第2話
例のイヤリングの件は、初めは進展がなかった。
仮に、落とし主がいたとしてもどう届けたものか、しかもどこの誰の物かも分からない。
雲を掴むような話であろう。
「…アカンかったんかなぁ」
この日は午後から商談があって、昼近くまで連絡を待ったが来なかった。
午後になって商談先の札幌まで出て、話を終えて再びスマートフォンを開く事が出来たのは夕方である。
一件、ダイレクトメッセージが来ていた。
が。
ロシア語で書かれており、ロシアどころか海外にすら出た事のないヨハネには、皆目わからない。
「まさか、新手の詐欺ちゃうやろな」
この時期、こうした手口の詐欺があったので、それを疑わざるを得なかったのは仕方がなかったのかも知れない。
しかし。
そんな事を言っていられる場合でもない。
「まぁ仮に、詐欺ならしゃーない」
一応、翻訳にかけてみた。
すると「これは私のイヤリングです。拾ってくれてありがとう」という内容で、アーニャの横浜のホームステイ先の住所が添えられてあった。
これを信じて良いものかどうか分からず、小樽へ帰る電車の中で、スマホの画面を見ながら難しい顔をしていたので、
「…お身体の具合でも良くないんですか?」
朝里の手前あたりで回って来た車掌に、問われる一幕もあった。
梅ヶ枝町に着くと地図を検索し、一般的な民家である事を確認すると、
「ま、取り敢えず送ってみるか」
この時あえてヨハネは、事務所で公用に使っている会社のロゴと住所が印字された封筒を使う事にした。
仮に会社であれば、詐欺にも悪用されにくいと踏んだのである。
翌朝。
出先の郵便局に英語表記で書いた封筒を、記録の残るように書留で出した。
「これなら多少の事があっても記録残るやろ」
記録さえ残れば、何とでもなる──しかし逆にここまでしなければ疑われかねない時代もどうなのだろうか、という本音も、ヨハネにはないでもなかった。
何日かして。
ダイレクトメッセージが再び届いた。
「無事に着きました。ありがとうございます」
お礼に手紙を送ります──一瞬ヨハネは読み流したあと、二度見した。
「…!?」
思わず再び画面を見た。
三度見である。
「…どないなっとんねん」
通常なら、お礼のメッセージだけで終わりのはずである。
この時ヨハネは知らなかったが、こういう時に改めて礼状を出す古い風習があったらしい。
果たして。
今度は小さな薄手の小包が届いた。
「あなたの色紙を、大切にしています」
開けるとマトリョーシカの隣に飾られたカカシ先生の色紙の写真と、たどたどしい日本語で書かれた手紙と、ロシア語の刻まれたキーホルダーが入っている。
手紙には、
「こんかいはありがとごさいます。アーニャより」
とある。
思わずダイレクトメッセージに「今回はありがとうございます、です」と訂正した内容を送った。
すると。
「日本語直してくれてありがとう」
今度は翻訳のアプリか何かを使ったものらしい。
「この日本語を教えてください」
立て続けに、ノートを写したものらしき写真が三枚ほど来た。
それをさらに添削すると、
「あなたは優しい。また日本語直してください」
これがさらに一週間ほど続いた。
日本語をアーニャは習い始めたばかりのようで、
「日本語は世界一難しい」
しかし日本人のヨハネからすれば、ロシア語のほうがずっと難しい。
が。
学生の頃にヨハネが深夜ラジオで聴いていた川村かおりの曲で抵抗なくロシア語そのものに触れていた素地があったのが、この時には幸いした。
「凛でさえロシア語は難しい、と言って習おうとしない」
それは仕方のない事かも知れない。
まず文法が日本と逆に近い。
さらに発音も日本語にない音ばかりである。
とどめは日本にない男性語女性語という概念で、たとえば名字でさえ男性ならコルサコフ、女性のアーニャならコルサコワとなる。
交換したばかりのテレグラムのビデオ通話の向こう側で、
「だから日本の男は、顔を見てナンパばかりする」
これには思わず、ヨハネは笑ってしまった。
「どこの国でも、男ってそんなもんやで」
アーニャは画面の向こうで首を傾げたが、何となくニュアンスが分かったものか、次第にコロコロと笑い始めた。
「言葉が違っても、人間って中身は同じなんやな」
他日ヨハネは述懐しているが、アーニャの態度から堅さが取れ始めたのもこの頃であったらしい。
「カズ(ヨハネ)は、面白い人」
この時ばかりほど、関西生まれである事がプラスに働いた事もなかったかも知れない。
アーニャはそれまでナルトどころか、他の日本語の映画やアニメですら聞いた事のほとんどない、ヨハネが話す関西弁に時に首を傾げながらも、
「あ、ごめんごめん。要はこういう事ね」
ヨハネが気づいて標準語に言い直してくれるのもあって、何とか分かるようになり始めた。
それでも。
たまに出てくる「なんでやねん」や「んなアホな」といった言い回しは、すぐに覚えた。
「でもなぁ、見た目バリバリのロシア美女で、話してみたらコテコテの関西弁ってのもちょっと…どうなんやろって」
なるだけアーニャの前では、東京弁使うようにするわ──とは言うものの、明らかにアーニャでも分かるほど、ヨハネの標準語がぎこちないのである。
「さよか?」
あ、そうかやった…ヨハネが言い直すと、
「こんなの買った」
アーニャが手にしたのは「関西語辞典」なるものである。
「そんなん、どこで見つけたんや」
ヨハネが思わず、のけぞるほど笑い転げた。
「ワイの言葉は外国語か」
特有のツッコミというものにも、この頃にはアーニャは慣れ始めていた。
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