第28話 満たされぬ欲求

 廊下を走って、辿り着いた部屋のドアをノックする――。


「ユイネ……いる……?」


 叩いたのは侍女たちが休憩時間を過ごす部屋だった。ユイネをここで見かけることはあまりないけれど、きっと今はここにいると思ったのだ。


「坊ちゃま……ユイネさんは、そちらに」


 ゆっくりと開く扉、その先にいた侍女の1人が部屋の奥へ手を向ける。部屋の中を覗き、手が差す方向を見るとベッドのヘッドボードに背中を預けて座るユイネの姿があった。


 侍女の制服は着ていなくて、無地の白いシャツを着ている。腕にはぐるぐる巻きで包帯が付いていて、その包帯には血が染みている部分があった……。


 そして、そんなユイネと目が合う――。


「坊ちゃま……?」


 ぼんやりとした目でこちらを向いたユイネは、俺に気づくと驚いたように目を見開いた。


「……ユイネっ!ごめえん!」


 すぐに俺はそう言って……言いながら走り出す……。


 とりあえずユイネがちゃんと生きていたことに安堵する――。また会えて、またその瞳と合わせることができたことに不安が喜びに変わる――。


 それが涙になって目を滲ませた。


「俺のせいでこんな怪我させちゃってっ……ごめんなさい……」


 まずは謝らなければと思った。自分が犯した罪について、そのせいでユイネを大変な目に合わせたことについて。目が覚めたのならすぐにするべきだと、そう思ってここへ来た。


「坊ちゃまのせいではありませんよ。私の未熟さが招いた結果です。坊ちゃまの下校時間の前に気を抜くなんて……考えられません……。ですから、私のほうこそ申し訳ありませんでした」


「違う……違うんだ。ユイネは何も悪くない。俺が……俺が調子に乗ってたから……怪我は大丈夫?ちゃんと治る?」


「ええ。こんな怪我大したことないのですよ。包帯だってもう外したって大丈夫なのです。ロール様に回復魔法による治療を施してもらったので、もう傷口は完全に塞がっています」


「本当に?」


「はい。ですから、もう泣かないでください坊ちゃま。私もあなたが無事で安心しました」


「良かった……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 ユイネが俺の頭を撫でる。そうされると、より目から涙が溢れ出た。こういうとき優しくされると涙が勢いを増す。止めきれない涙が手を通り抜けて、1つ1つベッドのシーツにこぼれた。


 何でこんなにも涙が……。俺は泣きながらも何故か頭の片隅でそんなことを考えた……。


「シェード!ここにいるの!?」


 そんな時、勢いよく部屋のドアが開いて、そっちの方向を見ると、そこに母の姿があった。走ってきたせいで乱れたであろう赤い髪を整えながら、俺のほうへ向かってくる。


「もう、起きたのならまず1番に私のところへ来なさいよ。よしよし、何で泣いてるの?もしかしてどこか痛い?」


「ううん……痛くない」


「じゃあ怖かったのね。あんなことになると思っていなかったんでしょう。突然変なのが出てきてびっくりしたね。」


「…………」


「でもあんな下品な口内ハリネズミドラゴンなんかはお母さん達が冥府の土に還してやったから安心しなさい。私の魔法でイチコロよ」


 母は得意げに言いながら、俺を強く抱きしめる。


「ユイネももう痛いところはない?」


「ええ、おかげさまでずいぶん楽になりました。ありがとうございます」


「そう、良かったわ。あなたがシェードを守ってくれたのよね。こちらこそありがとう」


「そんな……私には過分なお言葉です」


「よしよし。2人とも無事で本当に良かったわー。よしよし。よーしよし……」


 母は俺の頭と同時にユイネの頭も撫でた。やたら長く頭を撫でられたので、涙を拭いながら顔を上げると、そこに獣耳を畳んで恥ずかしそうな顔をしているユイネがいた。恥ずかしがりながらも嬉しそうな表情だった。


 母のテンションと親しんだ匂いで日常に戻ってきた気がする。いや、なんだか強引にそこへ引っ張り戻された。急に死線を超えてしまって落ち着かなかった体も、徐々にいつもの鼓動へ戻っていってしまう……。


「あの大きな光の魔法はシェードがやったの?」


「う、うん……」


「まあ、偉いわあ。もうあんなめんどくさいくらいに難しい魔法ができるようになっていたの?」


「いや、あれはただのまぐれで……俺はやり方も……」


 そういえばそうだったと自分の手の平を見てみる。確かにこの手でやった記憶があるけれど、一体どうやってやったのだろうか……。


 ……と、そんなことを考えている時だった。また先ほど母が入ってきたときのように部屋のドアが開かれる。


 その先に立っていたのは父だった。見ると、より強い安心感を得る。


 しかし、それも束の間、俺は肩をすくめた――。


「シェード!!」


 父は俺を怒鳴るように俺を呼ぶ。その顔は今まで見たことが無い父だった。


「いいか、よく聞け。俺は今から……お前を叱る」


 思いもよらぬ展開。だけど、その時抱いたのはさらにより強い安心感だった。

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