戦線 -緑の王- 2

(……いいえ、それは違う。これほどまでに差があるのであれば、長期戦にならないことだって有り得ますわ)

 そう。それこそ、四大国の王の極限魔法に匹敵する何かをこの敵が持っているのであれば、それを発動させるだけでこの一戦が終わる可能性がある。だからこそ、ここで緑の王が時間稼ぎなどという消極的な戦法に出る訳にはいかないのだ。

(十中八九勝てない相手でも、引きの姿勢を見せれば終わりということですわね……!)

 正しく状況を理解した王が、続けざまに高等な攻撃魔法を放つ。火の鳥の直下から大きな風の渦が巻き起こり、そして四方から圧縮された風の刃が放たれた。だが、それらも全て、巨鳥が展開した火の壁に打ち消されてしまう。

 しかし、王の狙いはその先にあった。巨鳥の周囲に火の壁が生じた瞬間、目にも止まらぬ速度で空を翔けた王が、瞬時に敵の背後に回る。そして、同時に三矢を弓につがえ、弦を引き絞った。そこまでの動作を流れるようにこなしつつ、更に先程よりも遥かに強力な風霊魔法を矢に憑依させた王は、風の渦と刃が掻き消えるその瞬間を狙い、躊躇いなく指を放した。

 それは完全に敵の虚をついた死角からの攻撃だったが、豪速の矢が敵に届く直前、ぐるりと振り返った悪魔の頭が、その口から炎を吐き出した。容赦なく放たれた業火が、王の放った三矢へと真っ直ぐに向かう。そのまま渾身の三矢は無残に焼かれて蒸発するかと思われたが、しかし、

「……同じ轍は踏みませんわよ」

 緑の王がうっすらと笑う。その視線の先で、先程の三矢がまさに神速で炎を避けた。まるで矢に意思が宿っているかのような光景であったが、無論そうではない。王が、風の流れを操って矢を操作しているのだ。矢が進む方向は勿論、その速度までをも変化させるこの魔法は、非常に高い集中力を要する魔法である。常人であれば己を飛行させながらでは到底実行できない攻撃だが、彼女にとっては徐の口であった。

「さあ、休む間も与えませんから、覚悟なさってください」

 火の鳥を狙って飛び交う三矢をそのままに、王が次の三矢を弓につがえる。

 合間合間に風の攻撃魔法を挟みつつ、三矢放ってはまた三矢を備え、と繰り返し、王がようやく弓を降ろす頃には、場には十数本の矢が飛び交っていた。

 それら全てを自在に操り火の鳥を翻弄する王は、未だ不敵な笑みを絶やさずに巨鳥を睨み据えている。だが、それでもその顔には疲労が滲み始めていた。

 当代の緑の王は、四大国の王にしては非常に稀有なことに、比較的細やかに魔法の調整をすることができる。今扱っている魔法においても、ここまで多くの矢を同時に操れるのは、その恩恵によるものだ。だが、単属性の魔法は元来調整しにくい性質を持っているため、いくら緑の王とはいえ、今の状況を維持し続けるのは非常に精神が削られる苦行であった。

 だが、それでも彼女は攻めの姿勢を崩さない。多くの矢で牽制し、大技で威嚇をすることで、敵が強力な一撃を繰り出す隙を一切与えない。

 それは、王特有の魔力量と魔法適性とが揃って初めて可能になるほどに難しい戦法であると同時に、今の彼女にできる精一杯だった。

(……本当は、このまま敵の攻撃を躱しつつ、少しでも北のミゼルティア王の元へと移動できれば良いのですが)

 腹立たしいことに、敵は常に彼女の進路を塞ぐ形で空を移動してくるため、それを振り切ってこの場を離脱することは不可能だ。となると、青の王がここにやってくる可能性に賭けるか、この場で緑の王が天敵たる火の鳥を倒すかしか手段がない。

(…………倒す)

 胸の内で、女王がぽつりと呟く。その呟きは間違いなく不可能な選択だ。だが、唯一それを成し得るだろう一手を彼女は知っている。いや、彼女だけではない、恐らく同じような状況に立たされているだろう四大国の王全員の脳裏に、その一手が浮かんでいることだろう。

 しかし、その可能性に女王は自ら首を横に振った。

(早計ですわ。今はまだ、ミゼルティア王を待つ方が好手でしょう)

 そう思い直した女王だったが、極限状況の最中僅かに生まれたその迷いが、彼女の魔法の精度に影響してしまった。常であれば問題にすらならないだろうその些細な綻びを、敵である火の鳥は見逃さない。

 ほんの僅か勢いが鈍った風の矢を見切った鳥が、矢の数だけ翼から炎を生み、それを矢へと叩き付けた。そして、一瞬だが確実に反応が遅れた緑の王は、それに対応できない。

 結果、神経を尖らせて操作してきた矢の全てが、炎に焼かれて蒸発してしまった。

「っ!」

 女王が、しまった、という表情を浮かべてしまったのも仕方がない。彼女の矢は強力な風魔法にも耐えられるように作られた希少なものであり、基本的に使い捨てることを前提としていないため、戦場に持ってきているのは矢筒に入り切る本数のみ。つまり、たった今失ったあれらが全てだった。

 矢による牽制は、ある程度魔力を温存しながらも敵を翻弄できる有効な手段だったのだ。それを失った今、次に女王がとるべき一手とは。

 その一手に思考を巡らせた女王は、やはりその分戦況の把握が遅れてしまう。そして、そうして生じた僅かな隙を、神と悪魔を名乗る魔物は的確に攻め抜いてきた。

 王の周囲に、逆巻く炎の渦が生まれる。炎が発生する前兆自体はあったものの、ほんの僅か対応が遅れた彼女はそれを回避することができず、上下を含めた周囲を炎の壁に取り囲まれてしまった。最早壁の外の様子は窺えない状況だったが、次に来る敵の行動は予想がつく。

 そして王の予想通り、炎の渦の外から王目掛けて放たれたのは、触れるものをすべて焼き尽くさんばかりに燃え盛る、灼熱の炎の塊であった。

 まさに、緑の王が恐れ、水際でなんとかせき止めていた大技そのものである。

 見えずとも肌で感じるそれに、王はほとんど動物的な本能による反射から、両手を前に突き出して叫んだ。

「――“堅牢なる風の砦ルフ・ドゥルク・アスフィート”!!」

 正真正銘、風霊魔法における最高防御を誇る魔法である。一方向のみにしか展開できないという欠点を持つ代わりに、その防御性能は風霊魔法の中では最も高い。無論結界魔法が持つ堅牢さには及ばないものの、王が発動するそれならば、並みの攻撃は貫通しない代物である。

 幾重にも重なる風の盾が王の眼前に形成されるのと、敵の放った火の塊が王に届くのは、ほぼ同時だった。

 うねりを上げて炎が盾にぶつかり、それと時を同じくして炎の渦が一気に中心へと収縮する。そのまま永遠に燃える続けるかと思われた炎は、しかし次の瞬間、大きく弾けて四散した。そしてその中心から、毅然と背筋を伸ばした緑の王が姿を現す。

 服や肌の至る所が焼け爛れ、肩で大きく息をしてはいるが、疲労や苦痛を感じさせない涼やかな表情を保ったまま宙に立つ彼女は、あれほどの攻撃を受けてなお、致命傷すら負わずに生きていた。

 これには火の鳥も僅かに驚いた様子を見せたが、しかし彼女の状態を見るに、死に至る怪我を負わなかっただけだ、という言い方もできる。

 正面からの本命攻撃に防御の最大魔法を発揮した分、全方位から襲い来る炎の渦への対処に関してはおろそかにせざるを得なかったのだ。身体の周囲に簡易体な風の盾を展開し、ある程度炎の渦の勢いを殺しはしたが、勿論その程度で完全に防げるような攻撃ではない。

 結果、背面や側面に受けることになったダメージは、決して軽いものではなかった。

(それでも、戦闘不能になるよりは遥かにマシですわ。生きてさえいれば、いかようにも戦うことができますもの)

 重度の火傷を負った箇所は皮膚が溶け、見るも無残な有様であったが、最早痛みを感じる神経すらも焼け爛れているせいで、何も感じはしない。寧ろ軽症の方が痛みがある分邪魔だ、とすら王は思った。

 しかし、と王は思考する。矢を失った今、いよいよ追い詰められたと言っていい。やりようによっては先程までのような膠着状態を作ることはできるが、矢を操っていたときに比べれば魔力の消費は大きくなり、来たるときに適切な魔法を使うだけの余力が残せるかどうかは甚だ疑問だ。

 だがそこで、ふと女王の頬を柔らかな風が撫でた。それを受けた王の表情が、微かにだが和らぐ。

 そんな王の僅かな変化に気づいた様子もない魔物は、次の攻撃を繰り出すこともなく王を見つめた。

『驚いたわ。まさかあれを耐えるなんて思わなかった』

『驚いたな。消し炭になって終わると思っていたのだが』

 双頭が心底意外そうに、左右それぞれの方向へと首を傾げた。

「驚いたと言いつつも、わたくしと対話をする余裕はあるのですわね。わたくし程度、脅威にはなり得ないということですの?」

 王の問いに、やはり火の鳥は首を傾げた。

『脅威? 貴女であろうと誰であろうと、人間は脅威たりえないわ』

『脅威? 僕が人間ごときを脅威に思うという発想自体が、理解の範疇にないな』

「……ああ、なるほど」

 答えた王の耳に、風霊がそっと音を届ける。そう遠くはないところから運ばれたその音色を聞きながら、王はふわりと笑みを浮かべた。

「わたくしたちに付け入る隙が残されているとしたら、あなた方のその傲慢さ、ですわね」

『傲慢?』

『傲慢?』

「ああ、いえ。あなた方はそれを傲慢だとすら思っていないのですわ。それは判っています。そして、あなた方が居た世界では事実として、人間はか弱きものだったのでしょう。けれど、この世界においては少し違いますの」

 王の言葉に、双頭は怪訝そうな声を上げた。

『何が違うというの? この世界でも人間はか弱かったわ。そう、強いと聞いていた王である貴女でさえ』

『何が違うというのだ? この世界でも人間は僕の餌でしかなかった。王であるお前だって、所詮は餌に過ぎない』

 魔物はそう言ったが、王はゆっくりと首を横に振る。

「確かに、あなた方にとってわたくしは弱く見えるかもしれませんわ。……けれど、それは単にわたくしとあなた方の相性がとても悪いから。逆に言えば、これほどまでに相性が良いにもかかわらず、結局わたくしを仕留められていないあたり、あなた方の方こそ大したことがないのではありませんこと?」

 王の言いざまに、魔物が僅かだが苛立ったような気配を感じさせた。だが、それでも王は言葉を続ける。

「ああでも、こうして会話に興じてくださるほどにわたくしを侮ってらっしゃる点は、とても有難いですわ。その油断があるからこそ、こうして間に合った訳ですし」

『間に合った?』

『間に合った?』

 異なる音で同時に疑問符が発されたその時、遠くから響く微かな音を認めた双頭の魔物が、ばっと背後を見る。


 四つの目が振り返ったその先にあったのは、地響きを上げてこちらへ向かってくる濁流であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る