第七話 七夕は雲の上にも臣下にも


 この件はどうか内密に、と尚玲に念を押されて爽夏殿を辞した花音は、後宮厨に寄った。

 陽玉や、後宮厨の尚食女官たちに配達する本を持ってきていたのだ。


「よかった、重いけどがんばって持ってきて……」

 とてもこのまま華月堂に帰る気になれない。

 安易に話を受けた伯言に恨み言をぶつけてしまいそうだ。


「こんにちはー」 


 厨房をのぞく。昼下がりのこの時間はさすがに一休みといった雰囲気だが、竈の火は点いている。

 火の番をしている女官の一人が声をかけてきた。


「あなた、もしかして華月堂の新しい女官?」

「はい、そうですけど……」

「わあ、本当に子猫みたい! 三葉の言ったとおりだわ」


 女官は花音の二つに結ったたぶさを見て「可愛いー」と笑った。


「本を配達してくれるって、本当?」

「え? ええ、はい」

「ね、あたしも本を借りたいな。どうすれば貸してくれるの? お金払うの?」


 花音は慌てて首を振る。


「まさか!お金はいりません。ご希望の本を言ってくれれば、お持ちします」

「ええー、そう言われると、何読んでいいのかわからないなぁ……」

「もしよかったら見繕みつくろいますよ?」

「ほんと?!うれしいーっ」


 喜ぶ女官の後ろから、陽玉がひょいと顔をのぞかせた。


「花音、お疲れ! 籠もらうわ」

 花音は持っていた籠を陽玉に渡した。

「みなさんに持ってきた本、そこに入っているんだけど、渡してもいい?」

「今、みんな出払ってるから、あたし配っておくよ。ところで花音、時間ある? 余った小麦粉で馬來糕マーラーカオを作ったんだけど、食べてかない?」

「うれしい! もちろん食べる!」


 甘い物には目がない花音なのだ。


 二人は後宮厨の裏手に向かった。

 薪割り場でもあるこの場所には、丸太が放置されてできた卓子や椅子が点在し、尚食女官たちの憩いの場となっている。


 陽玉は蒸したての馬來糕を手で割って、はむ、と口に運んだ。

 花音も同じく手で割ってみる。ふわん、と甘い香りの湯気が鼻をくすぐった。口にいれるとじゅわっと甘い。


「ううっ、美味しいぃー染みるわあ、この優しい味!」

「そんなに喜んでもらえると作ったかいがあるわ。まだたくさんあるから、持ってく?」

「いいの?! じゃあ今夜の夜食用にいただくわ」


 夏妃への本を少しでも見繕わなくては、と思っていた花音は即座に陽玉の申し出に飛びつく。


「え、また残業? またあの鬼上司のしごき?」

 陽玉は眉をひそめた。

「ま、まあね……。ねえ陽玉、七夕の宴って知ってる?」

「七夕の宴? まあ、知識だけね。なにせ、すごい限定された行事だから」

「そうなの?」

「うん、だって雲の上の御方たちだけの行事だもん。参加する四季殿と福鳴殿の各殿舎は装飾やら衣装やら酒肴やら、かなり気合入れるから、それなりに慌ただしそうな空気は伝わってくるけど」

「気合? なんで?」

 すると陽玉は呆れたようにけらけら笑った。

「やだ花音、七夕が何の日か、考えてみてよ」


 七夕は年に一度、天界の仙人である織姫と牽牛が、大天の川を越えて会えることを祝う日。

 それは、下界において、年に一度の恋人たちの一大行事でもある。

 七夕の日に想い人に想いを伝えると恋が成就し、結婚の約束をすると幸せになると言われている。


 花音にとっては興味も縁もない行事のため、すっかり忘れていた。


「そういえば、そんな日だったね」

「そうよ。だから七夕の宴は事実上、男性皇族と主だった妃嬪のお見合い会よね」

「お、お見合い?!」


 男性皇族と聞いて、こうの顔が脳裏に浮かぶ。


(そっか、そうだよね……)


 四季殿の貴妃も、他の殿舎の妃嬪も、後宮に住まう女性はすべて、男性皇族に仕える女性。

 つまり、藍悠皇子と――紅の、花嫁候補なのだ。


「七夕の宴で男性皇族の目に止まって、そこから御寵愛を受けるようになるってことも多いらしいよ」

「そ、そうなんだ……」


 尚玲が必死に「七夕の宴までに教養を」と言っていた意味がわかった途端、胸の奥が何やらざわざわしてくる。

(夏妃を藍悠皇子と紅に見初めてもらうための教養、ってことだよね。そうだよね、だって四季殿の貴妃は、次の帝のお后の最有力候補だもん)


 今上帝、つまり藍悠皇子と紅の父帝は、二人の母である皇后が薨去した際、妃嬪をすべて後宮から出していた。

 それから十年あまり、閑散とした後宮に入内してきたのは、皇太子の皇貴妃候補の四人の姫たち。

『花草子』の一件で清秋殿の主だった秋妃が後宮を去ったので、現在、後宮にいる妃嬪は四季殿に残った三人の貴妃だ。


(そりゃ必死になるよね……)


 三人しかいない花嫁候補。

 今後、後宮には次々と妃嬪が入内してくるであろうから、今の内にどちらかの皇子に気にってもらいたいと考えるのは当然だろう。


「花音? 花音ってば!」

「……へ?」

 陽玉は笑って花音に切り分けた馬來糕を渡した。

「花音ってば、何も持っていない手を口に運んでるんだもん」

「え?! ほんと?!」

 陽玉は呆れたように笑う。

「もう、大丈夫? 七夕の宴なんて、そんな雲の上の話より、同じ日に行われる『七夕仮装宴会』のこと話そうよ」

「七夕仮装大会?」

「ふふっ、やっぱり花音は知らなかったのね。七夕の宴の日は、泰平門前広場で七夕仮装大会も開かれるの。下々の者の七夕行事はこっちなのよ」

「仮装するの?」

「当たり。七夕にちなんだ仮装だから、織姫とか牽牛とか、まあ変わったところで牛とかカササギ風の仮装する人もいるけど。ほら、仮装って言っても、みんなそんなに衣装持ちじゃないから、作ったり、羽飾りだけとかいろいろだけどね。要は、正体がバレないように仮装できれば上出来ってわけ」


 花音は仮装した自分を想像しようとしたが、うまく想像できなかった。

 衣装といえばこのお仕着せと、故郷から着てきた胡服と、何かあった時用に父・遠雷が持たせてくれた、おめかし用の襦裙と披帛ひはく

(それと……)

 紅がくれた、紅い紗上衣。かつて今上帝が亡き皇后様に贈った品だという、仙女布でできた特別な物。

「……あれはダメ。人前では着ないで家宝にするんだから」

「え? なあに花音」

「あっ、ううん、なんでもない……それで? その仮装大会って誰が参加するの?」

「後宮に勤める女官や宮女が後宮から出ることを許されて、皇城にいる男性官吏も集まって、そこで宴が開かれるの。素敵でしょ? そこで出会って恋人になる方々も多いんだって」


 へえー、と花音は感心する。


「そんな合同お見合いみたいなことが行われているなんて、知らなかった」

「ほら、後宮にいるとなかなか出会いもないじゃない? 女官が御手付きになるなんて滅多にないし」

「たしかにねえ」


 後宮の女官たちはいつも女性か宦官としか接しないため、出会いがない。

 故郷ですでに縁談の話があれば別だが、皇城内でそのような催しがあるのは多くの女官にとっては心ときめくことなのかもしれない。


 人生まだまだ本を読んで過ごしたいと願うあまり、故郷の結婚話から逃げてきて花音にとっては、むしろあまり参加したくないような行事だが。

 そんな大々的な会なら「御馳走」の文字がチラついて少し心動かされる。


「ねえ、その仮装宴会って、御馳走も出るの?」

 真剣な花音に、三葉は大笑いした。

「あっはっは、花音らしいわ~! 出る出る、いっぱい出るよ! 泰平門前広場に卓子が出て、立食形式だけどね。だから食べやすい仮装の方がいいよ!」

「……うん!」


 花音はにっこり頷いた。



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