戦線 -決着-

 凄まじい勢いで大地を呑みながら突き進む流れの先頭には、高く結い上げた青髪の青年、青の王がいる。そしてそれよりも遥かに後ろから、半ば大地に埋もれるようにして猛然と向かってくる巨大な生物。

 ぬるりとした岩肌の肉塊のようなその巨体を認めた緑の王は、あれが青の王に仕向けられた刺客なのだと悟る。そして青の王もまた、空に佇む巨大な火の鳥を目にし、緑の王が置かれた状況を把握した。

 火の鳥が青の王に気を取られている隙に、緑の王が空を翔け、青の王の元へと降り立つ。

「すみません、ミゼルティア王。本来でしたら機動力のあるわたくしの方が、貴方の元へと向かうべきでしたのに」

「いえ、敵も飛べるとなると、属性上分が悪すぎるでしょう。幸い私の方の敵は鈍足だったもので、問題はありません」

 鈍足、という言葉に若干の棘を感じた緑の王は、内心で少しだけ苦笑した。自分よりも幾分か年若い王が素直に感情を露わにする様子を、もしかすると可愛らしいと思ったのかもしれない。

「さて、魔力には余裕がありまして?」

 青の王の背後。大地を揺るがし向かってくる巨体を見据え、緑の王が問う。

「予定よりも消耗はしましたが、それも想定内です。……カスィーミレウ王こそ、満身創痍のように見受けられますが」

 彼なりに言葉を選ぼうとしたのか、青の王の言葉が一瞬止まったが、結局は歯に衣を着せることはやめたらしい。果たして意図的にやめたのか、良い言葉が咄嗟に浮かばずに断念せざるを得なかったのか、さてどちらだろう、と思った緑の王は、また内心で笑った。

「ええ、満身創痍ですわよ。正直に申し上げれば、焼けた脚が結構な重症で、少々歩行困難です。まあ、それも空を飛べば関係のない話ですわ」

「相変わらず、繊細そうに見えて意外と粗雑でいらっしゃる」

「褒め言葉として受け取っておきますわね」

 言いながら、緑の王が右手を前へと突き出す。そのまま風霊の名を呼べば、彼女と青の王を包み込んで余りある範囲に、何重にも重なった半球状の風の膜が生まれた。

 それを見た青の王もまた、従えて来た水の激流を操り、風の膜を覆うようにして水の衣を展開させる。

 その直後、地の魔物と火の魔物が前後から攻撃を放ってきたが、地の攻撃は風の膜に、火の攻撃は水の衣に阻まれて、僅かも王に届くことはなかった。

「貴女の攻撃に巻き込まれるのは避けたいので、護りを分断しませんか?」

「ええ、賛成ですわ」

 言うや否や、緑の王が瞬時に空高くへと飛行する。同時に、二人を包んでいた二色の衣が二つに分かれた。

 飛び立った緑の王目掛けて火の鳥が炎の塊をいくつも放ってきたが、まるで意思を持つように揺らめいた水の衣が、それらを全て飲み込んでしまう。

 決して手を抜いたわけではない炎を殺され、火の鳥は今度こそ苛立ちを隠せない様子で叫んだ。

『なんて腹立たしい!』

『いくら水とはいえ、僕の炎が掻き消されてなるものか!』

 初めて余裕がない素振りを見せた火の鳥を見て嘲笑うような笑みを浮かべたのは、緑の王ではなく青の王だった。

「面白いことを言いますね。それでは私はこう返せばよろしいのでしょうか? ――それが炎である限り、私の水が掻き消せない道理がない」

 言い放った青の王の背後で、彼に同調するように水がうねる。そんな彼の元へ、背後の地の魔物が放ったのであろう石の槍が降り注いだ。だが、今度は風の膜がそれらを全て切り裂き弾き飛ばしてしまう。そして、そうなることを知っていた青の王は、最早背後を振り返りもしなかった。

「察するに、あの地の魔物もあなたも、どうも人という生き物を侮りすぎているのですよ」

 青の王がそう言い、憐れむような視線を火の鳥へ向ける。

 一方の緑の王も、まさに同じ言葉を地の魔物へと差し出したところだった。

「世界が異なれば、そこに生きる命の質も変わるものですわ。貴女ほどの存在であれば、その程度のことは容易に想像がつくでしょうに」

「それを怠り、私たちのことを格下の生命だと断定してしまった時点で、あなた方に勝ち目などなかったのですよ」

「初手の時点で貴方がわたくしたちを対等の生命であると認めていれば……、――いえ、だとしても、わたくしたちが負けるなどということは有り得ませんわね」

 断定する二人の王に、それぞれの魔物が何故を問う。それに対し、水と風を従える王たちは嫣然と微笑んでみせた。

「わたくしが王だからですわ」

「そして王である以上、たとえ命と引き換えにしたとしても負けることは許されないからです」

 二人の王の距離はすでに遠く、互いに互いの声など聞こえないはずだ。だが、二人が言い放ったその言葉は僅かな違いもなく同じ意を持つもので、そこで初めて、二頭の魔物は王に対して畏怖の感情を抱くに至った。

 だが、手遅れである。

 地は風に、火は水に掻き消されるのが、世界の理なのだ。

 ようやく己が置かれた状況を悟った魔物たちが、生き残らんと猛攻を仕掛けるが、縦横無尽に閃く水と風が、それらを全て相殺していく。そしてその最中、二人の王は示し合わせたように唇を開いた。

「青より青き水簾すいれんの覇者よ 全てを呑み込む破壊の御手よ」

りょくより深き嵐の覇者よ 全てを切り裂く破壊の御手よ」

 二人の王から凝縮された魔力の奔流が噴き上がり、風と水が大きく騒めく。同時に、魔力と共に放たれた圧倒的な威圧を感じた魔物が、焦りも露わに王に向けて波状攻撃を繰り出した。

 詠唱に神経を集中させる王たちではそれらを完全に防ぐことはできず、大地の鉾や火球がその身を傷つけたが、王たちにとっては最早、致命傷にならない傷など意識の外であった。

「汝が子らの声を聴き 祈りの唄に答えるならば 我に抗う全ての愚者に 滅びの道を歩ません」

「汝が子らの声を聴き 祈りの唄に答えるならば 我に抗う全ての愚者に 滅びの道を歩ません」

 王が目指すは、ただひたすらに詠唱の完成、それだけである。

 王同士の距離は十分に確保してあり、魔法を展開すべき範囲には巨大な敵の姿しかない。そして、二人の王にはこの一手で全てを覆せるという絶対的な確信があった。

(この魔法を以てしても倒せない相手だというのであれば、そもそもこちらの被害がこの程度で済むわけがありません)

(何よりもわたくしが、と思った。それが全てですわ)

 炎の化身と大地の化身を睨み据えた二人の王が、最後の言葉を音に乗せる。

「猛々しき 赤き衣の使者も殺し――!」

「穏やかな とうの衣の使者も殺し――!」

 自身が保有する莫大な魔力が奔流となって放たれ、凄まじい速度で消費されていくのを感じながら、二人の王は、ついに全ての頂きに存在する魔法――極限魔法を完成させる。

「――“森羅万象呑み込む激流ミスト・ウォルト・ワルテール”!!」

「――“森羅万象切り裂く轟嵐カスィ・ウィン・ストールム”!!」

 瞬間、それぞれの王の眼前に、これ以上ないほどに大規模な水の濁流と、周囲一帯を根こそぎ吹き飛ばさんばかりに荒れ狂う巨大な風の渦が生じた。

 片や街ひとつを水没させるほどの水量による大瀑布であり、片や街ひとつを跡形もなく吹き飛ばすほどの大嵐だ。

 呼吸すらも奪う勢いの水流に呑み込まれた火の鳥は悲鳴を上げ、その全身の炎が見る見るうちに掻き消されていく。同時に、激しくうねる流れは鳥の三対の翼を端から捻じ曲げ引きちぎり、見るも無残な有様へと変えていった。

 一方の大嵐もまた、地の魔物の岩肌を容赦なく切り裂き抉り、果てには巨体を宙へと浮かび上がらせ、様々な方向へ回転する風の渦に晒すことで、まるで岩片を薄く剥ぐようにしてその身を削り取っていく。

 なす術がないとは、まさにこのことだ。あまりにも強大で、慈悲の欠片すらもない魔法である。これほどまでの規模の魔法であれば、本来ならば敵は苦痛を感じる間すらなく息絶えるのだろう。だが、そうなるには敵は強すぎた。結果、その身を千々に引き裂かれる苦痛を感じながら、それでもまだ死ぬことができないのだ。

 だが、その永遠に続くかと思われた地獄も、ついに終わりが見える。

 魔物の身体を端から徐々に蝕んでいった魔法が、とうとうその命の根幹に届いたのだ。それが心臓なのか、それとは別の何かだったのかは判らない。だが、王たちの魔法は確かに、彼ら魔物を生命たらしめている核を打ち砕いたのだろう。

 ほとんど同じ瞬間に、火の魔物と地の魔物の身体がさらりと粒のようになって、そのまま砂が落ちるように崩れていく。そのときにはもう悲鳴は聞こえなかったが、自身に起こったことを理解できないとでも言いたげな魔物たちの瞳が、やけに印象に残った。

 魔物を絶命させてもなお勢いの止まらぬ二つの魔法は、しかし更に少しの時間が経ったところで、ふわりと解けて唐突に消えた。

 同時に、青の王が率いていた水が意思を失ったように崩れて地面に広がり、緑の王はほとんど落下に近い勢いで地面に降り立った。

「……威力が高いのは結構ですが、用が済んだからといって簡単に止められない点が、極限魔法の厄介なところですね。……それで、魔力の消耗状況は?」

 疲労が滲む声でそう言ったのは青の王で、それに緑の王が口を開く。

「残り三分の二、……は、少し多めに見積もりすぎかもしれませんわね。半分以上は残っていると思っていただければいいかと。貴方は?」

「私も概ね同じ程度でしょうか。あらかじめ用意してあった敵相手にこれとなると……、…………こういうことは言うべきではないのでしょうが、大いに不安ですね」

 素直な言葉に、緑の王は少しだけ驚いた表情を浮かべたあと、困った顔をして微笑んだ。

「聞かなかったことにしておきますわ」

「……ええ、そうですね。お心遣いに感謝します」

 そう言ってひとつ息を吐き出した青の王が、次に互いがすべきことについて言及しようとした、そのとき、


――突如遠くで雲が割れ、轟音と共に何かが地上に降り注いだ。

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