第3話


 ヨハネの関西弁はいわゆる播州ばんしゅう弁と呼ばれるもので、果たしてヨハネは姫路育ちであった。


白鷺はくろ城って世界遺産の城があって」


 まぁ城がなければただの町なんやけど──こんなセリフは育ったヨハネにしか言えない。


 他人が言えば炎上モノであろう。


「まぁワイが育ったのは、少し離れた所なんやけど」


 現にヨハネが育ったのは海に近い網干の近くで、いわゆる浜言葉なだけに少し言葉はキツかったが、


「しゃーないやん、町工場のセガレやし」


 それだけに言動に裏表がなく、アーニャから見て、こんなあっけらかんとした、さながらラテン系のような日本人は初めて遭遇したらしい。




 テレビやネットで知るアーニャの日本に関する知識が次々と打ち破られるのも、また新しい展開であった。


 横浜で今川焼として売られている食べ物を御座候と呼んだり、自分の事をワイと呼んだり、 挙げ句の果てには標準語を東京弁と呼ぶ。


「あのパキパキしたテレビの東京弁がやなぁ」


 などと言われると、アーニャは目を白黒させた。


「あれは、東京だけの言葉?」


「あー…ま、うちら関西人からしたら関西弁が標準語やからなぁ」


 ヨハネに言われたアーニャは、共通語の他に関西弁も覚えなければならないのか…と思わず途方に暮れた顔をした。


「ごめんな…手間増やして」


 こういう時にヨハネはすぐ謝って凹む。


「あなたは悪くない」


 むしろヨハネのこの日なた人間な所が、アーニャには輝いて見えたようであった。




 連休が近づいた頃、まとまった休みが取れる事になったアーニャは、


「ヨハネが住む小樽に行きたい」


 と言い出した。


「それはえぇけど…小樽は観光地やから混むで」


 北海道でもとりわけ小樽は、函館や富良野と並んで人気のある観光スポットで、梅ヶ枝町はそうでもなかったが、近くの薬師坂のあたりなんぞは、映画のロケ地になってからというもの、やたらと中国あたりの観光客が涌くようにやってくる。


「ひとまず新千歳までは迎えに行くわ」


 嫌な顔はしなかったが、人混みの苦手なヨハネには、いささか気の重い点がないではなかった。




 三連休の前夜の飛行機で新千歳に着いたアーニャは、あろう事か宿を決めてないらしかった。


「今さらホテルの部屋なんか取られへんで?!」


「ここに行きたい」


 アーニャがスマホで示したのは、すすきのにある俗に言うラブホテルの画像であった。


「いやいや、待て待て…待てぃ!」


 掻い摘んでヨハネが使い道を説明すると、


「それなら、泊まってもそういう事をしなければ良い」


 一瞬ヨハネは思考が止まったが、


「まぁ…言われてみたら、その通りやけど…」


 とにかくその気がなくても、何が起きるか分からないのが男女の関係というもので、


「んなトコに知らん男と泊まったとかアーニャの彼氏とかに知れたら、それこそ簀巻きどころじゃ済まされんやろ」


 アーニャほどの美女には彼氏ぐらいおるやろ──というのがヨハネの見立てであったらしい。




 アーニャはたどたどしいながらも、単語から何となく意味を拾ったらしく、


「私に恋人はいません」


「はぁ…」


「それに、ヨハネなら」


 そうなっても良い、と言い出したのである。


 あのなぁ…とヨハネは、


「うーん…ほな部屋までは行ったる。せやけど」


 そんな軽々しい事はしたらアカンと思う、とヨハネは続け、


「そういう事は、せえへんからな」


 と釘を刺した。




 ともあれ。


 当のそのラブホテルの部屋に着くと、ヨハネは風呂場にクッションをいくつか持ち込んで、


「ワイはこっちで寝るから、アーニャはベッドで寝とき」


 さっさと寝床支度を始めた。


「ワイは寝るで」


 そうは言うものの、タイル張りの風呂場では、さすがに硬い。


 仕方なく立てかけてあった、通称スケベマットなる銀色のマットを敷き、そこにクッションを枕に横たわると、何とか寝られそうであった。


 アーニャは不思議そうな顔をしながらも、何やらゴソゴソ動いていたが、やがて寝息らしき物音が聞こえてくると、


「…これで一安心やわ」


 ようやくヨハネも眠りにつく事が出来た。





 翌朝。


 目覚ましのアラームでヨハネが目覚めると、まだアーニャはベッドで眠っていた。


「…案外可愛い寝顔やんなぁ」


 状況の確認だけ済ませるとトイレに行き、洗面台で剃刀をあたり、身支度を整えてソファに座ってスマホを眺めた。


 小さめの音量でしばらくYouTubeを眺めていたが、そうするうちにアーニャがムクッと起きてきた。


「…ヨハネ、おはよう」


 アーニャは下着姿であったので、思わず目をスマホに戻した。


「はよ服だけ着とけ」


 コレでもアーニャに気ぃ遣っとんねん──少し不器用だがアーニャに丁重に接しようとしているのだけは分かったのか、


「ヨハネ、ありがとう」


 ブラウスを羽織ったアーニャはヨハネの頬に軽くキスをした。


 少したじろいだが挨拶だと思い直し、


「…おおきに」


 耳どころか首までヨハネは真っ赤になっていた。




 ホテルを出ると地下鉄で札幌駅まで移動し、アーニャとヨハネは札幌駅からは快速で小樽へ向かった。


 銭函のあたりから、海沿いを揺られながら列車が走る。


「私の街には海がない」


 聞けばアーニャの故郷はモスクワの近くの街で、一番近い海はサンクトペテルブルクらしいが、それでも泊まりがけになるらしい。


「あー…うちの実家は海まで、チャリンコで10分とかやったからなぁ」


「チャリンコ?」


「あ、バイシクルね」


 この頃になるとヨハネは、英単語で言い直すようになっていた。


 ──そのほうが早いねん。


 バイシクルと言われるとアーニャもすぐに分かったようで、


「バイシクルでサイクリング、好き」 


 少しずつではあるが、アーニャの好みもわかるようになり始めていた。




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桜に鷲(仮) 英 蝶眠 @Choumin_Hanabusa

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