディフ・バイティア”!」

 魔法の完成と共に、獣の姿を象った炎が生まれ、まるで生き物のように宙を駆けて魔物へと向かう。迫り来る水弾を掻い潜って走る獣は、ついに魔物へと肉薄し、その喉元へと食らいついた。

 瞬間、魔物の長く巨大な体躯が大きくブレたかと思うと、水弾による波状攻撃が止み、まるで蜃気楼が掻き消えるかのように、そこにあった像が解けた。そして、ちょうど炎の獣が食らいついた喉元から、何かが姿を現す。

「……なんだ、ありゃあ」

 見知った魔物の像が消え、新たに現れたのは、成人男性よりも少しばかり大きな青い球体だった。一見すると硬質なそれは、しかしよく見ると、表面が水のように波打っている。

 およそ生き物のようには見えないが、状況的にこの球体がなんらかの力で巨大な魔物の姿を偽り、王を攻撃していたと考えて良いだろう。

(……生き物、っつーよりは、装置か何かか?)

 訝しげな顔をした王が球体を見つめる中、突然球体の表面が大きく波打ち、ぎゅるりと渦のようにうねったかと思うと、そこに巨大な目玉がひとつ出現した。

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