隣の席の子を褒めてみたら、青春が始まりそうです。

わだち

第1話 隣の席の神田さん

 褒められると嬉しい。

 多分、これは殆どの人に通じることだと思う。


 僕の隣の席に座る子は、神田さんという女の子だ。

 金髪に鋭い目つき、制服の上にパーカーを着ている彼女はいつもつまらなさそうに学校生活を送っている。

 恥ずかしながら僕は隣の席にも関わらず、彼女の笑顔を見たことが無い。


 小学生の頃、担任の先生は言った。


「隣の席の人が誰になっても仲良くしましょう」


 だからという訳ではないが、僕は神田さんと仲良くなりたいと思っている。

 最近では、教育改革だ何だと言われており、授業中に生徒同士で話すこともある。

 話合いをするなら、誰だって少しでも仲が良い人の方がいいだろう。

 コミュニケーション能力が僕にあれば、初対面の相手でも問題なく話せるのかもしれない。

 だが、残念ながら僕のコミュニケーション能力は平凡以下。

 コミュニケーション能力に長けているとは言えない僕が、穏やかな日々を過ごすためにも神田さんとは仲良くなった方がいいのだ。


 ところが、神田さんは、誰にでも優しいスーパー完璧美少女と言われている春川さんや、スポーツ万能、頭脳明晰、イケメンの三拍子が揃っているコミュニケーションオバケの夏野くんでさえも冷たくあしらうほどの強敵だ。

 こんなどのクラスにも一人はいる量産型モブのような僕など相手にしてくれるはずがない。

 それでも、今後のために僕は勇気を出して話しかけると決めた。


 決めたはいいが、問題は何を話すかだ。話すことが何かで僕が神田さんと仲良くなれるかどうかが決まると言っても過言ではない。

 失敗はしたくない。ならば、どうすればいいか。

 そこで冒頭の話に戻る。


 僕は決めた。神田さんを褒め、神田さんと仲良くなり、ささやかながらも楽しい学園生活を送ってみせると。



***



 席替えが終わり、僕の席が窓際の一番後ろという絶好のポジションになった日から早いもので一週間が経過した。


 この一週間、僕は神田さんと全然話すことが出来ずにいた。しかし、そんな僕と神田さんの関係を先生たちが知るはずもなく、「隣の人と話し合いをしなさい」という鬼のような要求を躊躇なくしてくる。

 その度に、僕は神田さんと気まずい時間を過ごすことになってしまっていた。

 このままではいけない。

 そう思った僕は、これから先の学校生活を少しでも改善するべく神田さんと仲良くすると決めた。


 そして、今日の放課後。既にHRは終わり、殆どの人が部活に向かうなり、帰宅するなりと教室からは出て行っている。

 そんな中、僕の隣の席の神田さんは一人机の上ですうすうと小さな寝息を立てて寝ていた。

 

 これは神田さんに話しかけるチャンスだ。

 そう思った僕は神田さんを起こすことにした。


 ……どうやって?


 普通に肩を揺らせばいいじゃん、と思うかもしれない。

 だが、少し考えて欲しい。

 昨今では、電車の揺れによる不可抗力で身体が触れるだけでもセクハラになり得るという。

 ならば、意図的に肩に触れるという行為もセクハラに十分なり得るのである。

 しかし、ここで神田さんを起こさずに置いて行くことで、神田さんが大事な約束に遅刻する可能性も考えられる。それはよくない。

 ここは起こすしかないのだ。

 深呼吸を一つしてから、僕は机の中から一冊の本を取り出す。


「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて――」


 悩んだ末に僕が選んだのは、大声で教科書を音読することだった。

 音読する作品に迷ったが、目覚めには、発狂して虎になる男の話で有名な山月記より、枕草子の方がいいだろうと思って枕草子を選んだ。


「……ぅん」


 チラチラと神田さんの様子を見ながら枕草子を読んでいると、神田さんが眠そうにしながら顔を上げた。

 彼女は、目をこすりながら辺りをキョロキョロと見回した後に、枕草子を音読する僕を見る。


「……なにしてんの?」

「あ、え、えっと……。音読です」

「ふーん。変なやつだね」


 神田さんは奇妙なものを見る視線で僕を見ていた。

 寝起きのせいか目つきが一段と鋭くて、萎縮してしまう。例えるなら蛇に睨まれたカエルといったところだろう。

 何か返事を返さなくてはと思っている内に、神田さんは鞄を持って席を立つ。


 ああ、やばい。このままじゃ神田さんが帰ってしまう。神田さんと仲良くなるために、せめて神田さんを褒めなきゃ……。

 えっと、何か、何か、神田さんの良いところ……。

 そうだ!


「か、神田さん!」

「ん?」


 俺が名前を呼ぶと、めんどくさそうに神田さんが首だけ僕の方に向ける。

 バクバクと鳴る心臓を抑えて、俺は言葉を放つ。


「神田さんの寝顔、凄く可愛かった!」


 言った。言ったぞ。

 しっかりと褒めた。


 言いたいことを言えたことに一安心しつつ、神田さんの顔色を伺うと、そこにはポカンと口を開け、顔を赤く染める神田さんの姿があった。


「……はあ!? あ、あんた、急に何言ってんの!?」

「何って、神田さんの寝顔が可愛いって」

「からかってんの!?」

「それは違うよ。僕は本当に神田さんの寝顔が可愛いと思ったからそう言った――」

「あー! もういい!」


 神田さんは僕をキッと睨みつけ、一つ舌打ちしてから、背を向ける。


「あ! また明日!」


 教室から出て行く直前に、その言葉をかける。

 明日は現代文の授業がある。もしかすると、隣同士で読み合わせがあるかもしれない。

 隣の席の神田さんには何としても来てもらわなくては、僕はボッチになってしまう。


「……またね。小森」


 神田さんは小さな声だったが、確かにそう言って教室を出て行った。


 ふう。

 とりあえず話すことが出来てよかった。

 それにしても神田さんが僕の名前を知っていてくれているとは思わなかった。

 名前を知っているということは、少なくとも神田さんにとって僕は知らない人というわけではないようだ。

 でも、褒めた時に顔を赤くしてたのが気になる。

 照れてたとかならいいんだけど、夏野くんに話しかけられても表情一つ変えない神田さんが照れたとも思えないし……怒ったとか?


『ちっ。なにあのクソ陰キャ。ムカつく』


 神田さんが僕にぶちぎれているところを想像して背筋が凍る。


 そ、そういえば女性の容姿について男が口に出すとセクハラになることがあるという話を聞いたことがある。

 もしかすると、僕の発言はセクハラだったのかもしれない。

 つ、次は神田さんの内面を褒めるようにしよう。


 新たな決意を固めて、僕は教室を後にした。

 

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