第3話 冥府の世界

 ――まず、最初に驚いたのは生まれ変わった俺が超の付くお坊ちゃまだったということ。


 赤子となって生まれ変わった俺の周りには常に、身の回りの世話をする人間がいた。しかも複数人。父親母親だけでなく、他の大人の女性達も交代で俺の育児を担当した。


 俺は食事の時も着替えの時も、風呂の時もおむつを替える時も、複数の女性の手でサポートされた。


 肩書きでは侍女といったところだろうか。そして、彼女たちは皆、今の俺の母のことを「王女様」、俺のことを「坊ちゃま」と呼ぶ。


 それで確信したのだ――。


 つまり、俺も王族の血を引いている――超お坊ちゃまだということを。


 さらに生まれた部屋と同じく、赤子の俺がベッドで寝かされている部屋も豪華そのものだった。


 生後間もない赤子の俺に与えられた部屋がなんと、前世で俺が住んでいたマンション一室よりずっと広い。タンスやクローゼットも美しい木目で、お高い骨董品屋に売っていそうだ。


 赤子には当然広さも豪華さも不要。それなのに、俺が今寝ているベッドなんてダブルサイズどころかキングサイズ……。部屋の真ん中にいるようで、逆に落ち着かないゆったりさである……。


 俺はそのベッドから、小さい体でくるくると寝返りを打って下りる。そして、歩いて窓際までいくと、そこにあった小さな棚によじ登り…………窓の外を見た。


 大きな窓からはここら辺りの地形を一望できる――――次に驚いたのがこれだ。


 この窓の外に広がる景色。昔いた世界の常識では考えられない景色。


 “冥府の世界の景色である――――。”


 わずかにある草木には緑色の葉が付いていなくて、どれも枯れたような見た目をしている。上空にはヒトダマみたいな謎の淡く光る物体がいくつも漂っていて、そのさらに上空から降り注ぐ太陽の光は存在しない。


 赤と青が混ざり合う途中のような……不安定な紫色の空には、月しかいない……そしてそれは昼夜通して同じであった。


 大地は荒野と砂漠を足したようなものである。砂ばかり。果てしなく広くて、この窓からは地平線が見えた。転がっている岩のほとんどは見たことが無いほどに巨大、山ほどある。


 そんな規格外の景色は遠近感を狂わせ、暗い色彩は鼓動を早めた。見ているだけで何だか不安な気持ちになる。


 この闇の世界――ここが冥府であることは周りの会話から知ったことでもあるけれど、何故か外を見た瞬間に分かった。


 初めて見た時は本当に驚いた。目を疑った。それなのに、わずか数秒で俺はこれが普通だと認識した。


 本能というやつだろうか、見た瞬間に記憶を起こすように分かったのだ、ここが死者の魂が集まる世界、冥府であると――。


 ――死んだ後、赤子に戻り、生まれ変わってから1ヵ月と少しが過ぎた。そんな俺が今のところ大きく驚いたことがこの2つである。


 ここが冥府で、さらに自分がその場所の王族であること。


 いや、そもそもこんな異世界に転生したこと自体がとんでもビックリ案件で、驚きに驚いたことであった。


 しかも記憶を残した状態で。驚かないはずがない。何これ何これ何これ何これどういうこと……生まれたばかりなのに喋れる口で何度も言った。今でも夢を見ているんじゃないかと思う。


 でも、その事実は数日で受け入れられてしまった。


 そうする他なかった。それに特別詳しくない俺でも異世界転生という話を聞いたことがあったし、見たことがあった。今はそんな話で溢れている。だから、自分の身に何が起こったのかはすぐに理解できた。


 理解できたなら、無理やりにでも飲み込んで次を考えるしかない。転生したことについて驚き悩み続ける時間は無かった。


 何しろ驚きの連続だ。大きいものだけでなく、中くらいや小さな驚きが山ほどある……。


「寝てなきゃダメですよ。坊っちゃま」


 俺が勝手にベッドから降りて窓際に移動したことに気づいた侍女の1人が俺を抱きかかえる。


 躊躇なく柔らかい胸のところで、大事そうに抱かれた。


 女にペットのように軽々と持ち上げられる。これも未だに慣れないことだ。


「さあ、お休みください。今はこうして眠ることがあなたにとって1番大切なことなのですよ」


 ベッドまで戻された俺は、華麗なハイハイで自らベッドの中央まで行って布団の中に入った。


「寂しければ私が隣で絵本をお読みしますが、如何いたしましょうか?」


「ううん。大丈夫」


 俺はまだ生後1ヵ月である。それなのにこうしてハイハイやゆっくり歩くことができて、しかも簡単な会話ができる。これも驚くべきことであろう。


 これに関しては、どうやら俺の中に魔族の血が流れていることが理由らしい。生まれて意識がはっきりしてからすぐに言われたことだ。母の口から、魔族は生まれた時から知能が高いと。


 別世界から来た俺からしてみれば……。


「いやまず魔族ってなんだよ、ちょっと何ってるか分からない」


 って話なのだが、これもただ事実として受け入れるしかない。実際にあり得ないことが起こっているのだから。


 とにかくこの冥府で過ごす種族に生まれた者は、生まれた時からある程度のレベルで思考し、会話できるのが当たり前なのだろう。おそらくすぐに自分で移動できるようになることも。


 生まれてから2週間くらいの時、俺が試しに1人でベッドから下りたことも、驚いたものはいなかった。両親も侍女も、そろそろ歩けるようにもなるよねという反応をした。多少褒められはしたけど、人間の赤子が初めて歩いたのとはまるっきり違う反応だった。


 さすがにまだ思うように走り回れるというほどではないのだけど、それでもこれは破格の能力だ。人の赤ちゃんが歩けるようになるのは1年くらいかかるはず。


 生まれた時からこの世界の言葉が聞き取れて、自分で発音できることにしたってそう。魔族として生を受けた恩恵。


 最初はそれが日本語でないことに気づきもしなかった。それほどに自然と吸収できた。遺伝子に記憶が刻まれているとかそういう理屈だろうか。


『an〇×御謝werど』

「月が綺麗ですね」


 よく聞けば英語でも中国語でもない言葉を喋っているのだけど、何故だかほぼ意味を理解できた。


 自分が思ったことをその知らない言語に変換するのも容易くて、昔学校で習った英語すら碌に話せなかった俺は、バイリンガルの人ってこんな感じなのだろうかと勝手に思った……。


「むかーしむかし、ある国の1人の王様と、1人の王妃様は……」


 必要ないと言ったのだけど、俺がしばらく眠らずにベッドで目を開けていたら侍女の1人が、ベッドに腰かけて絵本を読み始めた。もう何度も聞かされたお話、どこかの国の悪い王様の話である。


 隣で正座して絵本を読む侍女は若く、綺麗な顔をしていた。それだけじゃない、ドアの所で立っている侍女も、今部屋にいない侍女たちも皆若い美女だった。


 黒くスマートな服装に、胸のところにあるアクセントの白いリボン。侍女の制服はかなりかわいくて、それが似合う人を誰かが選んでいるのではないかというほどの美女ぞろい。


 そして、そんな彼女たちも皆、魔族であった。


 その身体的特徴はこれと言って無いと言っていいくらいのものだった。それぞれ人間と違うのは犬歯が尖っていたり、頭に小さな角が生えているくらいのものだ。魔族と言っても人間とほとんど変わらない。


 ハロウィンのコスプレで悪魔の恰好をしているように見えるほどである。


 魔族と言うとおっかないイメージを持つけれど、今のところ見た魔族は皆そんなもんだ。歯や角の他には目がカラコンを入れている感じだとか。


「――けれど、王様はそれを許すことができませんでした。どうしてもどうしても」


 そんな美女たちが何から何まで至れり尽くせりで世話をしてくれる。しかも両親含めて俺を溺愛しているといった態度である。

 

 料理もおいしいし、この場所での生活に今のところ不自由は無かった。


 けれど、俺は今この状況を全く喜んでいなかった。


 むしろずっと元の世界に帰れないかと考えている。転生したことを受け入れはしたけど、なかなか気持ちを完全に切り替えられない。


 だって俺は死にたいとは思っていなかったのだ。人生に苦しんではいたけど、まだまだあの世界で生きてやってみたいことがあった。才能が無いなりに楽しめることもあったはずなのだ。


 前の家族や数少ない友達とも、もう2度と会うことはできない。やりかけのゲームや、読んでいた漫画の続きもここには無い。喪失感はかなりのものである。


 ゲームで例えるなら中盤までストーリーを進めたところで急にデータが飛んで最初からになるようなものだ。ある程度プレイしていれば面白くないなりに愛着も湧くものなのに。一瞬で何もかも消え去った。


 しかも「最初から」を押して始まるステージが、最終ダンジョン……いやもっと奥の裏ダンジョンみたいな場所とまできたもんだ。


 溜め息を吐きながら、侍女の奥にある窓を見る――。


 これが転生を喜べない最も大きな理由だった――。


 暗く怖いのだ……この場所は……。底知れぬ怖さがある。きっと元人間が来て良い場所ではない。


 今も窓の外を見れば、得体の知れない巨大生物が砂漠の真ん中に立っている。


 禍々しくて巨大、間近で見れば一体どれくらいか分からないくらいに。全身が真っ黒で、長く白い髪を持った鬼。


 さらに空からは――細く薄い羽をいくつも持った蛇のような龍のような生物が降りてきて、その鬼と縄張り争いのような戦いを繰り広げる。


 本当にゲームの裏ダンジョンの裏ボスみたいである。あれは異常だ。バグだ。


「……あはは」


 巨大な鬼が龍を雑巾のようにしぼり、喰らっていく姿を見た俺はもう……笑うしかなかった。


 その上、まだまだ謎だらけ。正直なところ、俺はこの先この世界で生きていく自信が無い…………。


 

 そのままさらに2か月の時が過ぎた――。


 考え方は変わらないまま、ほとんどをぼーっとベッドに寝転んで過ごした――。


 変わったのは身体能力だけ。俺は自由に走り回れるくらい体が動かせるようになった――。


 そんなある日のことである――俺は初めて城の外に連れ出された。

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