戦線 -黒の王- 2

(……やっぱり感知してくるか)

 有翼の魔物を見やった王が、内心で呟く。

 薄紅の王の幻惑魔法は非常に強力だ。通常ならば、現在黒の王に掛けられている魔法だけで、この次元に存在するほとんどの敵を惑わすことができるのだろう。そして、これまでのこの世界においては、それだけで十分だったはずだ。

 だが、今回はその“これまで”が一切通用しない。

(本当なら、魔物を含むエトランジェは例外なく、この次元に来た時点で元の次元における特殊能力の全てを失う。……と言っても、経験上、元々の身体能力の高さなんかは奪われずに済むと見て間違いないか。まあ何にせよ、いわゆる魔法のような類の能力が使用できなくなるのが、この世界の理なんだろうな。加えてエトランジェはこの世界の生き物ではないから、この次元の精霊魔法を扱うこともできない、と)

 つくづく、随分と優遇された次元のようだ、と黒の王は思った。

 しかし、ウロの手が加わった魔導がその理を壊した。魔導によって召喚された魔物はそのすべてが、元の次元における能力を保持したままである。そしてそんな魔物の中でも、黒の王の前に立ちはだかるあの敵は、この次元には存在しない類の感知能力を持っている敵なのだ。

 恐らく、薄紅の女王が状況を知れば、あの敵の能力を踏まえた上で幻惑魔法を掛け直してくれるだろう。そして、その魔法であれば黒の王の存在が悟られることもなくなるのかもしれない。だが、それに伴う彼女への負担が決して軽いものではないことくらい、黒の王は判っていた。

 そも、薄紅の王が近くにいるのならば、こちらの存在が気取られたことを認めた時点で、何がしかの処置を施してくるはずだ。それが一切ないあたり、既に彼女の魔力が限界なのか、彼女は彼女でのっぴきならない状況にあるか、のどちらかだろう。よって、薄紅の王を頼りにするのは悪手であると言わざるを得ない。

 剣の柄を握り直した黒の王が、敵を睨む。

 先程の一撃で、向こうの索敵範囲のあたりはついた。精度が著しく高い分、決して広い範囲を感知できるものではない。だが、こちらが一歩で埋められる距離でもない。

 さてどうしたものか、と王は内心で呟く。

 王自身はあの魔物と戦ったことがないが、実はその能力や強さについてはよく知っている。かつての彼であれば、戦いを楽しむ余裕くらいは持てた相手だ。だが、今の彼ではそうはいかない。

(剣術も得意ではないしなぁ……)

 とは言え、だから逃げるという選択肢は皆無だ。斬り込む以上どうしても敵の索敵範囲内に入らざるを得ないのであれば、それを踏まえて動けば良いだけである。

 無表情に近い黒の王の顔に、うっすらとではあるが凶悪な笑みが浮かんだ。そして彼は、脚に力を込めて大地を蹴る。

 大きく跳躍するように前進すること六歩。その六歩目が地についた瞬間を狙って襲ってきた風の刃を、握った剣で素早く弾く。魔法耐性に優れたこの剣は、異次元の攻撃にも耐えうる強度のようだ。

 同時に左へと回り込んだ上で更に接敵を試みた王に、しかし敵の魔物は的確に迎撃を繰り出してくる。

 今のところ敵の攻撃自体は至って単調だ。手に持っている扇のような何かから高圧の風の刃を弾き飛ばしているだけ、と言えるだろう。だが、それがなかなかに厄介だと黒の王は思った。

 明らかに風速を越えた速度で襲い来るそれは、恐らく風とは別の力が加わっている。

(神通力だな。連中の得意分野だ)

 風にその力を乗せることで驚異的な加速力を付加し、更には追尾効果まで追加されているようだ。

 そう判断したは良いが、今の黒の王にとって高速の飛び道具は相性があまり良くない。身体能力に任せて無理矢理叩き落としてはいるが、それも続けばこちらの体力が削がれるだけだ。

(…………それなら)

 おもむろに剣を下ろした王が、剣を握っていない方の手で拳を作って振り上げる。そのまま彼は、その拳を大地に向かって振り下ろした。

 瞬間、凄まじい轟音を立てて大地が割れ、魔物のいる方へと向かって地面のひびが突き進んでいく。

 周囲の兵や魔物を巻き込んで崩れていく大地に、件の魔物もさすがに動揺したのだろうか。魔物は生み出された地割れが己の足元へと到達する前に、二対の翼を広げて上空へと回避行動を取った。

 その瞬間を、王は見逃さなかった。

 地を割った直後、あらかじめ背後へと回っていた王は、およそ人とは思えない跳躍力を以て上空へと跳び、的確に魔物の背に向かって剣を振り下ろしたのだ。

 その一撃で決まるかと思われるほどに見事な太刀筋であったがしかし、敵が自らに向けられた殺気を察知する方が、僅かに早かった。

 翼をはばたかせることで咄嗟の回避を試みる敵を認めた王が、僅かに剣の軌道を変える。結果、背中から深くまでを切り裂くはずだった剣の狙いは背から外れ、しかしその代わりに、魔物の二枚の左翼を見事に斬り落とした。

 浮力の元を半分失った魔物が、呻き声と共にバランスを崩す。それでも上半身を反転させた魔物は、王に向かって扇を振るった。

 間近から放たれた風の刃に、剣を振り下ろした直後の王は、回避も防御も間に合わない。空中で刃の直撃を受けた細身の身体が、衝撃で弾き飛ばされた。

 身体中の至る所を切り裂かれながら吹っ飛んだ王が、それでも宙で体勢を立て直してなんとか着地する。同時に怪我の具合を把握した王が、忌々しそうに舌打ちを漏らした。

 あの至近距離で攻撃を食らったのだ。決して軽い怪我ではない。身軽さを重視して努めて軽装でいたのが裏目に出たな、と内心で吐き捨てた王が、再び剣を構える。

 自身への被害は出たが、それでも敵の翼の半分を奪えたのは僥倖だ。あの魔物の飛翔能力は翼ありきのものである。故に、ああして必要部位が欠損すれば、もう飛ぶことはできないだろう。

 宙における移動手段を持たないこの黒の王にとって最も忌避すべきは、空中戦に持ち込まれることだった。

 再び剣を構えた黒の王の元へ、風の刃が襲い掛かる。それを剣で弾いた王は、自分の動きが僅かに鈍ったことに気づいて顔を顰めた。利き腕に負った傷が少し深いようだ。

(さて、さっきみたいに相手の気を乱すことができれば、神通力の類はがくっと精度が落ちるはずだが……)

 索敵範囲から一度離脱しつつ、王が思考を巡らせる。

 先程の地割れは、不意をつくことができたからこそ通用した手段だ。二度目はないだろう。

(こういうときこそ薄紅の王がいれば、って感じなんだけどな)

 残念ながら、やはり彼女が姿を見せる気配もなければ、サポートをしてくれる様子もない。

(…………悔しいが、このままじゃあ勝てないな。それに、これ以上こいつに時間を割くわけにもいかない)

 ひとつ息を吐いた王が、決断して懐から小さな魔術器を取り出した。

 これは、薄紅の王とある約束をした際に渡されたものだ。どうしてもという事態になったら使えと、そう言われている。

 黒の王は、魔術器のスイッチを押してから、それを空高くへと放り投げた。魔術器が高々と宙を舞った数瞬後、思わず目を細めるほどの閃光が弾ける。

 そう、これは緊急連絡用の魔術器だ。これだけの光量ならば、ある程度の距離までならば、確実に合図を送ることができる。

 同時に敵の注目を集めてしまうのが難点ではあるが、どうせ二十五万を始末しなければいけないのであれば、いっそ一箇所にまとめた方が効率的だ、と王は割り切っていた。

 合図をして、きっかり六十拍。王にはそれを感じることができないが、薄紅の王は確実に彼女のすべきことを成し遂げただろう。それを少しだけ申し訳なく思った黒の王だったが、今は悔やんでいる場合ではない。

 大きく呼吸をしてから身体の力を抜き、抑え込んでいたそれを解放させる。じわりじわりと身体中に力が巡り始めるのを感じつつ自分の身体を見た黒の王は、何の変化も見られない己の外見に、ぱちりと瞬きをしてから安堵した。

「……行くか」

 呟いた王が、握っていた剣を腰の鞘に収める。その状態で柄をしっかりと握った彼は、直後、魔物へ向かって走り出した。その一歩一歩は先ほどまでとは比べ物にならないほど速く、そして重い。彼の足が地を蹴るたびに、大地を踏み抜いていっているのだ。

 だが、それでも風の刃の速度には及ばない。すべてを回避することは不可能だとすぐに判断した王だったが、元より避ける気はなかった。というよりも、避ける必要がない。

 今の彼であれば・・・・・・・この程度の攻撃は・・・・・・・・素手で捌けるのだ・・・・・・・・

 飛んできた刃のすべてを素手の片手で弾き飛ばした王が、猛然と魔物へ向かう。

 相対する魔物の方は、先程までとは全く違う相手の動きに焦りが表面化していた。そして魔物が心を乱すほど神通力の精度も下がり、それは黒の王への追い風となる。

 一直線に近づいてくる王に、一歩後退した魔物が扇を振り上げた。途端、魔物を中心とした大きな風の渦が生まれる。この技も、黒の王は知っていた。

 この種族が得意とする、攻防一体の絶対防御壁だ。渦巻く風は敵からの攻撃を防ぎ、同時に触れた者を千々に切り裂く。一度発動すれば迂闊に近づけない技だが、しかし黒の王は僅かもひるまなかった。

 駆ける速度を緩めることなく、細身の身体がそのまま渦へと突入する。無限の刃は彼を切り裂こうと迸り、凄まじい風圧はその身体を吹き飛ばさんとするが、地を蹴る彼の膂力はそれをも上回った。

 そして渦を抜けた先、中心地であるそこに佇む魔物に向かって、これまで以上の力を込めた渾身の一撃が繰り出される。

 大地を砕く勢いで踏み出された一歩に乗せられた、神速の抜刀術。

 抜刀の衝撃で鞘をも砕いた刃が、横一文字に魔物の胴を一刀両断にする。あまりにも美しくお手本のようなそれに、魔物は自らに起こった事態を把握することなく、いや、己が死んだということすら把握する間もなく、絶命した。

 分断された上半身がどさりと地に落ち、下半身が遅れて倒れる。それと同時に、魔物を屠った剣にぴしりとひびが入り、直後砕け散った。

「……やっぱ見よう見まねは良くないな。武器に負担掛け過ぎたか」

 ぼろぼろと崩れた柄の残骸を払いつつ、黒の王が呟く。次いで彼は、死体となった魔物を見やって肩を竦めた。

「悪いね。あんたの位じゃ、俺の肌に傷はつけられなかったみたいだ」

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