第2話 神田さんのセンス


 翌日の朝、僕は今日も教室の隅で背景に同化しながら席についていた。


 昨日は神田さんを怒らせてしまった。

 だが、同じ過ちは繰り返さない。今日こそ神田さんを褒めて、喜ばせ、神田さんと仲良く平和な学校生活を送るのだ。

 そう思っていたのだが……。


 神田さんが来ない……!!


 神田さんはごくまれに遅刻する。

 それは知っていたが、今日の一限は現代文。ペアでの活動が予測されるため、是非とも神田さんには来て欲しい。


 神田さんー!! 早く来てくれー!!


 心の中で叫びながら待つが、無情にも始業を告げるチャイムが鳴る。

 神田さんは来てくれなかっ――。


 ガラガラ。


 チャイムの音が鳴り終わるとほぼ同時に教室の扉が開く。

 僕を含め、クラス中の視線が教室の扉に集まる。そこには、眠そうに目をこすりながら教室に入る神田さんの姿があった。


 か、神田さん……!!


 周りの視線を気にすることなく、神田さんは僕の隣の席に座る。

 そして、チラリとこちらを見た。


 あ、そ、そうだ!

 先ずは挨拶をしなくてはいけない。挨拶は仲良くなるための第一歩だって、近所の小学校の標語にあった。


「か、神田さん、おはよう」

「……おはよ」


 神田さんに小さな声で挨拶すると、神田さんはポツリと小さな声で挨拶を返してくれた。


 挨拶をして、挨拶を返される。

 まるで仲良しみたいだ!!


「神田さんが来てくれて僕は嬉しいよ!」


 おかげで、現代文の授業で僕がボッチになることは無くなった。それに、現代文の授業で神田さんと会話することが出来たら、もしかすると更に仲良くなれるかもしれない。


「あ、そ」


 神田さんはそっぽを向いた。

 どうやら、神田さんからして僕はまだ顔を見るに値しないレベルの人物のようだ。

 やはり、昨日のセクハラで神田さんの好感度は下がっている。

 何とかして好感度を上げたいな……。


 そうこうしている内に、朝のHRが終わり、現代文の授業が始まった。


「……それでは、どうして李徴が虎になってしまったのか近くの席の人と話し合ってみましょう」


 来た!

 授業が始まって数十分。授業の終盤に来ての唐突な無茶ぶり。

 そんなもん知るか。

 そう言いたいところではあるが、ここでの話し合いをこの先生は成績に反映させると言っている。

 神田さんと出来るだけ語り合わなくては……。


「か、神田さん……」


 神田さんと話すべく、横を見る。珍しく、今日は神田さんは起きていた。

 おお。神田さんが眠そうな顔で学校に来る時の一限の就寝率は百パーセントなのに……。


「神田さん、今日は起きてるんだね」

「なに? 起きてたら悪いの?」

「ち、違うよ! その、起きててくれて嬉しいなって。神田さんと話したかったからさ」

「なっ……ふん。な、ならさっさと勝手に話せば」


 不機嫌そうに鼻を鳴らす神田さんに慌てて訂正する。

 しかし、神田さんの機嫌を直すことは叶わなかったようだ。神田さんは顔を逸らしてしまった。


 またやってしまった。

 いや、気を落としてはいけない。神田さんは話すことを許してくれた。なら、先ず僕から話さないと。


「えっと、李徴が虎になった理由だよね。やっぱり、李徴は詩を書いて生きたいって言ってたところがポイントなんじゃないかな。詩を書いて生きタイガー。な、なんちゃって」


 やっぱりユーモアは大事だ。

 だから、昨日の晩から授業内容を予習し、使えそうなギャグを考えておいた。神田さんは笑ってくれているだろうか?

 そう思い、顔を上げると神田さんはプルプルと肩を震わせて口を押えていた。

 こ、この反応はどっちだ!?

 笑いを堪えているのか? それともつまらなさすぎて怒っているのか?


「か、神田さん?」

「な、なに?」

「大丈夫?」

「何が?」


 神田さんの鋭い眼光が僕を捉える。

 ひ、ひい! こんなにも背筋が凍る上目遣いは初めてだ……。


「ご、ごめん! つまらないギャグなんて言っちゃって、ふざけちゃダメだったよね……」

「あ、いや……別に、つまらなくもない」


 肩を落として俯く僕に、神田さんが語り掛ける。


 か、神田さん……! こんなくそ雑魚ナメクジギャグを言った僕を許してくれるというのだろうか。何という優しさ。

 それはまさに聖母。

 神田さんに感謝しながら改めて顔を上げる。神田さんは照れ臭そうに頬をかいていた。

 視線は合わせてくれなかった。


 否、神田さんのような聖母がクラスの背景その4である僕と視線を合わせてくれるという考えがおこがましかったのだ。


「で、でも授業中だから、急に笑わせるのはやめて」

「うん! いや、はい! ごめんなさい。神田様!」

「か、神田様?」

「はい! こんな僕のつまらないギャグを認めてくださる神田様に僕は感服したのです!」

「やめて」

「え、いや、ですが……」

「キモいからやめて。後、敬語もやめて」


 神田さんは心底嫌そうな顔を浮かべていた。


「あ、はい」


 こうして、「神田様を崇める会」は唯一の会員にして設立者の僕がやめたことで、この世からその存在を消した。

 それと同時にチャイムが鳴り、授業も終了になった。


 は!

 しまった! 結局僕ばかり喋って、神田さんがちゃんと授業内容について語れていなかったじゃないか!


「ごめん、僕ばかり喋っちゃったせいで神田さんが喋る時間無かったよね」


 現代文の授業担当の先生が出て行き、生徒たちも席を立ちクラスが少しずつ騒がしくなる。

 そんな中、クラスの端で僕は神田さんに頭を下げた。


「別に、気にしてないし」


 神田さんはそれだけ言うと席を立って、教室から出て行った。

 神田さんの後ろ姿を見てため息を一つつく。


 また怒らせてしまったかもしれない。神田さんと仲良くなろうと思っているのに、中々上手く行かない。

 とにかく、今日のうちのどこかで謝ろう。幸い、まだ一限が終わったばかり。謝るチャンスはいくらでもあるだろう。

 

 だが、この後の授業は移動教室が多く気付けばあっという間に放課後になっていた。

 昼休みは声をかける隙もないほど、神田さんが直ぐに教室を出て行ってしまった。

 もうここしかない。

 話しかけるチャンスはここだ。


 そう思い、神田さんの様子を横目で確認する。神田さんは、鞄に教科書やノートをゆっくりと入れていた。

 意外にも神田さんはのんびり屋のようだ。だが、好都合。

 念のため、他に神田さんに話しかけようとしている人がいないか周りを見る。

 よし。大丈夫そうだ。これなら僕と誰かの声が重なって気まずくなることもないだろう。


 深呼吸を一回、二回。

 覚悟は出来た。


「きゃんださん!」


 噛んだ。神田さんだけにってね。

 ……死にたい。


「な、何? 人の名前噛んだりして、神田だけにってこと?」


 神田さんが小さな声でそう言った。

 まさかの僕と同じ考えに思わず言葉を失う。

 そして、僕と神田さんの間に沈黙が流れた。


「……帰る」


 均衡を破ったのは神田さんの一言だった。

 耳まで真っ赤にした神田さんは鞄を持って、席から立ち上がる。


「ちょ、ちょっと待って!」


 神田さんを帰らせるわけにはいかないと、慌てて神田さんを呼び留める。


「……何?」

「ご、ごめん! 今日の一限、僕ばかりが喋って神田さんが話せてなかったから……」

「……それだけ?」


 神田さんは僕に背を向けたままそう言った。

 いや、それだけじゃない。謝るだけなんて意味がない。

 僕は神田さんと仲良くなるために努力すると決めたんだ。


「ううん。神田さん、僕、神田さんの笑いのセンス好きだよ! さっきの神田だけにってやつ、実は僕も思ってたんだ。だから、さっきは驚いて反応できなかった。よかったら、これからも話してくれると嬉しいな」

「あっそ」


 神田さんはそれだけ呟く。そして、僕の方を振り返る。


「わ、私も、話してくれると嬉しい……かも」


 伏し目がちに神田さんが呟く。

 その声は確かに僕の耳に届いていた。


「うん!」


 僕の返事を聞いた神田さんが笑顔を浮かべる。

 夕陽に照らされたその笑顔は、思わず見惚れてしまうほど綺麗で可愛らしかった。


「じゃあ、また」

「うん、また明日」


 控えめに手を振る神田さんに手を振り返す。

 一度は神田さんを怒らせてしまったと思った。だが、雨降って地固まるという通り、僕と神田さんの仲も少しだけ良好なものになったっと言っていいのではないのだろうか。



**************


 ありがとうございます。

 モチベーションに繋がりますので、よろしければフォローなどお願いします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る