第3話 クラスのアイドル花宮さん


「じゃあ、またね小森」

「うん! あ、神田さん、今日の数学の授業で問題演習の時に手伝ってくれてありがとう。神田さんって、凄く教えるのうまいんだね!」

「べ、別に普通だから」

「そんなことないよ! 僕は数学苦手だから、神田さんと隣で良かったな」

「……もし、また分からないとこあったら教えてあげる」


 放課後、夕陽に照らされて赤く染まった神田さんの顔を見ながら手を振る。

 そんな僕に、神田さんは手を小さく振り返してから教室を出て行った。

 神田さんを毎日褒めると決めた日から早いもので一週間が経過した。

 この一週間で僕と神田さんの関係は以前に比べて大きく前進していた。

 そう、授業中の話し合いの時間と放課後と朝に挨拶をするくらい仲良くなったのである!

 これは快挙だ。

 僕はかつてないほどに充実した学校生活を送れていると言っても過言ではない。


 そして、今日は僕が愛読しているライトノベルの最新刊が発売される日だ。それも二冊も!

 ふふふ。この土日はライトノベルと共に過ごす最高の休日になるな。


 ウキウキとした気分で教室を出る僕の足取りは驚くほど軽かった。



***



 僕の家までの帰り道の途中には、この街で一番大きな本屋がある。

 僕のような漫画やライトノベルを愛する同士は勿論、一般文学や雑誌を買う高校生もよくここに来る。

 そうなると知り合いに出会うことを不安がる人もいるかもしれない。

 だが、大丈夫。僕は圧倒的モブ。クラスの背景その4である。見られたとしても、「あいつ誰だっけ」で終わるのだ。


 …………何か悲しくなってきた。

 くっ。別に気にしてないし! 少なくとも神田さんは認知してくれるもんね!


 駐輪場に自転車を止め、本屋に入る。

 まずは漫画の最新巻をチェック。次にライトノベルの最新刊をチェック。

 目的の本はちゃんと残っていた。

 片方はアニメ化も最近決まった勢いのある作品だ。もう片方は、元々ネット上で投稿されていた作品の書籍版だ。

 ネットにあげられていた頃から注目していた作品で、書籍化が決まった時は思わず自室で万歳してしまうほど思い入れがある。


 目的の本を二冊持って、今度は一般文芸の方に向かう。

 ライトノベルは勿論だが、個人的にはキャラ文芸や一般文芸も好きだ。

 新刊コーナーから面白そうなものがないか探す。


 タイトルが気になったものを手に取り、パラパラと冒頭部分だけ流し読みする。

 ここで続きが気になったら買いだ。

 今回は表紙も含めて気に入った。財布的にも余裕があるし、買おう。


 合計三冊の本を小脇に抱えてレジに向かう。

 最近は無人レジがかなり増えている。これは個人的に凄くありがたい。

 財布で小銭を出すとき、手間取って店員を待たせてしまったことはないだろうか。

 僕はあの気まずい時間が凄く苦手なのだ。


 無人レジで会計を済ませ、ほくほく顔で本屋を出ようとしたその時だった。


「あれ? もしかして、小森君?」


 背後から名前を呼ばれ、思わず足を止める。

 辺りを確認してから振り返る。そこには、クラスで一番可愛いと噂の花宮さんがいた。


「は、花宮さん!?」


 思わず声が大きくなる。

 しかし、それも仕方ない。

 花宮さんはクラスの人気者。僕のクラスの主要人物その1かその2を争うスーパースターだ。

 背景その4が簡単に関わり合えるような相手ではない。


「うん。同じクラスの小森君だよね! 本、好きなの?」


 花宮さんは僕が大事そうに抱えている袋を見てそう言った。

 肩まで伸びた黒髪に見る人を癒す柔らかな笑み。そして、こんな僕にも優しく話しかけてくれる姿。

 僕が背景その4であることを自覚していなければ惚れているところだった。 


「う、うん。花宮さんも本屋にいるってことは本好きなの?」

「うん。ちょっと、気になる本があってね」

「そうなんだ。それじゃ、そろそろ僕は帰るから、またね」


 一生懸命話題を探したが、これ以上浮かばなかった。ここは早々に退散させてもらおう。


「あ、ちょっと待って!」


 ところがどっこい、何と花宮さんが僕を呼び止めた。


「小森君って最近神田さんと仲良かったよね? 良かったら、少し話聞かせてくれないかな?」


 花宮さんは少し前傾姿勢になりつつ、上目遣いで僕を見てきた。

 そして、その可愛さに僕の脳は思考停止した。


「は、はい! もちろんです!」



***


 

 影が伸びてくる夕方、学生や社会人もチラホラと道を行く中、女の子と二人で帰り道を歩く。しかも、その女の子はクラスで一番の美少女と名高い花宮さん。


 なんだこれ?

 いつから僕は二次元の世界に紛れ込んでしまったのだろうか?


「ねえねえ、小森君って神田さんと友達なの?」


 バカなことを考えていると、花宮さんが質問を投げかけてきた。


「と、友達!?」

「うん。違うの?」


 コテンと首を傾げる花宮さん。何という可愛らしさ。

 僕が現実で見た可愛い女の子の仕草ランキングぶっちぎり一位だ。


「いや、その……違うというかなんというか、僕如きが神田さんの友達を名乗るのはおこがましいというか……。それに、僕たち朝と夕方の挨拶とか、授業中の話し合いの時間くらいしか喋らないしさ」

「そうなの? でも、私は小森君以外に神田さんが楽しそうに喋っているところ見たこと無いよ?」

「いやいや、そんなまさか!」

「本当だよ。私だって、あんなに話してもらったことないんだよ?」


 少し拗ねたような表情を花宮さんが浮かべる。


 し、しまった!

 もしかして、さっきの僕の言葉って知らず知らずの内に花宮さんにマウントを取ってしまったんじゃないか?


『えー? こんなくそ雑魚陰キャの僕でも喋れるのに、神田さんと喋れない人とかいるの? いねえよなぁ!』


 きっと、花宮さんにはこういう風に聞こえていたに違いない。

 こんな僕に話しかけてくれた花宮さんに対して何たる不敬! 万死に値する!


「調子に乗って、すいませんでした!」


 直ぐに自転車を止めて、頭を勢いよく下げる。勢いのあまり頭がサドルに激突した。

 痛い。


「だ、大丈夫!? 頭思いっきり打ってたけど……」

「こんなの花宮さんが受けた心の傷に比べれば大したことありません」

「いやいや! 大したことあるよ!?」


 な、なんということだろう。

 花宮さんはこんな僕を許してくれるという。その包容力はまるで聖母!

 聖母は神田さんだけでは無かったのだ。


「な、何してるの?」

「花宮様に感謝の祈りを捧げています」

「大袈裟だよ! 祈りなんて捧げないでいいから!」


 聖母・花宮様に祈りを捧げていると、他でもない花宮様自身が顔を真っ赤にしてやめてくれと言ってきた。

 神田さんにもやめろと言われたし、もしかすると聖母の方々には僕の祈りは迷惑なのかもしれない。


「分かりました」


 祈り一つも満足に捧げられない己の不甲斐なさに肩を落とす。

 今度、近所の教会で祈り方を教わった方がいいかもしれない。


「こほん! 話を戻すけど、小森君は多分クラスの中で一番神田さんと仲が良いの!」

「は、はい!」


 大変恐れ多い話ではあるが、花宮さんがそう言うのであればそうなのだろう。

 まさか僕が一番を取る日が来るなんて。

 今晩はお赤飯かな?


「それでね、どうやって神田さんと仲良くなったか出来たら教えて欲しいなーって思うんだけど、どうかな?」


 なるほど。どうやら、花宮さんは神田さんと仲良くなる方法が知りたいらしい。

 仲良くなった方法か……。


「うーん。僕は神田さんを一日最低一回は褒めるようにしたよ」

「それだけ?」

「うん。後は、挨拶を毎日するくらい」


 こうして振り返ると、僕、殆ど何もしてないな。

 だが、神田さんを毎日褒めると決めた日から神田さんをよく見るようになった。

 昼休みにお弁当の卵焼きを美味しそうに頬張るところが可愛いということや、実は勉強が得意だということなど、僕の知らなかった神田さんの姿がたくさん目に入るようになった。

 神田さんを褒めると決める前の僕は、噂だけで神田さんは不真面目な人で怖い人だと思っていた。

 だから、自然と視線を神田さんの方に向けようとしていなかった。でも、目を向けてみればそれは、僕が思っているようなものとはまるで違っていた。


 そう考えると、褒めるということを意識するのはいいことなのかもしれない。


「そうなんだ……。うん! 参考になったよ! ありがとね」


 僕のアドバイスを花宮さんは笑顔で受け止めてくれた。


 花宮さんは誰にでも優しい。こんな僕の話を真面目に聞いてくれるのだから、本当に素敵な人だと思う。

 花宮さんのような人なら、誰だって仲良くなりたいと思うのではないだろうか。


 暫く歩くと、分かれ道に差し掛かり、花宮さんは左に曲がると言った。僕は右に曲がるため、そこでお別れということになった。

 だが、花宮さんは忙しなく視線をキョロキョロと動かして何かを言いたそうにしている。

 その仕草を見て、僕のIQ102の頭脳がフル回転する。


 はっ!

 そうか、分かったぞ! 花宮さんは自宅を僕如き羽虫に特定されることを恐れているに違いない! だから、僕にさっさとここから立ち去って欲しいんだ!

 なんという防犯意識。僕も見習わなくてはならない。

 一先ず、ここはさっさと立ち去ることにしよう。


「それじゃ、僕はこれで」

「あ、ちょっと待って!」


 花宮さんに背を向けて立ち去ろうとすると、不意に花宮さんに呼び止められた。

 何だろうと振り返ると、そこには頬を赤らめてどこか緊張した面持ちの花宮さんがいた。

 花宮さんは深呼吸を一つして、意を決したような表情で口を開く。


「へ、変態って言ってくれないかな?」


 その一言が僕の耳から脳に伝わる。

 そして、僕のIQ102の頭脳がフル回転し、高速回転し、錐揉み回転して、弾けた。


「花宮さん? 頭大丈夫?」

「はうっ!!」


 弾けた僕の頭脳の代わりに、口が勝手に僕の思いを伝えてしまった。

 その一言を浴びた花宮さんは、何故か胸を押さえて呼吸を少し乱していた。


 ええ……どういう状況?

 よ、よく分からないけど、とにかくここは撤退した方がいい気がする。

 でも、一応お願いされたわけだし、「変態」というセリフだけはちゃんと言った方がいいだろう。

 ただ、言う言葉が言葉なだけに、出来るだけ言い方は柔らかく、丁寧にしよう。そして、笑顔だ。


「花宮さん」

「え?」


 頬を赤らませて、こちらを見上げる花宮さん。その花宮さんに向けて僕はニッコリと口角を上げて満面の笑みを見せる。


「変態」

「あっ……!」


 花宮さんの口から甘い吐息のようなものが漏れた気がするが、気にしては負けだ。

 さっさと立ち去ろう。


 夕陽と花宮さんを背に早足で家へ歩く。


 花宮さんと別れてから少しして、僕は漸く冷静さを取り戻していた。


 それにしても、不思議なものだ。

 高校二年生としての生活が始まった時は、花宮さんと話す機会があるなんて思いもしなかった。

 これも全ては神田さんと話すようになってから。そう考えると、神田さんには感謝しないといけないな。


「やっぱり、神田さんに感謝の祈りを捧げるために、祈り方は学んでおこう」


 こうして、この土日のどちらかで僕が教会へ行くことが決まった。

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