戦線 -黒の王- 1

 征伐軍の本隊とは離れた場所に待機して暫しの間戦況を見ていた薄紅の王は、黄の王が壁の無力化に成功したことを確認し、隣にいる黒の王へと視線を向けた。

「良かったわねぇ。厄介なのはクラリオ王がなんとか片づけてくれたみたいだわぁ」

「うん。でも、本当は俺がどうにかしなきゃいけなかったんだろうから、悪いことしたかな」

 そう言って首を傾げた黒の王だったが、薄紅の王がそれを否定する。

「クラリオ王も馬鹿ではないわ。妾たちが置かれている状況くらい、なんとなく察しがついているでしょうねぇ。だから、貴方は貴方のできる範囲のことをしてくれれば良いのよ。…………隠密と暗殺を担うヴェールゴール王国の国王と言えば、その真骨頂は己の存在を隠し切った上で行われる一方的な殺戮、なのだけれど……」

 言葉を切った薄紅の王に、黒の王が頷く。

「うん。悪いけど今回は全部正面からいくよ。隠れてコソコソするよりもそっちの方がやりやすいんだ」

「らしくないことを言われると調子が狂うって言ったはずだわぁ」

 言葉と共に閃いた薄紅の王の扇が、黒の王の後頭部をぺちんと叩く。

「いて」

 叩かれた場所をさする黒の王を見てため息をついてから、戦場を見やった薄紅の王は扇子で口元を隠した。

「精一杯の補佐はしてあげる。だから安心して敵陣に突っ込みなさいな。心配しなくても、死んだら骨か肉の欠片くらいは拾ってあげないこともないわ」

「ええ……あんたも一応王様なんだから、死ぬ前にちょっとは助けようとしてよ」

「あらん、妾は確かにシェンジェアン王国の国王だけれど、貴方はシェンジェアンの民ではないでしょう?」

 何を言っているんだという彼女の表情に、黒の王が小さなため息をつく。

「第一、妾は戦うのが苦手なの。という訳で、貴方が戦場に向かい次第、幻惑魔法で身を隠させて貰うわぁ。だから、ピンチになっても妾を頼りにはしないでちょうだい。貴方じゃどうせ妾を見つけられないから」

「……まあ、頑張るよ……」

 そう言った黒の王が、自分の騎獣に括りつけていた剣を腰に備える。暗器や短剣を主な武器とする黒の王にしては珍しく、少々大ぶりな得物だ。

「珍しいわねぇ。そんな武器では動きにくいのではなくて?」

「いや、今回はこれで良いんだ。暗器とか短剣は、急所を一撃で仕留められなきゃ使いにくいだけだから」

 武器に関しては大して詳しくない薄紅の王は、黒の王の言葉に生返事を返しただけだった。訊いたのは彼女だが、興味はなかったのだろう。

「じゃあ行くね」

 言った黒の王は、薄紅の王の返事を待たずに騎獣を駆って戦場へと向かった。敵陣のぎりぎりまで騎獣で駆けていき、直前で騎獣から降りるつもりのようである。

 その後ろ姿を見送った薄紅の王もまた、自身が座っている騎獣に指示を出して戦場を目指す。だが、すぐさま彼女の姿は騎獣ごと霧に隠れるかのように見えなくなった。先ほどの宣言通り、身を隠す幻惑魔法を使ったのだ。

 ちらりと後ろを振り返った黒の王は、薄紅の王の姿が見えなくなったことを確認してから、更に騎獣を加速させた。そして、敵の前線に突入する直前で、騎獣から飛び降りる。

 宙で反転して上空へと退避した騎獣を尻目に大地に着地した彼は、着地の衝撃を感じさせない軽やかさで地を蹴り、腰の長剣を引き抜いた。

「取り敢えず、二十五万っていうのは魔物の数で良いのかな」

 呟いた黒の王が、手近にいた大型の魔物に向かって跳躍する。そのまま重力と勢いに任せて剣を振り下ろせば、魔物の頭頂から胸にかけてが大きく裂け、鮮血が飛び散った。それを避けることなく頭から浴びた黒の王が、少しだけ驚いた顔をして長剣を見る。

「……この力で振って折れないとは思わなかった。さすがは赤の王がわざわざくれた剣だな」

 感心したようにそう零してから、黒の王は周りを見渡してまた少しだけ驚いた表情を浮かべた。

 これだけ派手な攻撃で魔物を倒したというのに、敵兵の誰もが黒の王に向かってこないのだ。

 頭をかち割られた死んだ魔物を見て警戒を強めた様子はあるものの、近くにいる敵は黒の王など目に入らないとでもいうように、周囲に視線を巡らせ続けている。

(……へぇ、これは本当に、まさに脱帽ものだ)

 そう、薄紅の王の魔法による効果である。彼女はその類まれなる幻惑魔法によって、黒の王の存在を覆い隠してみせたのだ。

 ここまで派手なことをやらかしても耐えられるほどの魔法であるとは思っていなかったのか、黒の王は素直に感心した。

「でも、すごいのは良いけど、すごすぎてちょっと面白味がないな」

 そんなことを言いつつ小さくため息をついた黒の王が、剣を振って付着していた血を飛ばす。製鉄技術に優れた赤の国の剣は、血や刃こぼれに滅法強いのだ。この戦場分くらいは切れ味を落とさずに済むだろう。

 心なしかつまらなさそうな顔のまま、黒の王は再び戦場を駆け始める。力加減をしなくても武器が壊れないのならば、今の彼が他に気を配ることはなかった。ただひたすらに、目につく魔物を片端から斬り捨てていくだけだ。

 その動きは、黄の王のような消耗を最小限に抑えた効率的なものではない。寧ろ、思うがまま好き勝手に振舞う野獣にも似た動きだ。まるで、体力が無尽蔵にでもあるかのような振る舞いである。

 このままの調子でいけば、黄の王と約束した二十五万の兵を削る件は、不可能な話ではないだろう。

 いっそ欠伸交じりにすらなってきた戦いの中で、しかし黒の王は一瞬だけ目を見開き、唐突にその脚を止めた。全身に返り血を浴び、禍々しいまでの様相になった黒の王が、遠くに存在する一点を無言で見つめる。

 彼の視線の先にいたのは、一匹の魔物だ。

 人間に似た大柄な身体をしているが、その頭は鳥に似た奇妙な姿で、背中には巨大な二対の羽が生えている。ぱっと見は数多いる魔物の内の一頭でしかないのだが、黒の王はその姿を見て盛大に顔を顰めた。

(また面倒なのを連れて来たなぁ)

 胸の内でそう悪態をついてから、有翼の魔物から目を離さないように留意しつつ他の魔物を狩っていく。幸いなことに、件の魔物との距離はそう近くないため、今すぐあれとどうこうなることはないだろう。問題は、このままあれを無視して倒した数だけを稼ぐか、先んじてあれを処理してしまうかだ。

 数を稼ぐことだけを考えるのならば、勿論あれは無視した方が良いだろう。しかし、倒すべき人数を指定してきた黄の王の意図が、兵に回る負担を可能な限り軽減させろというものだというのは、馬鹿でも判る。

 二十五万の雑魚ならば、征伐軍の兵一人一人が頑張ればなんとかならないこともない。が、あの魔物はどうだろうか。

 片手間に他の魔物を屠りつつ思考した黒の王は、そこで本日一番のため息を吐き出した。

「……どうせやるなら、こういう状態じゃない方が楽しめたんだけどな」

 自分に言い聞かせるようにそう言った黒の王が、剣を構えて猛然と走り出す。すれ違いざまに適当な魔物たちを一刀のもとに斬り伏せつつ、異質な魔物への接近を試みた彼だったが、魔物が間近に見えて来たところで唐突に目を見開き、前進しようとする脚を無理矢理に止めて後方へと跳び退った。その直後、王がいた場所の地面が大きく抉れる。

 敵の持つ扇のようなものから、風の刃が放たれたのだ。

 少しでも後退が遅れていたら、抉れていたのは地面ではなく王だったことだろう。

 すぐさま敵との距離を測りつつ、黒の王が真っ先におこなったのは、現状の把握だった。あれは、明らかに黒の王を狙った攻撃である。ならば考えられる可能性は二つ。幻惑魔法が解けたか、敵の索敵能力が幻惑魔法を越えたかだ。

 検証のためにすぐさま手近な魔物を複数斬り伏せてみた黒の王だったが、相変わらず抵抗の様子は見えず、他の魔物たちから攻撃される気配もない。どうやら、幻惑魔法が解けたわけでもなければ、効力が弱まったわけでもなさそうだ。

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