第11話 愛する者

「ぐ…ここは…?」


 目を覚ましたヘルムは軋む身体で辺りを見回す。

 と言っても、動かせるのは視線だけ。どうやら地面に仰向けに寝ている状態だろう。

 身体は寝袋のように土塊で覆われている。もはや棺桶だ。

 魔法を使えば抜け出せそうだが、混濁した記憶を元に戻すことを優先した。

 正面に見える天井は覚えがある。


(見慣れた、自室代わりの物置の……そうだ、俺はここで…)


 さっきまで博士のメモを解読していたはずだ。

 解読した内容は…核拡張型土人形の高すぎる破壊力。

 そんな危険な兵器を造った理由を聞きに部屋を飛び出て…それで。

 ラヴィーに気絶させられた…のか。


「……おきた?。」


 床に寝かされたヘルムをのぞきこむ影。

 ヘルムを気絶させ、拘束した張本人。ラヴィーだ。


「へるむ、ごめんなさい。けど、すこし…おとなしくしてて。」


「ラヴィー……なにを…」


「それはいえない。けど、れーぶのじゃまはしないで。」


 それはレーヴ博士のシナリオを阻止するために必要な事だから。

 ラヴィーとしても、ヘルムに手をあげた事は心が痛む。

 彼女にとってヘルムはかけがえのない存在だ。


「へるむはよわい。だからていこうしないで。なんどもてかげんできない。」


 だからこそ、今できる最大限の譲歩を。

 ヘルムはまだシナリオを知っていない。

 それはラヴィーの策にとって一番の不確定要素だ。


 ―――しかし浅はかかな、ヘルムは無知の無知である。


「ラヴィー‼君は博士のしようとしている事に気付いていない‼」

「早く博士の暴走を止めないと‼」


 ヘルムは博士を止めようとしている。

 執行官。その存在に気付かれる前に。

 密告する気など無い。博士はヘルムにとって憧れの存在なのだ。

 あくまで平和的に止める事が前提だった。


 それこそがラヴィーの危惧する処。

 なんだかんだと情に厚いヘルムが、憧れの存在を止められるものか。

 ともすれば協力してしまいかねない。


「だまる。なんどでもいう。へるむは………」


「ッ………‼」


 ヘルムは歯を食いしばるが、それは真意に気付いたからではない。

 ラヴィーが言ったのは、単純な腕力の話ではないと云うのに。


「……ごめん。いっしゅうかんだけ、じっとしてて。」


 そう言うと、身動きの取れないヘルムを残して部屋を出ていく。

 それと同時にヘルムを包む拘束が解かれる。

 だが起き上がらない。起き上がれない。

 それはヘルムが無力だから。押し潰されてしまった。

 土塊の重みに、ではない。

 現実に。

 現実のままならなさに。


 ――ヘルムとて、若くして国立研究所の副所長になった秀才だ。

 だがそれを驕った事など無い。

 自分より先に産まれ、自分を超える天才はかせが居たからだ。


 ――ヘルムという男は、博士てんさいの後塵を拝すのが常だった。

 だがそれを妬んだ事など無い。

 誰よりもその背中を近くで見る事が出来たからだ。


 ――ヘルムが研究の事以外で、自慢できるのは『我慢強さ』だけだ。

 だがそれが今、へし折られてしまった。


「――どうして……どうしてっ‼」


 叫び出したい。泣き出したい。吐き出したい。


「どうして俺はっ‼博士の隣に立てないんだ‼」

「あの時もあの時も‼あの時だって‼」

「俺は博士の隣にいなかった‼」

「なんで今度も邪魔されないといけないんだよ⁉」


 ――ヘルムが少年の日、ある噂が街に流れた。

 天才が王立研究所の所長になった、というものだ。

 所長ともなれば天才だろう、そう呆れる大人の顔が、続いた言葉で変貌する。

 僅か十五歳の所長だ。成人したその日から登用され、どころか国に条件までとり付けたと。

 破天荒どころではない。正しく前代未聞。

 今は退位なされた先王とて、温厚なれど一国の王。

 少年ヘルムは、命惜しくはないのだろうか。と幼心に思った。

 だが同時に、その鮮烈さに憧れたのだ。

『ぼくもあの人とはたらきたい!』

 そう考えるようになるのも時間の問題だった。


 ――それから少年は勉強に明け暮れた。

 研究者になるには、才能を認められねばならない。

 当時貴族位の者ばかりだった研究者になるには、狭き門。

 ヘルムの家は平民。その中でも一般的な家庭だ。

 だがその天才も平民の出だとか。ならば可能性はある。……勉強さえできれば。

 当時、紙の本は市場にあまり流れず、また、平民には手の出ない高価な物だった。

 替わりに使ったのが、国立研究所から出た、ゴミ。

 ゴミと言っても危険物を除いた、まだ再利用できるものだ。  

 その中でも木板……を細く切ったもの。薪の代わりとして売られるそれ。

 ヘルムの知識はそれによって蓄えられた。

 研究者の書いた研究内容を覗き見て、その知識を吸い取っていったのだ。

 小難しい事は少年には分からない。

 だが薬草の調合を理解するのに時間はかからなかった。

 この薬草とこの薬草を混ぜ、効果はこうだった。それだけの走り書き。

 なら、これをこうしたらどうなるのだろう?

 そんな少年の自由な発想で、手製の薬品もどきを作っていった。

 友人と遊ぶ時間も削って、寝る時間も削って、目が悪くなるほど。

 少年ヘルムにとって、憧れの人はそれほどの価値があった。


 ――そして十四の頃、木板に研究結果をまとめて研究所の門を叩いた。

 貴族ではないと追い返されるかもと思っていたが、そんな事もない。

 どうやら改革があったようで、才能があれば資格があるとの事だ。

 種族、性別、生まれや身分ではなく、研究に対する熱意こそ、と。

 その改革も、例の天才が執り行ったのだとか。

 そして当時副所長だった初老の男性から、自分の才を認められ夢は叶った……

 訳ではなかった。

 所長は少し前に結婚し、出産を控えていたのだ。

 ヘルムは所長に恋をしていたわけではないが、それに匹敵する想いを持っていたのだ。それに気づく前に摘み取られた。

 まあいいや、お目にかかる機会がお預けになっただけだ。と割り切ってそれからを過ごしたのだった。

 それが間違いだったのだろうか?

 積もる想いがいつしか、摘み取られた慕心と混じってしまった。

 本人すらも気付かぬうちに、じわじわ、じわじわと…混じって変わり。

 なまじ常識を知るばかりに、人妻を愛してしまっている己を知らなかった。


 ――そうしてようやくお目にかかった『天才』は……普通だった。

 どこにでも居そうな女性。これと言って奇抜ではない格好。

 時々妙な行動はしたが、後になってその真意に気付いた時はその深慮を知って驚いた。

 未来が見えているなどという噂が立った時もあったが、全て一蹴するのが彼女だ。

『予知ではなく予測だよ』と。

 こうも正確に予測できるなら予知と変わらないだろうに。

 それを自慢せずに彼女は研究にばかり目を向けていた。

 それが間違いだったのだろうか?

 彼女の夫はまだ幼い娘を連れて、家を出ていってしまったのだそうだ。

 研究に没頭して家庭をないがしろにした罰だ、と自虐する彼女を止められなかった。

 彼女にとっては事実を言っただけだろうが、ヘルムは見ていられなかったのに。

 歩み寄るのではなく、目を背ける事を選んでしまった。

 ヘルムは何も見ず、何も言わず、何も考えず、何も聞きたくなかった。

 ただただ、研究を続けた。

 それで彼女に近づけるなら、隣に立てるならそれでいいと、心の奥底で思いながら。

 だがそれすらも幻想だ。泡沫だった。虚妄の果てだ。


 ――研究の成果を認められ、副所長の地位に上り詰めたヘルム。

 だがそうしている間にも、彼女はそれ以上の功績を残していった。

 既に先を征く目標が、自分より速い速度で進んでいく。

 手を伸ばすことに飽き、もうこのままでいい、所詮自分は道端の石ころだ。

 ヘルムがそう諦めたところに、博士がやってきて言ったのだ。

『私のお願いを聞いてくれ、まずはあの人気店のクッキーを買ってきてくれる?』

 彼は心が蘇った気分だった。

 それで浮かれるような事はなかったが、それでもチャンスが来たのだと思った。

 千載一遇の好機を。

 それを逃さないよう、必死に……

 その結果が、これだった。

 憧れの博士を手伝いながら成長を見守った愛し子ラヴィーが、すべてを奪っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る